ココロノツバサに蓋をして 3
その年の冬、小岩剣は短周期彗星のように、再び青森へ戻って来た。
ニセコも、臨時列車となった寝台特急「日本海」で青森へ向かう。
臨時列車となった寝台特急「日本海」は、かつての堂々たる長大編成ではなく、電源車を含めた7両編成になった上、A寝台車が編成から抜かれた。
一方で、小岩剣の乗る寝台特急「あけぼの」もまた、東北新幹線新青森開業後も秋田―弘前間の地域輸送でなんとか生き長らえていたが、それでも、風前の灯だ。
青森行き下り寝台特急「あけぼの」は、雪の中を定刻通りの時刻で、順調に青森を目指していた。
先頭を行くJR東日本色の赤2号のEF81‐139が、線路に積もった雪を巻き上げて、列車を牽引する。
だが、本来、先行するはずの「日本海」が「あけぼの」の後を走っている。
「あけぼの」は、定刻通りに青森へ到着した。
しかし、そこに、ニセコの姿は無い。
(えっと、日本海の到着は12時42分。まいったな。)
と、小岩剣はニセコからの連絡を見直し、八甲田丸に乗って時間を潰す。
遅延では無い。
臨時列車となった「日本海」は、運転ダイヤが大幅に変わって、所要時間が増えてしまったのだ。
ようやく、時間になると「おじさん」こと、松江次郎が待っていた。
「おじさん。」
「やあつるぎ君。明けましておめでとう。」
「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」
「元気にしていたか?」
「はい。いや、ニセコ姉さんやおじさんに会えなくて、寂しい思いはしましたが―。」
「大学も決まったんだっけ?」
「はい。おかげさまで、鉄道総合大学に、推薦入学することになりました。」
そう言った時、奥羽本線の線路に、JR西日本色のローズピンクのEF81に牽引された「日本海」が見えた。
(よかった。臨時列車化しても、なんやかんやで走っていて。やっぱり、「ココロノツバサ」って物で、導かれる。)
と、小岩剣は思いながら、列車を出迎える。
いくら、臨時列車となって、運転ダイヤが大幅に変わったと分かっていても、実際に「日本海」を見ないと不安でしかなかった。
列車が入線してくると同時に、鉛色の空から雪が降り出す。
B寝台車だけのあまりに寂しい状態ではあるが、一応それなりに乗客は乗っている。しかし、定期で走っていた時に比べると、少ない。
臨時列車の所要時間と料金から見れば、青森空港までの航空機利用の方が速いし、長距離バスの方が安い。
こればかりは、どうすることもできない。
4号車の乗降口が小岩剣の前で止まる。
「つるぎ君。言い悪いことなんだが、実は―。」
「日本海の件、ですか?」
「いや、それじゃない。」
「なんですか?」
松江次郎は珍しく、何かを隠すように言っていた。
「まっ、すぐに分かる。」
ドアが開いた。
車内から、松江ニセコが降りてきた。
「ニセコ姉さん!」
いつもなら、こう言ったらニセコは「やっほー」っと言って、笑いあって抱き合うシーンになるのだが。
「つるぎ君。お父さん。ただいま。」
と、僅かに微笑んだだけだ。
そして、ニセコの後に続いて降りてきた男。
「初めまして。お父さん。そして、弟君。」
「えっ―。」
小岩剣はその時、何が起きているのか解らなかった。
「実は、ニセコは結婚することになったんだよ。」
松江次郎から聞いたその言葉の意味が、小岩剣には解らなかった。
ニセコと再会し、結婚を前提の付き合いをしていたはずだった。
それを後押しするかのように、「日本海」は臨時化されても走り続け、「あけぼの」も、東北新幹線が新青森に延伸されても走り続けていた。
だが、ニセコから、そのことに関して、そして、結婚することになる経緯に関する話は無かった。
ただ一つ、ニセコのお腹が大きくなっていた。
「まさか―。」
と、小岩剣が言った。それに答えたのは、「おじさん」だった。
「いわゆる、出来ちゃった婚ってヤツさ。」
その時、雪は更に強くなり、青森車両センターから来たDE10は雪まみれになっていた。
その時は、ニセコの結婚祝い会のようになった。だが、小岩剣に至っては、何も出来なかった。
自分は今、夢を見ていると思っていた。
そのため、何度も何度も、一人になると、壁に頭突きしたり、洗濯バサミをあっちこっちに挟んだり、挙句の果てには、自分の急所を棒で叩きのめしたりして、夢から覚めようとした。
だが、夢ではない。
(たった一晩、寝ただけの相手に転がり落ちるなんて、考えられない。ココロノツバサって、そんなに脆い物だったのか。)
と、小岩剣は、海岸から吹雪の陸奥湾を眺めながら悲しく思う。
しかし、たった一晩だけ寝たのではなかった。
松江次郎曰く、小岩剣が記憶を取り戻して、再び青森へ帰ってきた時、すでにニセコと相手は付き合っていたのだ。
