ココロノツバサに蓋をして
「厳正なる選考の結果、小岩様のご期待に沿いかねぬ結果となってしまいました。今後の小岩様の更なる活躍をお祈り申し上げます。」
電話が切れた。
小岩剣は舌打ちする。
神田明神で、就活の成功を祈願した矢先にこれだ。
「まっ仕方ないか。」
と、小岩は溜め息を吐く。
今、連絡を貰ったのは、何を思ったか知らないが受けた、日本交通のタクシー運転手の最終選考の結果だったのだが、なんとなくで受けたのでは、受かるわけない。
一応、小岩剣は、東京都内のタクシー会社の内定は貰っている。
日の丸交通といった準大手。
テレビ会社御用達、東京無線。
そして、日本交通とFC契約を結んでいるグループ会社が数社。
だが、
(とりあえず内定貰えたものの、どこも行く気しねえ。)
と言うのが、小岩剣の本音である。
実際問題、小岩剣が本気でやりたいことは、鉄道事業。「自分も、自分が尊敬している車掌のような、鉄道乗務員になりたい。」と言う思いを積み重ね、高校は普通科だったが、大学では、それを専門に扱う大学に通い、苦労して、旅行業務取扱管理者や構内の教習線用として甲種内燃動車運転免許といった、必要な資格を取得。ついで程度ではあるが、フォークリフト講習等も受講。これを活かし、鉄道会社へ入ろうとしていた。
だが、小岩剣の大本命は寝台列車の車掌である。
しかし、その寝台列車という存在はどうだろうか?
それは、先にも言及したが、それに加えて、今、小岩剣が居るこの上野駅の状況からも、悲惨な状況である事は誰でもわかる。
上野発の寝台特急専用ホームと言える存在だった、低いホーム13番線。
だが、「北斗星」「カシオペア」のパネルポスターや東北、北海道方面へのパンフが置かれていた五つ星広場を始め、ホーム全体の明かりは少なくなり、パネルポスターも、パンフも取り除かれ、ほんの申し訳程度に、ボロボロの冷たいパイプ椅子が置かれているだけ。
そして、13番線と14番線の合間にあった、新聞積込み用ホームには、「北陸」「あけぼの」「北斗星」「カシオペア」と言った寝台特急のヘッドマークが描かれていたのだが、それは消され、代わりに出来たのは、団体用豪華寝台列車(ボッタクリ列車と小岩は呼んでいる)「四季島」用乗降口だ。
小岩剣は「四季島」や「ななつ星」のような次世代型豪華寝台列車の乗務員になろうとは思わない。
「あの列車はどこを目指しているのか分らない。行き先不明のミステリー列車なんか、乗りたくない。客としても、乗務員としても。」
と言うのが、小岩剣の心情だ。
13番線に、上野駅始発の普通列車が入ってきた。
それに乗る。
上野を出て、尾久車両センターを通過する。
寝台特急用の24系客車や14系客車がいた線路には今、JR東日本が新たに製造したレール運搬用事業気動車や、改造待ちの元特急「あずさ」用E257系が居る。そして、機関車もまた、牽引する物が無ければお役御免だ。
(そもそもな話、新幹線が出来たのがいけねえんだ。何が夢を運ぶ新幹線だ。そのせいで、こっちはニート一直線じゃねえか。馬鹿野郎!何がココロノツバサだ!)
