碓氷鉄道文化むら
「久しぶりだね!元気してた!?」
と、松田彩香が小岩剣に言う。
「ええ、まぁー。」
小岩剣、答えに詰まる。
黒髪のお下げ頭に眼鏡を掛けた明るい顔の松田彩香は、いかにも優等生という容姿。
鋭い眼差しながらもどこか幼さや弱さがある容姿の三条神流の横に立つ様は、SLの補助機関車のようだ。
そして、三条神流もまた鋭い眼差しを持っているが、その奥には石炭の火のようなものが見えるのは、蒸気機関車のようだ。
一方で、小岩剣と来れば、地方鉄道で小さな貨物列車を引っ張る小さな機関車だ。
小岩剣は同い年の者と比べると圧倒的に幼い。
小学校教諭の虐待により幼少期の記憶のほどんどが失われ、その影響か、社会人になっているにも関わらず、まるで少女のような美しい顔を持つ少年と言うべき容姿の持ち主で「カッコいい」というより「可愛い」と言われることが多い。また、片目が青い瞳を持つオッドアイを隠し持っている。このオッドアイを知る者は、小岩剣の両親とかつての婚約者だけ。
EF63が収容展示されている、かつての横川運転区の検修庫を歩き、裏手の野外展示スペースに向かう。
「んだよこれ。邪魔くせえ。」
三条神流、通路の真ん中に置かれた「生滅!」のキャラクターのプラ看板に舌打ちする。
「文句言わない。」
「だってさ、人が歩く通路に、こんなキャラクターのプラ看板置かれて、通行の邪魔になってんだよ。」
ドカっ!とプラ看板を蹴飛ばして退かす三条神流。
霧降要が、自分用の他に3人分の峠の釜めしを買ったのだが、これもまた、碓氷峠を越えたEF63と機関士をモデルにした同人誌とのコラボのために、作者や有志が資金を出し合って作ったオリジナルの釜を流用した物なのにも関わらず、件の漫画アニメが入り込んできたと思ったら、そのコラボのために作りましたと紹介されたのだから、作者や資金を出した有志と同人誌の読者や事情を知る一部鉄道ファンから顰蹙を買い、不買運動を起こす者まで現われるほどだった。
(小岩はどっちの立場か知らねえが、カマかけてみるか。)
と、三条神流。
「お前、何しに来た?」
と聞いた。
小岩剣は、先ほどから、漫画アニメとコラボするこの碓氷鉄道文化村に不満いっぱいの態度を見せている三条神流に遠慮してか、
「いや、久しぶりに群馬に行きたいなって思って、その、あっ決してこの生滅のコラボ目当てでは―。」
と、アタフタしながら答えるのだから、三条神流も苦笑いする。
「そうか。それでは、今の群馬の現状にビックリしてんだろう。」
「ええ。その、生滅のコラボで、高崎駅構内がとんでもないことになっていて、びっくりしました。SLも、12系客車の車内が目茶苦茶で―。」
「コラボが終わるまでの辛抱だ。」
「戻してくれなかったら怒りますよ。」
「当たり前だ。」
屋外車両展示スペースの一角、12系お座敷列車「くつろぎ号」の車内で釜飯を食べようとして、今度は小岩剣が足元に置かれた邪魔なプラ看板にぶつかって派手に転ぶ。おかげで封は開けてはいなかったものの、小岩剣の釜飯がひっくり返ってしまった。
「ええい邪魔だボケぇ!」
ブチ切れて、今度はそのプラ看板をぶん投げて破壊した三条神流。
「相当、三条さんは毛嫌いしているようですね。生滅。」
「あっ、いや、すまん。」
三条神流は「やる」と、自分の釜飯を小岩剣に押し付け、ひっくり返ってしまった小岩剣の釜飯を自分が奪う。
「別に悪く言うようではないよ。勝手に群馬の鉄道に入り込んだと思ったら、好き放題を始めるのは、今に始まった話じゃないからね。それに、碓氷峠鉄道文化むらに限らず厳しい経営状況である以上、こうでもして収益を上げようってんだよ。ただ、やり方が気に食わねえ。クイズ番組等で、一般常識として、この漫画のキャラの名前や物語の展開を問われたり、見ていない、興味無い人を貶したりってのが、気に入らねえんだよ。このやり方はまるで、アレを見るのを強制されているみたいで胸糞悪い。」
三条神流は強制される事を嫌うが、この漫画アニメに関する世間の流れはまるで、「見てて当然」「見てない奴は頭おかしい」と、見てない人を村八分にしているように感じる。
だから余計に、この漫画アニメを嫌うのだ。見もしないで。
「本当にお前、何しに来たんだ?」
と、改めて三条神流は聞くのだが、今度ばかりは、答えが出て来ない。
その態度から、三条神流は何かを察した。
(こいつ、何かあったな。生滅コラボ目的で来たのでは無いのは分かったが、久しぶりに群馬に行きたくなったってのもなんか嘘臭いな。)
三条神流は自分のことを話すことにした。
「すまぬ。俺ばかり、根掘り葉掘りお前に問い詰めるのは無作法だな。俺の話をしよう。以前、お前が群馬に来た時、俺が何に乗っていたかを覚えているか?」
「えっ?ええ。確か、地上空母ってやつに乗って、ラジコン飛行機を飛ばして、空から列車を―。」
「今、俺は、地上空母に乗っていない。」
「えっ?あの、えっと―。」
「その当時は「エメラルダス」って呼んでいたが、その後、なんやかんやあった後、「赤城」に改名したんだが、その「赤城」も引退した。それで、鉄道マニアの第1線からも、身を引いて、今は―。」
と、三条神流は松田彩香に視線を飛ばす。
「ああ、そういうことですか。って、あれ?三条さん?」
「どうした?」
「そういう三条さんこそ、どうして、群馬に居るのですか?三条さんのお相手はー」
小岩剣が逆に聞き返したが、それに答えたのは松田彩香だった。
「それには、触れないであげて。」
と。
「まぁ、いろいろあってさ。とりあえず、一つ言えるのは、俺は、今の鉄道に夢なんて物は無い。もう、俺は、鉄道好きの第1線から身を引いた。」
そう答えた上で、もう一度、
「なんでお前、群馬に来た?お前こそ、青森や大阪じゃ無くて、なんで群馬なんだ?」
と聞いた。
だが、小岩剣はとうとう、何も答えることなく、別れる時間になってしまった。
碓氷鉄道文化むらの駐車場に、小岩剣の記憶の中にある地上空母「エメラルダス(赤城)」を探すも見当たらず、三条神流は、松田彩香が運転席に座る赤いTOYOTA GR86の助手席に座った。