付き合うか付き合い出してから僅か数週間で、過去の記憶を無くしていた小岩剣が、何も知らないまま、ノコノコ青森にやって来て、偶然、松江次郎と再会した。
要するに、最初からこうなる運命だったのだ。
青森で1泊だけすることになっていたニセコと小岩剣だが、最後の最後まで、小岩剣は現実を受け入れられなかった。
(だったら、失った記憶なんて、思い出さなければ良かったのではないか。そうすれば、自分も苦しまなくて済んだし、姉さんだって、再会した時、感情を爆発させるような真似をしなくて済んだのに。)
ニセコが青森から大阪へ帰る。
青森を発つ順番も、「日本海」が先で、小岩剣の乗る「あけぼの」は後発になってしまった。
なので、嫌でも小岩剣は、大阪へ彼氏と一緒に帰るニセコを見送らなければならない。
ニセコの彼氏が先に、列車に乗る。
小岩剣は思わず、ニセコの袖を掴んでしまった。
「行かないでよ。姉さん。」
いつになく、暗い声で言う。
「あっ、ごめん。ヤス。先に乗ってて。」
と、ニセコは彼氏に笑顔で言った。
「どうしたの?」
「姉さん。言ったよね。「記憶が無いなら、また新しい記憶を作っていこう。昔から私達は姉と弟のようなものだった。将来は一緒になるんだ。」って。アレ、何だったの?」
「あれ、は―。」
ニセコの目が泳いだ。
「心配したって始まらない!「日本海」無くなっても「あけぼの」無くなっても、どうなるかは分らない。でも、「ココロノツバサ」って物を信じろ!列車のヘットマークに描かれたツバサは、必ず、また私たちを巡り合わせる!どんな姿になってでも、会える!って言ったのは、あれ、嘘だったの?」
「―。」
「結局、信じた結果がこれなのかよ。だったら、姉さんとなんか、再会しなければよかった。会えなくなるのなら、関係も消えちまうのなら―。俺、鉄道員になって、姉さんの婿になりたかった。でも、こうなるのなら、全部やめちまうよ。」
「それは違う!」
ニセコが言い返した。
「つるぎ。再会しなければ、つるぎは永遠に彷徨っていた。再会したから、今、つるぎはここに居る。そして、鉄道員になるって夢を―。」
「勝手に言ってろ。もういい。」
小岩剣は、ホームから立ち去ろうとする。
「待って!」
ニセコが小岩剣の腕を掴む。
だが、そこから何も言えず、発車メロディーが流れ始めたのでニセコは何も言わず、列車に乗ってしまう。
松江次郎も、見ているしか出来ない。
ドアが閉まった。
臨時寝台特急「日本海」は大阪へ向け発車する。
動き出した列車の最後尾の電源車が小岩剣の横を通過し始めるとき、小岩剣は思わず、列車の行く方へと駆け出した。
ホームの先端に達した時、小岩剣は、
「姉さんの馬鹿野郎!元気で過ごせよ!」
と叫び、そのまま泣き崩れ、ニセコから最後の連絡が入った。
「私、嫁さんになったからね。彼ピッピがいるのに、他の男の子と連絡するのはあまり忍びない。だから、もう、連絡しないね。最後に、つるぎ、元気で生きるんだよ。私がいなくても、つるぎは生きられるよ。一人じゃないよ。じゃあ、サヨナラ。」
その日をもって、臨時列車となった寝台特急「日本海」が青森にやって来ることは、二度と無かった。
小岩剣もまた、その日の「あけぼの」で青森を発った時、
「もう、帰ることは無いでしょう。」
と、松江次郎に告げてしまった。
そして、小岩剣は太陽系軌道から離脱して行く非周期彗星のように青森を発ち、本当にその日をもって小岩剣が「あけぼの」に乗る事も、青森へ帰る事も無くなってしまった。
それから2ヶ月後のダイヤ改正の後に臨時寝台特急「日本海」は運行されなくなり、青森車両センターから「日本海」用として残されていた24系客車の多くが、長野総合車両センターへ廃車回送された。
JRからは存廃についての確定的な発表等はないが、24系客車と同じく波動用として残っていた583系寝台電車も全車運行終了となり、臨時列車の運行に限っても、最終運行時と同じように実施するのは不可能となった。
そして、更に半年後の11月。翌年の3月ダイヤ改正をもって、遂に、最後まで残った「あけぼの」の臨時列車化が決定した。
定期最終運行日となった3月14日。
上野駅、大宮駅には大勢の鉄道オタクが詰め寄った。
だが、その中に、小岩剣の姿は無い。
最後の列車の車内にもいなかった。
その後、臨時列車として何度か運転された「あけぼの」も、遂に終焉の時を迎え、秋田の小坂鉄道等で保存されることになった一部の車両の他は、長野総合車両センターへ廃車回送され、解体されればよかった。
長野総合車両センターへ廃車回送されたのはごく一部だった。
多くは、海外輸出のため秋田港へ集結したのだが、その話が直前になって頓挫し、既に車籍を抹消された車両は宙に浮いて、秋田港駅に放置されている。