あの人
松田彩香のGR86の助手席を降りて、磯部温泉の足湯に浸かる三条神流。そこに霧降から連絡。
「デート中にすまねえ。お前ら、今どこにいるんだ?」
「今、磯部温泉。」
「おお。これはちょうどいい。ならば、磯部温泉の後で、横川の碓氷峠鉄道文化むらに来てくれ。」
「横川に?ちょっと待て。」
三条神流は、松田彩香に「磯部温泉の後、横川まで足伸ばしてくれねえかって」と言う。
「霧降?まったく。まあ、どうせ、実質的には2人乗りの車だから、乗れないからいいや。横川まで行くか。ったくしょうがねえな。」
と、松田彩香は舌打ちしながら言った。
「どうせ、SLだろう。生滅ヘッドマークゴミ死ね取り外せカス!」
三条神流も舌打ちした。
三条神流は、SLに対する不満が強かった。
群馬のSLと横川の鉄道文化村が、JR九州のSLがモデルになった大人気アニメ映画「生滅!夢幻列車編」などとコラボしたのだが、三条神流にとっては「JR九州のSLがモデルなのに、なんで関係無い群馬のSLと鉄道文化村がコラボするのだ!」と不満いっぱいだ。
「でも、群馬に戻って来た直後から比べると、カンナは元に戻って来たなって思う。そんな事も言えるしね。」
「隣の可愛い眼鏡っ娘のおかげ、かな?」
三条神流、ニヤリと笑って言う。
松田彩香と三条神流は幼少期からの腐れ縁で、今は同じタクシー会社に勤める仲だ。
今日は、観光タクシーの勤務資格を持つ松田彩香の自主トレを兼ねて、磯部温泉まで日帰りデートだ。
一時的に三条神流の方から距離を取るような行動をしたのだが、一時期群馬を離れた三条神流が群馬に戻り、松田彩香に今のタクシー会社に引っ張り込まれてから、正式に付き合い始めた。
かつては鉄道マニアだった2人だが、今、松田彩香は眞紅のTOYOTA GR86を操る走り屋兼、アマチュアのレーサーとなり、「TOYOTA GAZOO Racing GR86/BRZ Cup」にも出場を果たし、その影響をもろに受けた三条神流も、GR86とは異母姉弟と言えるZD8型SUBARU BRZに乗り、やはりレーシングライセンスを取得して、筑波サーキットのハチロク祭りで行われた、TOYOTA86 ・ GR86 ・ SUBARU BRZのワンメークレースでレースデビューを果たした。
タクシー運転手にして、レーシングドライバーでもある2人組は、今や群馬の車界隈で一目を置かれているが、中にはよく思わない奴もいる。
磯部温泉を出て、横川へ向かう。
横川が近付くと、長野県歌でも歌われる碓氷峠も近付いてくる。
三条神流、霧降要に連絡する。
「おいグラサンバカ。お前どうせ、生滅コラボの鉄道文化村だろ?」
「ああ。来いよここへ。お前に会いたいと言う奴がいるんだ。わざわざ呼び立てたのは、それなりに理由があってな。」
「ちっ。変わらず連合艦隊指揮官気取りが。クソ女だったらぶっ殺すぞ!釜飯おごれ!アヤと俺の2人分!」
「分かっているさ。3人分奢る。」
「えっ?」
三条神流、首を傾げる。
フロントフェンダーには、「Red Thunder」のロゴを付けたGR86を碓氷鉄道文化むらの駐車場に松田彩香は止めた。
「緊張するのでー」
と、霧降要に断り、かつての横川機関区の検修庫の中に保存されているEF63 18の運転台を使用した運転シミュレーターに登った小岩剣。
束の間の機関士気分だ。
操作しても空気漏れの音しかしない、汽笛弁に不満を持ちながらも、碓氷峠を登る列車の補助機関車EF63を操る。
(募集職種は入換機関車の機関士。構内限定免許でしかも俺、学内限定免許だけど内燃動車と電動力車の免許持ちだから、軽い研修ですぐ現場。採用になったら、いい話しだ。だけど、群馬ー)
思いながら、マスコンを入れる。
シミュレーターで横川駅を出て、坂元宿を通過して、めがね橋を渡り、熊の平信号所を通過。
軽井沢駅に停車するまでの一連の流れを終えた時、「ちょうどいい奴が群馬に戻って来た」と、霧降要が呼び寄せた人と、霧降要の声が聞こえてきたので、小岩剣は心臓が飛び出しそうなほど、ドクドク言っている。が、小岩剣は機関車を降りる。そして、海上自衛官の父から教わった歩き方で、機関車と機関車の合間を彼の元へ歩む。
そして、
「お久しぶりです。三条さん。それに、松田さん。」
と、海軍式敬礼。
「小岩。お前ー。」
三条神流はまるで機械のように、だが僅かに驚きながら言う。
そして、海軍式敬礼で、
「おかえり。」
と答えた。