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それに比べて久保田はまるで長年研究しているかのようなそんな印象だ。専攻は比較文化論。日本の文化や宗教と海外の文化を比較し社会の構築の仕方などを紐解いていく科目である。文化には民話や風習にも通じるものがある。
「久保田先生のことが好きだとか」
「なんでそっちに行くんだよ。自分が真剣に取り組んでる事について詳しいから、尊敬してるってところじゃないかな。梅沢って女の子と気軽に遊びに行ったりしてそうなのに恋は盲目っていうか、本命が絡むとちょっと馬鹿になるね」
まさか自分の気持ちが知られていると思っていなかったらしく梅沢はわたわたと慌てる。
「いや、なんていうか」
あまりそういうことに興味がない香本はからかうつもりはない。人は見た目ではわからないんだなと思っただけだ。
「さっきの火事だけど、火の手が回るのがやけに早かった気がする。火災報知器が鳴って振り返ったらもう黒い煙が上がってた」
「放火とか?」
「どうだろう、それをやるメリットは何もない。こんな状態になったら他のお客さんが火をつけたって線も考えられるけど」
そこまで話して香本言葉を止めた。梅沢に静かにというジェスチャーを示し木の影に隠れる。人の話し声が聞こえてきたのだ。耳元に手を当てて意識を集中して会話を聞く。
まさかあんな事するなんてね。
――スタッフか。慌てている様子は無い、これだけじゃわからないけどもしかしたら杜舎かもしれない。
普通やらないでしょあんなこと。火事にしちゃってどうするつもりなのかしら。
――火事? まさか本当に放火なのか?
全員違ったけど、もし本当にシンシ様がいたらどうなっていたことか。
――シンシ様?
遠ざかっていく会話に聞き取れたのはその部分だけだった。しかしなんだかとても恐ろしいものを聞いた気がして香本は口元を押さえる。
――落ち着け、情報整理するんだ。
全員違ったけど、と言っていた。これは今までの推測に当てはめると客か、病にかかった人間のことだ。シンシ様とやらがそれにあてはまるなら杜舎は病にかかった人を蔑んだり殺さなければと思っていないということになる。ではなぜ客を殺したのだろうか?
もし本当に、という表現を使ったという事は該当している者は彼らにも区別がついていないということだ。しかし確かめる術は確かにある。
先程の火事を責めているような内容なら、あの火事は萱場派によって引き起こされたということにはならないだろうか。
「考えてるとこ悪いんだが、逃げたほうがいいのかそれともじっとしてたほうがいいのか」
「あ、ごめん。今はじっとしてた方がいい、旅館の人たちがウロついてるみたいだ」
「体力はもう回復したし、俺はそろそろ動いてもいいぞ」
「そう、だね。少し移動しよう」
旅館を火事にすることに何の意味があるのか。今は考えてもわからない。
――萱場派の人も精神的に相当参ってる人はいたようだし、内部分裂とかしてる可能性もあるか。火事になれば消防車が必ず来る、場合によっては違う地区からもだ。外部の人を招き入れたかったか、いい加減嫌になって旅館ごと消したかったか。
記憶と方角を頼りに別の地区に向かう。しかし気になるのは山の方角は確か杜舎だったはずだ。こっちにこのまま進んで良いのだろうかという不安な気持ちはある。
秋の日没は早い、冬至の前は夕方の四時台には日が落ちてしまう。旅館を出たのが大体昼過ぎ。日が落ちてしまう前になんとか辿り着きたいところだ。
スマートフォンを見てみると相変わらず回線状態は悪い。しかしアプリには坂本からメッセージが入っていた。
火事から逃げ出した、旅館の連中がたくさんいたから山の方に逃げているという内容だった。それを見た梅沢が自分達もそっちに逃げているとメッセージを送った。
「久保田先生と茜ちゃんは既読がつかないな。うまく逃げられてればいいけど」
