3 「✕✕」
実は香本の印象も同じで少々調子に乗りやすい性格のやつだとは思うがあそこまで感情の起伏が激しい性格だという印象ではなかった。異常事態だからあまり参考にならないかもしれないが。
「茜ちゃん、待って!」
後ろ姿が見えたので梅沢が叫ぶ。その声にようやく足を止めた。
「追いかけてきてくれたんだ」
今にも泣きそうな顔だった。捕まるかもしれない方向に走って来たので誰も来ないと思っていたようだ。
「助けに行くのはいいけど、午前中も言ったように少し冷静になって方法考えよう」
「うん。ありがとう。……ごめん」
周囲を注意深く窺ったが人の気配は無い。静かすぎるほどに静かだ。
「まず状況教えて欲しい、さっき銃声が聞こえたけど、警察は誰を狙ってた」
「それがちょっと変なんだけど。私が見た感じ、私たちを狙ったようには見えなかったの」
「他の人ってこと? その場に誰がいた」
「旅館の人。最初その人たちに見つかっちゃってみんなで逃げようとしてたところ。でもその旅館の人ちょっと様子がおかしくて。すごく焦った様子でシンシ様は誰、って聞いてきて」
シンシ様。またその単語だ。梅沢も首をかしげて聞いてくる。
「シンシ様?」
「もちろんなんのこと言ってんのかわかんなくて、何を言ってるんだって話をしてる時にいきなり銃声がして。相川さんが悲鳴をあげて逃げ出しちゃったからそれにつられて私たちも逃げたんだけど。振り返って私見ちゃったの、撃たれてたの旅館の人だった」
「つまりその警察官は最初からその旅館の人狙ってたのか。じゃあみんなが命を狙われてたっていうわけじゃないんだね」
この状況なので優先順位が低かったというだけなのかもしれない、命の危険がなくなったわけではないが客ではなくなぜ旅館の人間を撃ったのだろう。派閥争いでただお互いの命を願う関係にまでなってしまったのだろうか。
――余計な事を口走ったから始末された、とも取れるな。
「みんなパニックになっちゃったから、私も前だけ見て走ってて久保田先生がいないの全然気がつかなかった」
「少なくともあれから銃声は聞こえていないし、先生は怪我もしてなかったからうまく逃げ切れてるって思っていいと思う。その場所にギリギリまでは近づくけど他の人間がいたらすぐに逃げるよ」
香本の言葉に茜はあまり納得していないようだがそこが妥協点だと区切りをつけたらしくうなずいた。
旅館から逃げ出してからそれほど時間が経っていないというのに、日はどんどん傾け夕暮れ時になってきている。夜になってしまったら身動きが取れなくなる。
周囲を警戒しながらある程度戻ったが、やはり住民や旅館の人間の姿が多くなってきたので三人とも足を止めた。香本が耳に手を当てて音を聞いていく。
「山狩りするって言ってる、まずいな」
「総出で探そうっていうことか」
「待って、また聞こえた、シンシ様。シンシ様を、見つけ……だめだ、いろんな人間が一斉にしゃべってるからうまく聞き取れない」
「いっぺんにみんなが喋ってるってどういうこと? ちょっと変じゃない? 協力しなきゃいけない場面なのに」
「そうなんだ、なんか雰囲気からすると向こうもちょっと混乱してるみたいだ。動揺してるっていう雰囲気がある。もうすぐ探し始めるみたいだから、離れよう」
坂本たちも探さなければいけない。置いてきたがそのまま待っているという事はないだろう。少々険悪な雰囲気で別れたこともある、一緒に行動したくないというかもしれない。
シンシ様。様付けするということは当然目上の人だ。しかし一体誰がシンシ様なのかと聞いてくるのは意味がわからない。
「一応確認なんだけど、杜舎派と萱場派は殺傷モノのいざこざになってるってことでいいんだよな?」
「多分ね。今までかなり仲が悪かったんだろうけどここにきて決裂が決定的になった」
その要因は一体何だろうか。最初におかしなことが起きたのは木村が死んでから。しかし具体的に何かが狂い始めたのは二人目の犠牲者が出てからだ。あれ以降突然行動が過激になり、相手を罵り火事まで起きている。あんなことをするなんて、と言っていたのだから旅館の人間が放火したのは間違いない。
想定外のことが起きて混乱しているのはあるだろうが、ここまで暴走させる決定的な何かがあったはずだ。
――まさか、それがシンシ?
