第779話 九死一生
リュシェル達がアステリオスとの戦闘を始めてから、およそ2時間が経過した。
影治と一緒に戦う場合、大抵はこの時間くらいまでに片が付く。
しかし今回は影治が不在なので、リュシェル達も予めペースを抑えて闘っている。
それがまた戦闘の長時間化にも繋がっているのだが、押し切れるほどの火力がないので仕方ない。
「ガンテツ、一旦下がって休憩してください! 代わりにカレンとエントで時間を稼ぎます!」
これだけの長期戦となると、時折こうして休みを挟む必要もある。
体力だけでいえば治癒の魔導具でどうにかなるが、ずっと戦い続けていては集中力が持たない。
「ふぅ、やれやれじゃ。某があれだけ切り付け、シャウラが散々拳を打ち付けておるというのに、未だに沈む様子がないわ」
「通常のアステリオスはどうか知りませんが、あのアステリオスは再生能力を持っているようですね。流石に私達の攻撃を上回る程の回復力はないようですが」
一旦後ろに下がってきたガンテツは、休む時は休む! といった感じで、リュシェルの傍にどっかと座り込む。
そして収納魔導具から影治謹製の携帯食と水を取り出すと、エネルギーの補給を開始する。
それから塩飴などを舐めて、塩分の補給も行った。
世間では冬の序月を迎えており、ニューホープより北に位置するラテニアでは冬の寒さが厳しくなってきている。
だがダンジョンである牛魔窟内は、年中一定の気温に保たれており、今戦っている場所も激しく動き回らなければ快適に過ごせる、少しひんやりした程度の気温だった。
しかしあれだけ激しい戦闘を長時間続けていると、その分かなり汗をかいてしまうので、塩分の補給は重要だ。
「ふぅっ、ふぅぅっ……」
前線ではカレンとエント、そしてシャウラがアステリオスを抑えているが、シャウラの疲労が蓄積してきていた。
彼女の場合、持ち前のスキルを活かして闘気を前面に出して戦うので、長期戦となると生命力の方がかなり消耗してしまう。
闘気術の源泉となる生命力は、比較的回復しやすい魔力とは違って回復させにくい。
一番良いとされるのが、じっくり休んで時間経過を待つ事だと言われているくらいだ。
一応回復魔術には生命力を回復させるものもあるが、これは多用すると一時的に生命力の最大値が減少してしまうというデバフのような状態になってしまう。
「一旦シャウラを下がらせて、生命丸を取らせましょう。ガンテツ、そろそろ大丈夫ですか?」
「うむ、10分ほどだがしっかり休憩は取れたし、栄養補給も出来た。問題ない」
そう言って立ち上がると、武器を手に取った。
それを確認したリュシェルは、大声でシャウラに一旦下がるように指示を出す。
リュシェルの言っている生命丸とは、数少ない生命力を回復させる効果のある丸薬である。
味が非常に悪いとして有名なこの薬だが、その割にマジックポーションほど劇的な効果はない。
ただ生命丸にもポーション同様に等級というものが存在し、等級の高いものであればそれなりに回復効果はある。
影治達も今や一流の冒険者パーティーとなっているので、当然それらの高級な生命丸も用意してあった。
「私が注意を逸らしましょう。【黒雷】」
シャウラが下がるのに合わせ、セルマがクラスⅨ暗黒魔術の【黒雷】を放つ。
暗黒属性に雷属性の合わさったこの魔術は、一定確率で相手をスタンさせる効果がある。
今回はそのスタン効果が発動されなかったが、かなり強力な魔術なので注意を逸らすという目的は果たされた。
「さ、今の内に!」
カレンもシャウラとガンテツの入れ替えをサポートすべく、【黒雷】を受けて体を震わせているアステリオスを牽制する。
初めカレンはその震えが、思いの外セルマの魔術でダメージが入った為だろうと思ったのだが、そうではなかった。
まるで全身の震えによって熱が蓄積されたかのように、アステリオスの全身が赤く染まっていく。
赤といっても原色のような赤ではなく、興奮したり酔っ払った際に赤くなる程度の色味ではあったが、露出している肌の部分が多いのと体自体が大きいのとで、かなり印象が変わって見える。
「グマアアアアアアアアアアアアァァァァァッ!!」
そして響き渡る咆哮。
それは単なる音ではなく、この場にいた全員の心の底にまで轟く。
「アッ、アアアァァァ……」