その後二人でしばらく黙々と進み続けた。時折人の声が聞こえて隠れていたのでうまく進めないこともあった。一時間ほど過ぎた頃だろうか、ようやく久保田と茜がメッセージを見たようで既読がついた。しかも坂本達と合流したという。四人いればタブレットなども四台になる。地図アプリを使ってなんとか脱出を図るとの事だった。彼らに別の地区のことを教えるとそちらに向かうという返事が来た、それならもしかしたらどこかで合流できるかもしれない。目印などはないし大声を上げるわけにもいかないので運が良ければ会えるかもというメッセージを送った。
ひとまず彼らは無事に合流できたということがわかって一安心した時だった。パァンパァン、とどこかで大きな音がした。間違いない、発砲音だ。
「また東雲かな」
「……警察官、だと思う」
「なんで?」
「警察官の拳銃って犯人を威嚇するために一発目は空砲だって聞いたことがある。即座に二発目を撃ってるって事は、相手に当てるつもりで撃ってるだろうから」
目の前で客が撲殺されてるの見ている以上もはや驚いたりはしないが、本気で殺しにかかってきているのだということがよくわかる。火事が起きて客が一斉に外に逃げてしまった。地元住民はどうするつもりなのか気になっていた。
「皆殺しにするっていう事なんだよなこれ」
青ざめた顔でつぶやく梅沢に香本は「たぶん」とだけ言った。
今の音は反響してどこから聞こえたのかは香本にもわからなかった。しかしそれほど遠くではないというのはわかる。
「あれ?」
耳をすませていた香本が怪訝そうな顔をして周囲の様子を伺った。
「この声、坂本?」
「え?」
「坂本達の声がする」
「もしかしてさっき銃で撃たれたのって坂本たちなのか!?」
「わからない。でもこっちに来るみたいだから合流できるかもしれない」
聞こえるのは坂本や女子の悲鳴だ、相川と茜二人が甲高い悲鳴をあげながら走っているようだった。やがて梅沢にも聞こえてきたのか声のする方を注意深く見る。
「大丈夫、追ってくる人の声が聞こえない」
「わかった。おい、坂本!」
見つかる心配がないと分かり梅沢は声を上げた。梅沢、梅沢君、という皆の声が聞こえようやく目視で姿を確認することができた。坂本、相川、茜。久保田がいない。
「久保田先生は」
「わかんねえよ! いきなり警察が銃で撃ってきて、みんなこっちに逃げてきたんだ! 早く逃げねえと!」
坂本の声が大きく周囲の音が聞きづらい。今本当に追手がいるのかいないのか香本には区別がつかなかった。坂本の今の声の大きさであればまたあの怒りの症状が出るというほどではないが、あまり近くにはいないほうがいいかもしれない。
「久保田先生、探さないと!」
「逃げる方が先だ!」
「でも!」
「ごちゃごちゃうるせえな、そんなに行きたいなら一人で行け! 死にたいなら一人で死ねよ! 俺を巻き込むんじゃねえクソ野郎!」
茜と坂本の言い争いに相川はオロオロとするだけだ。梅沢がいくらなんでも言い過ぎだとようとしたときには遅かった。茜は思い切り坂本を睨みつければ吐き捨てるように言う。
「最低、お前が死ね」
それだけ言うと来た道を走って戻っていく。
「茜ちゃん!」
梅沢の叫びにも聞こえていないかのように反応せずそのまま走っていってしまった。梅沢が一瞬戸惑ったようだが香本が梅沢の腕を掴んだ。
「追いかけよう」
「え、あ、いいのかお前」
「こういう時は直感を信じたほうがいいよ」
そういうとチラリと坂本を振り返り言った。
「危ない目にあって苛立つのはわかるけど、言っていい事と悪いことの区別くらいつけてくれ。久保田先生がいなかったら僕たちもっと早く死んでいたかもしれないんだ」
坂本の返事を待たずに香本は走り出した。後ろからは勝手にしろと怒鳴る声が聞こえる。梅沢には言えないが実は坂本と一緒に行動したくないが故の決断だ。声が大きい冷静な判断ができるとは思えない。トラブルメーカーそのものだ。それに少し気になることがある。
「坂本ってあんなにキレやすいキャラだったっけ」
比較的坂本としゃべる機会が多い梅沢に聞くといや、と否定する。
「確かに口が悪い時はあったけど陽キャで面白いやつだよ。ちょっとオラオラしてるとこあるけど、基本女の子には優しいからあんな感じじゃない」
茜と特別仲が悪かったというわけでもない。そんなこと言ってる場合じゃないだろというならまだしも、そこまでの暴言を言うほどではなかったはずだ。