そこまで考えていた時、女性の悲鳴が聞こえた。それは香本だけではない他の二人にもはっきりと聞こえる距離だった。間違いない、相川の声だ。
「急ぐぞ!」
梅沢の叫びに三人同時に走りだす。そう遠くではない。そして見えてきたのは十人以上の旅館の人間や地域住民と思われる人に囲まれている坂本と相川の姿だった。坂本に至っては二人がかりで地面に押さえつけられていた。考え事に集中していて音に気が付かなかった。
人数はあちらが多い、不利だ。物陰から隠れて油断したところをどうにかすることもできたのだろうが、今まさに相川が刃物で殺されそうになっている光景にそんなことをしている暇は無いと冷静に考える。
「やめろおお!」
梅沢が叫んだ。取り囲んでなった者たちの注意が一斉にこちらに向く。刃物を持っていた壮年の男を梅沢が思いっきり殴りつける。その様子に驚いて油断したらしい坂本を押さえつけている男の一人を香本が後ろから後頭部を殴りつける。もう一人の方は思いっきり突き飛ばし坂本の腕を掴むとそのまま勢いよく引っ張り上げた。
逃げ出そうとしたが相川がしゃがみ込んでしまっていてあっという間にまた囲まれてしまう。助けたつもりが全員逃げられない状況になってしまった。
緊張した面持ちの梅沢や坂本は隙を見て逃げられないか注意深く周囲を観察する。取り囲んでいる者たちが異様な雰囲気であることに気づいた。殺気立っているのではない、逆だ。怯えているように見える。刃物や畑仕事で使うであろう農具をこちらに向かって突き出してはいるが、手が震えているのだ。
――なんだ、何に怯えてるんだ。
「なんなんだよてめえら!」
怒りをあらわにして坂本が怒鳴った。その声に負けない位ほとんど悲鳴に近いような声で、男の一人が叫ぶ。
「お前ら一体、どこで入れてきたんだ!」
意味がわからず全員黙り込む。入れてきたとは何のことか。
「ありえない、こんなにたくさんの人間に入ってるなんて!」
「入るって何のこと」
香本の言葉に住民たちは誰も答えない。坂本が何か喚きそうになったが、手で制して香本は冷静に問いかける。
「あなたたちの言っている意味がわからないと、こちらも答えようがない。あなたたちは何を知りたいんですか」
あくまで冷静にそう聞くと、住民達は戸惑いながらも叫ぶ。
「虫」
「え?」
「虫をいつ入れた! 誰と寝たんだ!」
性行為のことを言っているのはわかるが、虫とは何なのかがわからない。虫、隠語なのだろうか。
「……ここの仲居と寝た奴は虫が入る。虫がいる奴同士が寝ると虫が殺し合う! 一人死ぬくらいならヤりすぎた奴がいたんだろうと思うが、二人も死ぬなんてありえない!」
あまりにも不可解なその言葉に誰もが怪訝そうな顔をする。しかし香本は一つのことに思い至りまさかという思いで住民たちを見渡してから意を決してこう言った。
「それはこの地域に伝わる不老不死伝説やアケビと何か関係があるんですね」
香本の言葉に取り囲んでいる者たちは戸惑ったようにお互いの顔を見合わせている。まさかはっきりと断言されると思っていなかったのだろう。
少し興奮状態ではあるが話を聞いてもらえそうだと思い杜舎派ともう一つの派閥、今この二つが殺し合いを始めているのではないかということを訊ねるとこちらに向けていた凶器をおろし始める。落ち着いてきたというよりどこか諦めたような様子だ。