つるぎ 帰郷
小岩剣は、長い事、青森に帰っていない。
帰る理由が無い上、帰る場所も無いと思っていたからだ。
帰郷する直前まで、小岩剣はあるところへ連絡していた。
だが、連絡が付かない。
仕方が無いので、出発する。
高崎線で大宮駅に行くと、ここから、東北新幹線「はやぶさ1号」に乗る。
全車指定席なので、指定席にやむ無く座る。
窓際の指定席に座り、狭苦しい座席を倒して、窓の外を見るが、早送りでビデオ再生しているかのように、景色が一気に飛んでいく。
そして、トイレに行く度に、何度も何度も、連絡を入れるのだが、結局、音座他無し。
その度、不安が増していく。
(大丈夫。「ココロノツバサ」が導く。きっと、青森に居る。青森で、あの時のように、姉さんが待っている。おじさんもきっと待っている。大丈夫。待っている。「ココロノツバサ」が、きっと、会わせてくれる。会ったら、会ったら―。今ある内定全部蹴ってでも、1年後になってでも、青森で住むために仕事見付ける!姉さんと、一緒に―。)
と、自分に言い聞かせる。
だが、その「姉さん」からも、「おじさん」からも、返事は無い。
そして、あっという間に仙台に着いた。
「姉さん」と言う人に送ったLINEも、ずっと既読が付いていない。
何年も前から。
あの日、「日本海」が消えた日から。
なのに、小岩剣は送り続ける。
「今、仙台を出たよ。姉さんは今、何処にいるの?」
と。
だが、何も返事が帰って来ないまま、盛岡。
盛岡を出た事を伝える。
だが、何も返事は来ない。
(お願い。導いて。会いたい。あの時の、青森であの時の姉さんに。)
青森県に入った。
だが、返信は無い。
小岩剣は吐き気を催して来た。
そして、とうとう、新青森駅に到着してしまった。
11時12分に特急「つがる」が来るので、それに乗って、青森へ行く。
「姉さん。今、新青森だよ。」
返信無し。
特急が来た。
それに乗る。
新青森―青森間の相互利用に限っては、普通乗車券のみで特急に乗ることが出来る。
数年ぶりに見る奥羽本線の車窓だが、何かが違う。
「あけぼの」から見た景色と同じなのに、違う。
どんどん、寂れていく。
そして、とうとう、青森駅に滑り込んだ。
ドアが開き、青森駅に降り立った瞬間、小岩剣は泣き崩れた。
受け入れたくない現実を、突き付けられたからである。
そこは、小岩剣の知っている青森駅では無く、そこに、小岩剣を待っているはずの「姉さん」と言う存在も、「おじさん」と言う存在も無かった。
それでも、小岩剣は涙を拭いながら言った。
「ただいま。姉さん。おじさん。」
と。
この後の予定は、13時代の津軽線に乗って三厩まで行き、三厩から折り返して蟹田。
蟹田で青森行きの普通列車に乗り換えて津軽宮田駅で降りる。
そして、近くにあるはずの、自分の生まれた家、「おじさん」と「姉さん」の家、自分の先祖の墓に行く。
列車の時間までに昼飯なのだが、青森駅の中は、モダンなエキナカになってしまい、どこから駅を出ればいいのか分らない。どうにかして駅から出たのだが、今度はどこで昼飯を食べれば良いのか分らない。
「姉さん」や「おじさん」と一緒に行っていた店は、再開発で小奇麗なビルの中に入ってしまって、そのどこにあるのか分らない。
仕方が無いので、駅に戻ろうとしたら、青森駅がどこにあるのか分らない。
駅前ロータリーに居るのに、そこは、小岩剣の知っている場所ではない。
なぜなのか?
青森駅もまた、再開発でモダンな駅ビルに建て替えられ、小岩剣の知っている駅の原型を留めていないのだ。
なんとか駅に戻って、立ち食いそばで昼飯を済ませる。
そして、その後、青森駅の入換線の先端部を目指して歩く。
(一緒に、海を眺めた場所だよ。姉さんと。居るよね。)
と、歩く。
右には、青函連絡船「八甲田丸」を改装した青函連絡船メモリアルシップ、演歌「津軽海峡冬景色」の歌碑、左には入換線。
そして、忘れられたように、地面に直に置かれて保存されている車掌車と控え車。
入換線の終端部まで来てしまったが、そこには誰もいない。
車止めから伸びる線路は、ここから東北本線(青い森鉄道)で上野。日本海循環線(奥羽本線)経由で大阪まで行っているはずだ。いや、行っている。だが、その線路を走破する長距離列車は、もう無い。
線路の上には、新幹線開業によって生まれた、第三セクター化路線と言う見えない壁が出来てしまった。これにより、線路は繋がっていても、見えない壁のために、旅客列車のほとんどは分断され、この線路を走破する列車は、貨物列車だけだ。
「分かっているよ。いるわけないって。」
と、小岩剣は溜め息をついた。
まもなく、三厩行きの列車の時間だ。
憂鬱な梅雨の鉛色の空の下、青森駅に戻り、列車を待つ。
だが、また溜め息をついた。
三条神流と松田彩香が三厩まで行った時、小岩剣に送った写真に写っていたハイブリッド気動車だったからだ。
更に、その列車はワンマンだった。
つまり、車掌の乗務の必要は無いのだ。
「おじさん?」
と、車掌室を覗いても、そこに「おじさん」はいない。
若い運転士が、運転席に座る。
そのネームプレートもまた、青森運輸区ではなく、つがる運輸区と書かれていた。
(青森運輸区、本当に無いんだ―。)
と、小岩剣は実感した。
(青森運輸区が無くなったら、おじさんは引退することになっていた。そして、本当になくなって、別の子会社へ再雇用される事になって、それっきり音座他無し―。おじさん。どこ?)
