第78話 グレイスの最期
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グレイスの下に戻ってきた影治は、すぐに異変に気付いた。
最初に出会った時のように、柱へと寄りかかってうつむいているグレイス。
あの時のグレイスは、まるで精神活動が停止していたかのようではあったが、微かに生気を感じとれた。
しかし今は逆に生気ではなく死者の気配を色濃く漂わせ、元々赤系だった瞳がより魔物に近しい血のような赤に染まっている。
以前は感じ取れなかった魔物特有の瘴気も発しており、グレイスの身に何かが起こったことは明らかだった。
「グレイス」
「エイジ……」
影治の呼びかけにかろうじて答えるグレイスだが、少し話すだけでも苦しそうな表情を浮かべている。
「お前に頼まれたもの……マリアの神聖石は持ってきた。その際に神聖石を通して、マリアの記憶を少し見た。だから、ある程度事情は把握しているつもりだ。お前は俺にどうして欲しいんだ?」
「私を……私を殺してほしい」
「……俺と一緒にいた時から無理していたのか?」
「そう……だね。君の天使の力に中てられたみたいだ」
「そいつぁ……」
「謝る……必要はないよ。もう、限界だったんだ……。寧ろ、最後に天使である君と出会え……て、良かった……」
どうにか会話は成立しているが、一言話す度にグレイスは意識を闇に持っていかれそうになっていた。
それは影治にも伝わっており、グレイスの最後の意思を聞き届けるため尋ねる。
「お前の頼みは引き受けた。他に何かして欲しいことはあるか?」
「マリアと……。彼女と一緒に私の魔石もこの地底空間から解放……してくれ。出来ればリョウ様が葬られた霊廟と同じ場所に……。これがあれば霊廟の扉は開く……はずだ」
そう言ってグレイスは懐から水晶で作られた鍵を取り出し、影治へと放り投げる。
生前のリョウは、新米のホワイトウィング親衛隊の隊員であったグレイスと個人的な付き合いがあった。
そのことを知っていたリョウと近しい者から、時折お参りに来て欲しいとこの水晶の鍵がグレイスへと渡されている。
そしてその鍵は最終的に影治へと託されることとなった。
「霊廟はどこにある?」
ギュッと鍵を握りしめながら尋ねる影治。
影治にとってグレイスは、ほんの数日を共に過ごしただけの相手である。
しかし上で散々な目にあった末に出会ったこのアンデッドの男は、アンデッドとしての衝動を抑えてまでして影治に普通に接してくれた。
影治に欠けていた魔術に関する知識を教え、影治にとっては魔術の師匠とも言える相手だ。
更にはマリアの神聖石を通じて、過去に起きたマリアとグレイスの悲劇も知ってしまっている。
今更他人事だと切って捨てることは、影治にはできそうになかった。
「王都ホープヒルの……王城の地下にある……ハズだ。ただ……今あの地がどうなっているかは……分からない」
「その場合どうする?」
「彼女の……マリアの実家を訪ねてみてくれ……。最悪、この暗い地の底から解き放ってくれるだけで……いい」
「分かった、俺に任せろ!」
「は、ははは……。あり……がとう……。最後に、君に教えていなかった……死霊魔術を見せる。天使の君に扱えるかは……分からないけど、知識としてでも留めておいてほしい……」
そう言うとグレイスはクラスⅠの死霊魔術から順に詠唱していく。
通常なら発音することが難しいとされる魔術言語でも、影治なら一度聞くだけで完璧に発音することができる。
そのことを知るグレイスは、闇魔術以上に適性があった死霊魔術を披露していった。
このグレイスの死霊魔術への適性こそが、グレイスが不完全な状態のアンデッドとして存在出来た理由でもある。
しかし今は、死霊魔術を使用するごとに人としての意識が保てなくなっていた。
グレイスに使用出来る最高位であるクラスⅧの死霊魔術。