と、小岩剣はまた悔しがった。
ーーー
17歳の小岩剣が、上野駅21時15分発、寝台特急「あけぼの」青森行きに13番線から、小さなリュックを持って乗り込む。
いつものB寝台ではなく、バイトを増やし、頑張って得た資金と僅かな親類からのお年玉を使い、奮発してA寝台個室「シングルデラックス」に乗る。
列車の先頭部では、EF64‐1053が出発時刻を待っている。
スロネ24‐552に乗り込む。前から4両目の7号車だ。
一応、列車の先頭車両は隣りの8号車、指定席扱いの「ゴロントシート」だが、その前にも電源車と電気機関車が居るので、実質、前から2両目の客車だ。
汽笛一声。上野駅を定刻通りに「あけぼの」は発車。
「姉さん。今、「あけぼの」乗ったよ。そっちはどこ?」
「えっと、あと15分程度で金沢かなぁ。」
「そうか。じゃあ、今のところ定刻通りだね?」
「うん。いやぁ、つるぎもA寝台に乗れるようになったのかぁ。」
「何だよ姉さん。まだ、俺は子供だから、B寝台で我慢しろってんのか?」
「違う違う。大人になったなぁってね。」
「あははそうなんだ。」
「来年受験でしょ?」
「まあね。」
「推薦取れるって話だけど―。」
「ああ。推薦取って、それで、鉄道学校入って、鉄道員になる。松江のおじさんのようなね。」
電話の向こうで、ハイケンスのセレナーデのチャイムが流れ「まもなく金沢です」と車内放送が流れていた。
「じゃあ、そろそろ寝るね。私も、今日はA寝台よ。おやすみ。」
「はーい。おやすみなさい。明日、青森でね!」
電話が切れた。
荒川橋梁を渡り、「あけぼの」は大宮に止まる。
大宮駅では7番線に、鉄道オタクが集まって「ヤイノヤイノ」言いながら撮影している。
それを尻目に、大宮を出ると高崎線をひた走る。
高崎を出て、寝台に横になる。
列車は眠っている間も走り、長岡駅でEF81‐138に機関車を換える。
一瞬、目を覚まし、トイレに行くと、列車は新津駅に停車中。
トイレから戻り、寝台に潜り込むと大阪へ向かう上り寝台特急「日本海」が入線してくる。
再び目を瞑り、ハイケンスのセレナーデのチャイムで目を覚ますと、まもなく秋田。
A寝台個室には、折りたたみ式の洗面台が備えられており、これを使って顔を洗って歯磨きをし、ベッド部分を格納してソファー状態に転換し、上野駅で買っておいたパンとお茶で朝食にしながら、窓側のオーディオ装置を起動させてクラシック音楽を聞く。
ちなみに目覚まし時計も備えられているのだが、小岩剣は列車に乗ると身体が自然と、同じ時間に寝て、同じ時間に起きてしまうので、一応はセットしたものの、意味はなかった。
また、窓側のラックには映画上映用テレビがあったが、今は撤去された。
(行きは開放B寝台。帰りはB寝台個室が多かったけど、今回は行きA寝台個室、帰りB寝台個室にした。姉さん、A寝台に乗っている俺のこと、どう見てくれるかな。大人になったって認めてほしい。いつまでも、子供じゃ、姉さんも嫌になってしまいそうで、それが不安。)
小岩剣が今回、A寝台に乗ったのは、彼の周りの事があった。
親友である三奈美つばさは、長野に居る彼女と関係が行き過ぎて、大学も長野の大学に行き、そのまま同棲しそうな勢いだ。
そして、同級生である下山我孫子は彼氏の清美と変わらず付き合っているが、こちらは将来のことまで考えている。
幼馴染みの広瀬まりもにも、別の高校の先輩の彼氏が出来ていた。
こうした中、小岩剣は愛しい人と離れ離れで、滅多に会えない上、自分は未だ、周りに頼りながら生きるような状態では、最愛の姉のように付き合っている年上の交際相手松江ニセコもいつか、そんな自分に愛想を尽かして、別の人とくっついてしまうのではないかと不安になった。
そうした不安をなんとかするため、そして、松江ニセコに大人になったと認めてほしい。そんな思いから、今回、A寝台個室に乗り込んだのだ。
そして、そんな思いを更に加速させる重大な事象が発生した。
それは、松江ニセコの住む大阪と、小岩剣、松江ニセコ両者の生まれ故郷である青森を結ぶ寝台特急「日本海」が、2012年3月を持って、臨時列車化されることである。
臨時列車化。
それは、もはや「廃止」と言われたに等しいものである。
(「日本海」が無くなった後、どうなるのかな。俺と、姉さんは―。)
小岩剣は、それが最も不安であった。
小岩剣と松江ニセコの関係は、寝台列車があってこそ成立する関係だった。
小岩剣が大阪に行く事もあったのだが、二人が二人で居られる場所は、青森。
二人が出会い、別れ、再び歩き出した場所であるからだ。
そして、そんな場所と大阪を結ぶ寝台特急「日本海」と、小岩剣の住む関東を結ぶ「あけぼの」は、2人の関係を保つ上で、最も重要な列車であった。
その列車の片方、「日本海」が無くなろうとしていた。
電話が入る。
それに応える。
「つるぎ?今、青森着いたよ。そっちは?」
「まもなく碇ヶ関だよ。」
「オッケー。待ってるね。」
そんな会話も当たり前に出来るのだろうか、小岩剣は不安を抱えていた。