ココロノツバサに蓋をして 2
羽後本荘から青森までは、立ち席特急券で利用が可能である「あけぼの」は、秋田で下車客と入換わりに、大勢の行商人が乗ってくる。
上野を出た時の乗車率は80%近かったが、秋田を出ると一挙に100%近くまで跳ね上がったように見える事から、いかにこの列車が、地域に密着した欠かせない列車であるかが分かる。
(でも、車両の老朽化は―。頼むから、新型車両を。)
と言う小岩剣の想いとは裏腹に、JR各社はVIP向け豪華列車を計画している。
そのために、利用客が多く、地域に密着した列車を切り捨てるのはどうなのだと思う。
弘前駅を出て、新青森駅を通過し、列車は、上野から長い旅を終え、青森駅にゆっくりと入線する。
雪の中の青森駅に、赤いEF81‐138電気機関車に牽引される青い24系客車の車列が滑り込む。
7号車の乗降口が、松江ニセコの前で止まった。
ドアが開いた。
「姉さん。」
「久しぶり!つるぎ。元気にしてた?」
「ああ。この通り!」
ふざけて、へんちくりんなポーズを取る小岩剣。
それに釣られて、松江ニセコも目茶苦茶なポーズを取り、お互い笑いあって、抱きあっていた時、列車の先頭のEF81が、重荷を切り離して入換線の方へ引き上げ、青森車両センターから来たDE10が、客車を青森車両センターへ回送するため、列車の最後部に連結されていた。
津軽線の普通列車の時間まで、暖房の効いた待合室で、温かいお茶を飲む。
だが、小岩剣は、先ほどは再会の喜びに沸いたのだが、A寝台に乗った自分を、年上の姉のようなニセコが大人と見てくれたのか解らず、また、不安になる。
寝台特急に乗って帰郷する時、A寝台に乗る事は、一種のステータスだった。
特に、「あけぼの」は、急行「津軽」と並ぶ名列車であった。
かつて、就職列車で上京した若者が帰郷する時は「津軽」又は「あけぼの」で帰れ!と言われ、「津軽で帰るのだ!」「あけぼので帰るのだ!」と、若者は奮闘し、「津軽」や「あけぼの」で帰郷して故郷に錦を飾った。
そして、そんな列車の中でも最高クラスと言えるだろうA寝台個室に乗れた自分を褒めてほしいと、小岩剣は思ったのだが。
「日本海、無くなっちゃうね。」
と、ニセコが切り出した。
「―。」
「青森、帰れないかもしれない。」
「―。」
小岩剣は何も言えない。
「あけぼのは、残るんだよね?」
「でも、時間の問題だよ。怖い。怖いよ姉さん。怖いから―。」
「怖いから?」
「―。」
その後が言えない。
何と言おうとしたのだろうか。
津軽線の普通列車がホームに入線する。
701系が2両編成。
小岩剣がさっきまで乗っていた「あけぼの」は機関車と電源車を含め10両編成の堂々たる寝台特急。
松江ニセコが乗ってきた「日本海」も同じく10両編成。
どちらもかなりの乗車率だったが、こちらはまばらな客数でロングシートに着席してしまえた。
「あっ。」
と、ニセコ。
「お父さん。ただいま!」
「おう。おかえり。ニセコ。それに、つるぎ君。」
松江次郎。松江ニセコの父で、青森運輸区所属の車掌だ。
松江ニセコの「ニセコ」は、かつて、国鉄時代に乗務していた急行「ニセコ」から取った物だ。
「えっと、その―。ただいま、です。」
いつにも増して、ぎごちない挨拶をする小岩剣。
津軽宮田まで行く。
青森を出てすぐ、青森車両センターを通過する。
「あけぼの」「日本海」「はまなす」用の客車に混じって、特急「白鳥」「スーパー白鳥」「つがる」「かもしか」用の特急電車、普通列車の701系といった車両と、電気機関車が止まっている。
(「日本海」が無くなり、北海道新幹線が出来て、みんな無くなったら、ここはどうなっちゃうんだろう。)
と、小岩剣は更に不安になる。
不安になればなるほど、胃が締め付けられていく。そして、中身を吐きそうになる。
「どうしたの?具合悪いの?」
ニセコが心配する。
「ああ。大丈夫。大丈夫だよ。きっと。姉さん。」
何が大丈夫なのか分らない。
だが、ことのときの「大丈夫だよ」は、自分に向かって言ったのだろう。
津軽宮田駅で普通列車を降りる。
「ここから見る景色は、昔のままだよね?」
と、小岩剣は言う。
「変わってないよ。ずっと。」