その最後のひとつである【上位不死者生成】を詠唱し終えたグレイスは、すでに完全に魔物へと変わり果てていた。
「ヴァアアアァァァ……」
「グレイス……」
グレイスの周囲には、最後に連続で死霊魔術を披露した時に生み出されたアンデッドが控えている。
またそれとは別に、周囲から集まってきたアンデッド達も影治を囲んでいた。
しかしこれまで通りなら見境もなく襲い掛かってくるアンデッド達が、今は統率が取れたような動きを見せている。
その中心となっているのは、グールルーラーというアンデッドに化していたグレイスだった。
「チッ、まだ周辺にこんなにアンデッドが残ってやがったか。よし、ピー助! お前の最強の光魔術を見せてくれ!」
「ぴぃぃ!」
グレイスとの会話中は空気を読んでか黙っていたピー助。
影治はピー助に指示を出しつつ、肩にピー助を載せたままアンデッド達の包囲網を強引に突破する。
ピー助のとっておきを使用するには、囲まれた状態だと範囲が収まらないからだ。
そのことはピー助も当然把握している。
影治が適切な距離に避難すると同時に、息を合わせたピー助の光魔術が放たれた。
「ピピィィィッ!」
気合の入ったピー助の声と共に発動される、ハイクラスの光魔術。
広範囲に半円状に広がった光の爆発は、音を発さずに光だけを範囲内のアンデッド達に突き刺した。
余りに明るすぎて影治にも子細は窺えないが、アンデッド達の体内にまで差し込んだ光は強烈なダメージを与えていく。
たった一度のピー助の光魔術によって、集まってきていた100体以上のアンデッドのほとんどが塵と消えた。
「おお……。マジぱねぇなあ、おい」
「ぴっぴっ!」
影治も散々アンデッドと戦ってきたので、自分の魔術ではこうはいかないことを良く知っている。
ピー助のハイクラスの光魔術を見て、影治はますます魔術の深奥を目指そうという気持ちが強くなった。
「残った奴らは俺に任せてくれ」
「ぴぃ」
ピー助の光魔術は強力だったが、グレイスと彼が最後に【上位不死者生成】で生み出したアンデッドはまだ残っていた。
だがその数は直前の大軍と比べたらほんの僅かであり、すでにダメージも相当負っている。
【白灯】による白い光が照らす中、影治は肉弾戦を中心にして残ったアンデッド達を着実に仕留めていく。
しかしアンデッド達もあの一撃に耐える上位種だけあって、身体能力が非常に高い。
黒スケが雑魚に思えるほどの六本腕のスケルトンや、ただの鉄ではない金属で出来た動く鎧など、これまで戦った中でも最強クラスの相手達だ。
「ハ、ハハハハッ!」
しかしそんな強敵相手に、影治は笑いながら戦いを挑んでいく。
相手が武器を使ってくる中、影治はレッドボーンスピアを捨て素手で戦いを挑む。
油断すれば腕の1本や2本持っていかれそうな相手を前に、敢えて武器を捨て素手で戦いを挑んだのは回復魔術の存在があったからだ。
流石に今腕を落とされても回復魔術だと修復は無理そうだが、ちょっとしたかすり傷程度ならすぐにでも癒やすことが出来る。
そんな前世での武術訓練ではありえない恵まれた環境に、影治の闘争心はいやが上にも高まっていく。
部位欠損さえしなければ、腕をギリギリまで斬られてもいい。
……などという、前世では考えられない捨て身の戦い方によって、影治の体は何度も切り刻まれ、その度に自前の回復魔術によって傷が塞がれる。
そしてついには周囲のアンデッド達を全て屠り、残った最後のアンデッド……グレイスへと迫る影治。
「安らかに眠ってくれ」
最後の影治の貫手による攻撃は、ろくにガードされることなくグレイスの心臓部を貫く。
体を貫通した影治の右手には、心臓ではなく鈍く光る石……魔石が握られていた。
「あり……がとう……」
魔石を取り除いたことで自我を取り戻したのか、グレイスは最後に影治に礼を述べると、地面へと体が倒れることなく塵となって跡形もなく消えていくのだった。