「――――ッ」
この1度の咆哮が、これまで拮抗していた戦いの流れを大きく変えた。
魔物の中には特殊な咆哮を発するものがいる。
有名なのは竜種のドラゴンロアーであろうが、動物系の魔物であれば割と様々な種類の魔物がこの能力を持つ。
それら咆哮の効果には幾つか種類があるのだが、アステリオスのそれは聞いた者に恐怖を与えるという単純なものだった。
しかしその効果は軽視できない。
「ごろごろっ!」
「キャアアアアアアァァァッ!」
恐怖によって体が固まったカレンの下に、無骨で大きな戦斧が横凪ぎに迫る。
まともに体を動かせないカレンであったが、その間に咄嗟に間に入り込んだ土の精霊ゴロンゴによって、どうにか直撃を避けることは出来た。
しかし強力な戦斧の一撃は、ゴロンゴの体ごとカレンに衝撃によるダメージを齎し、まとめて20メートル以上吹き飛ばす。
アステリオスの猛攻撃はまだ続く。
同じく恐怖によって体が動かせないでいるシャウラにも、凶刃が迫っていた。
シャウラは自分の胴体部に向けて振るわれる戦斧を、まるで他人事のように見ていた。
「あ……」
回避行動も取れず、シャウラは暴力そのものを形にしたような戦斧によって、無造作に薙ぎ払われる。
咄嗟に硬気術によって胴体部を守っていなければ、真っ二つにされていたことは間違いない。
「シャウラ! エント、奴を抑えなさい!」
しかし即死を免れたというだけで、シャウラの腹部には大きな傷跡が開かれていた。
シャウラのみならず、他のメンバーも防具は|ドラゴンレザーアーマー《竜革の鎧》を身に付けており、そこらの金属製の鎧よりは優れた防御力を有している。
だがそれも災厄級の魔物の攻撃には敵わなかった。
ドラゴンレザーアーマーを切り裂き、その奥に刻まれた大きな傷跡からは、ネロネロと鈍くテカる内臓がチラリ覗かせている。
そして余りに大きなダメージを負ってしまったせいか、シャウラは意識まで失ってしまっていた。
この状況の時点ですでに状況は悪かったのだが、これ以上最悪な展開にならずに済んだ。
まだシャウラが死んでいない事はアステリオスにも分かっていたであろうが、トドメを刺すのではなく、別の相手に追撃をかけようとしたのである。
そのターゲットは、シャウラと入れ替わるべく前線に移動途中のガンテツだった。
「ぐ……動けっ! 動かんかああぁぁ!!」
しかしガンテツもまた咆哮の影響を受けてしまっていた。
気丈にも言葉で自分を叱咤することは出来ていたが、体の方が意に反して動いてくれない。
そうしているうちにもアステリオスが迫り、シャウラの時と同じように戦斧を振るった。
ガギィィィン! という、金属同士がぶつかるけたたましい音が鳴り響く。
こちらは一級素材を用いた金属鎧だけあってか、シャウラのドラゴンレザーアーマーよりも耐えてくれた。
一撃で胴体部の装甲が凹み、そのままガンテツの体まで切り裂かれはしたが、シャウラほど傷は深くない。
また強力な一撃によって、カレン同様に吹き飛ばされ距離が開いたので、すぐに追撃を掛けられることもなかった。
「グモオオォ!」
そしてここでようやく指示を出されたエントが追いつく。
災厄級の魔物相手では大して時間稼ぎも出来ないが、前衛が壊滅状態の今は少しでも多くの時間が必要だ。
「凍りなさい! 【黒氷】」
更にセルマの暗黒魔術によって、アステリオスの全身が氷に包まれる。
アステリオスは前衛を潰してから後衛に迫ろうという動きを見せていたが、これで更に時間稼ぎが出来るだろう。
「シャウラ、今行きます!」
そしてリュシェルは後衛だのリーダーだのという立場を脱ぎ捨て、一番ダメージの深いシャウラの下に駆け寄る。
それに続き、ティアもガンテツの下に飛んでいく。
前衛陣が軒並み恐怖で縛られていた中、リュシェルとティアが行動出来ているのは、後衛の位置にいてアステリオスから距離があったから……ではない。
ひとりだけ恐怖の効果を免れたセルマが、咄嗟に近くにいたリュシェルとティアの恐怖を魔導具で取り除いたからだ。
そうして動ける人員を確保した後、【黒氷】によって更に足止めを行う。
この一連のセルマの働きがなければ、そのまま崩されて壊滅していた可能性もあった。
こうしてリュシェル達は、どうにか態勢を立て直すチャンスを得た。