と、探しても、いないことは解っていた。
そして、無機質な列車は、定刻通りに、エレベーターのように発車した。
無機質な列車は、直ぐに、青森車両センターを通過する。
だが、そこに、青函トンネルを行き交う特急電車や寝台客車、機関車の姿も、普通列車の姿すら無い。
スッカラカンだ。
代わりにあるのは、ソーラーパネル。
「―。」
小岩剣は黙りを決める。
知ってはいた。
だが、到底受け入れられない事実だったから、その話題を出来うる限り避けていたのだ。そして今、それを見たが、やはり受け入れられない。
(そうだ。これは夢。そう、夢だ!うん。今、俺、「あけぼの」に乗っているんだ。いやぁー変な夢だ。早く覚めてくれないかなぁ。)
などと思うのだが、夢ではない事なんて解っていた。
これは現実なのだ。
ぐんぐん列車は進んでいく。
途中で、貨物列車とすれ違う。
だが、その貨物列車も知らないものだった。
EH500が牽引するコンテナ列車ではない。
北海道新幹線対応用に開発されたEH800という電気機関車が牽引しているコンテナ列車だった。
(ああそうだ。あれはEH500の置き換えに登場した機関車だ。そうだ。うん。今、夢の中にいるんだ。)
また夢を見ていると逃げ出す。
だが、夢ではない。
蟹田を出た。
景色は変わっていないのに、何かが違う。
(違うのは―。)
小岩剣は戸惑っている。
何が違うのか、解らないからだ。
無機質な列車が、殺風景な世界を走る。
確かに、小岩剣の生まれ故郷は、青森から少し離れた郊外にある寂れた漁村町だった。
だが、寂れた中に、人間の温もりがあった。
なのに、今は違う。
景色は変わっていないのに、その景色に、人間の温もりを感じられず、殺風景に見えてしまう。
自動音声の車内放送が流れる。
LEDの車内灯。
ディーゼル燃料の匂いがしない、エレベーターのような車両。
まもなく、三厩に着いた。
だが、三厩に人の温もりが無い。
そこにあったのは、三条神流が送ってきた写真と同じ、無機質な車両が止まる、殺風景な世界だった。
「列島地震でも、こうはならなかっただろう。」
列島地震。
2005年、北海道十勝沖を筆頭に、三陸沖、長野県、四国沖、そして最後は首都圏で大地震が立て続けに発生した、大災害である。
北海道十勝沿岸から渡島半島の東岸、東北関東の太平洋沿岸に大津波が襲い、東北地方のインフラは麻痺。復旧まで1年を要した。
被害の少なかった日本海側を行く「あけぼの」「日本海」と言った寝台特急は臨時便を出し、それに加え豪華寝台特急「トワイライト・エクスプレス」の予備編成を使用した大阪発の函館行き臨時列車を走らせ、不通となった東北新幹線のバックアップとして活躍。
ようやく、東北本線や東北新幹線といったインフラが復旧した矢先に、小岩剣は小学校の担任教師の虐待で記憶を無くし、故郷のことも忘れて、帰郷することが出来なくなってしまった。
その後、連合艦隊の手を借りながら、記憶を取り戻して帰郷した時、そこには変わらぬ故郷があった。
だが、今は違う。
すぐに、蟹田へ折り返す。
だが、海峡を渡った北海道の様子も、空の色も、窓の外の景色も違う。
蟹田から、小岩剣の生まれた家と、「おじさん」と「姉さん」の家の最寄り駅である、津軽宮田で降りる予定だ。
蟹田から、701系に乗る。
701系は変わりない。と思ったが、こちらもワンマンだった。
そして、陽が西に傾き始めた頃、津軽宮田に降りた。
(えっと、俺の生まれた家は―。)
と、思いながら、駅を出る。
駅からすぐ、小岩剣の産まれた家のあった場所。だが、もう家は無い。
それは解っていたので、それに関しては驚きもしなかった。
だが、小岩剣には別の事実が突き付けられた。
「おじさんの家が―。」
「おじさん」と「姉さん」の家が空き家になって、売り物件になっていたのだ。
(おじさん、どこに行ったんだ?姉さん、もう、帰って来ないのか?)
ウロウロと歩く。
着いたのは、寺だった。
この寺には、小岩剣の先祖の墓がある。
(桜の木の下!そこに、墓が―。)
無い。そこには、別の墓があった。
寺の住職が歩いていたので「ここにあった小岩家の墓はどうしたのか?」と聞く。
「閉めた後は、永代供養墓になった。」
と教えられ、その場所に行く。
とりあえずは、手だけ合わせる。
しかし、小岩剣は事実を受け入れられなかった。泣き出して、町を彷徨う。
「俺の産まれた家はどこ?」
「おじさん。姉さん。どこにいるの?」
と、泣きながら、彷徨って、海岸に出た。
そこは、記憶を取り戻し、三条神流に「連合艦隊埼玉支部」の話を断る連絡をした場所だった。
「三条さん。人間って、残酷です。頑張って、積み上げても、ボタン一つで全てが無に帰ってしまう。」
小岩剣は、「姉さん」からの最後のLINEの連絡を引っ張り出す。
「私、嫁さんになったからね。彼ピッピがいるのに、他の男の子と連絡するのはあまり忍びない。だから、もう、連絡しないね。最後に、つるぎ、元気で生きるんだよ。私がいなくても、つるぎは生きられるよ。一人じゃないよ。じゃあ、サヨナラ。」
「クソッタレッ!」
石を拾い上げて、海へ投げ込んだ。