「だ、よね。」
「どうしたの?本当に?」
ニセコが心配する。
ニセコは手をつなごうと、左手を出してきた。それを握ろうとして、握れず、せいぜい、右手の小指を引っ掛けるだけだった。
「姉さん、「日本海」が無くなっても、帰ってくるよね?」
「あっもしかして、将来の不安?」
「うん」と小岩剣は肯いた。
本当は、(「日本海」「あけぼの」が無くなった後、どうなるのかな。俺と、姉さんは―。)と言うのが一番不安だった。
そして、A寝台に乗った自分をどう見たのかが解らないのもまた、不安だった。
(かえって、贅沢者って思われたかもしれない。)
などと、後になって後悔してしまう。
松江ニセコの実家に着いた時、津軽線の線路を、青函トンネルを抜けて来た高速貨物列車が通過して行った。
EH500が牽引する長いコンテナ列車だ。
(いっそ、貨物列車に忍び込んでしまえ。)
などと、バカげた事を思いつく小岩剣は、自分で笑ってしまい、それをニセコに見られてしまった。
「いや、「日本海」無くなったら、貨物列車に載って帰ってくればって思って―。」
「貨物列車に、人は乗れません。」
「あっそうだよね。」
そういって、二人で笑いあった。
そして、そうしているうちに、その不安は消えてしまった。
いつもそうだ。
何かあっても、ニセコと二人で過ごしている時、小岩剣は徐々に嫌な感情、不の感情が消えていき、笑顔を取り戻せる。
このときも、そのはずだった。
しかし、このときは違った。
小岩剣が関東へ帰る時だった。
先に、青森を出る「あけぼの」がDE10に牽引されて、青森駅に入線する。
小岩剣が列車に乗る時、ニセコが見送る。
だが、なぜか、列車に乗れない。
「嫌だ。」
と、突然、小岩剣は駄駄を捏ねる。
「ニセコ姉さんと一緒にいたい。」
「―。つるぎ。私だって、そう思うよ。でも、今は―。」
「戻れるなら、戻りたい。ニセコ姉さんの弟で居られる時に―。」
次々と、列車に乗客が吸い込まれていく。
発車時刻が迫る。
でも、小岩剣はニセコの手を握ったまま、列車に乗れない。
なぜか、このとき、この列車に乗ってしまったら、二度と、ニセコに会う事も、青森に帰る事も出来なくなってしまうのではないかと思ったからだ。
後を追うように発車する快速「深浦」の車掌を務める松江次郎も、離れたホームからその様子を見ていた。
そして、「あけぼの」の車掌もまた、心配そうに様子を見る。
発車まで5分を切った。
「行きなさい。」
と、ニセコが強めに言う。
「また、会える?「日本海」無くなっても、青森に帰ってくる?」
「後のことは、後にならないと分らない。会いたいなら、大阪にだって新幹線で来れるんだから、大阪で会えるんだ。「日本海」が無くったって、会える。何なら、私が関東にまで会いに行ってやる。」
「―。」
とうとう泣き出した小岩剣。
「グズるな!」
バチン!と、小岩剣の頬に平手打ち。
「私だって不安だよ。この後どうなるのかって。でもね、心配したって始まらない!「日本海」無くなっても「あけぼの」無くなっても、どうなるかは分らない。でも、つるぎの言う「ココロノツバサ」って物を信じろ!列車のヘットマークに描かれたツバサは、必ず、また私たちを巡り合わせる!どんな姿になってでも、会える!」
「―。」
「誰が「ココロノツバサ」って言い出した!?言い出しっぺだろ!?言い出しっぺが「ココロノツバサ」を信じないでどうする!?だったら、私は何を信じればいい!?」
「―。」
「ちったぁ、大人になりやがれ!」
発車メロディーが鳴り始めたホーム。
ニセコは、小岩剣にパンチを喰らわせ、車内にぶち込む。
ドアが閉まった。
「姉さん!」
「行けっ!必ず会える!「日本海」が無くったって!」
「ピィーーッ!」と、EF81‐137がホイッスルを鳴らす。
上り寝台特急「あけぼの」は、上野を目指し、青森駅を発車した。
見送るニセコの姿はあっという間に見えなくなってしまった。
青森駅も見えなくなる。
車内放送が流れる。
青森の景色が、どんどん遠ざかっていく。
その日、小岩剣は列車のB寝台個室に引き篭る。
(信じろ。自分で言い出した「ココロノツバサ」を!)
その言葉だけが、車内で泣いている小岩剣を励まし続けた。