第77話 グレイス
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グレイスは直接王を守護するホワイトウィング親衛隊に、若くして入隊が許された。
といっても下っ端であり、実際の任務としては雑用が多い。
護衛としての能力も他の者に遅れを取っているが、使い手の少ない闇魔術の使い手ということもあって、グレイスはホワイトウィング親衛隊に受け入れられている。
だが闇魔術だけに甘えるのではなく、グレイスは剣やその次に得意な火魔術に関しても常に真面目に訓練を行っていた。
……しかし、その訓練の日々もあの凶事が全て台無しにしてしまった。
「ソロスフィルド家に配属……ですか?」
「そうだ。リョウ様亡き今、この国の舵取りは当分のあいだ三公爵家に委ねられることになる。そこでお前には西のソロスフィルド家への出向が決まった」
「……ハッ、承知致しました。グレイス・アルベルト、直ちに任務の遂行にあたります!」
グレイスはホワイトウィング親衛隊に入隊してから、リョウの護衛としての任務に就くことはほとんどなかった。
しかしリョウとはそれ以外の場面で個人的な付き合いを多く持っていた。
その付き合いがあった故、仕えるべき主を失い抜け殻のようになっていたグレイスは、言われるままに新たな任地へと赴く。
下っ端だったとはいえ、元ホワイトウィング親衛隊の肩書を持つグレイスはソロスフィルド家でもそれなりの地位に就いた。
その地位故に、一般兵が入ることが出来ない場所への出入りも許されており、そこでグレイスはソロスフィルド家当主と何者かの会話を、偶然盗み聞きしてしまう。
「最初の難事は上手く事が運びましたな」
「ああ。魂環の書の使用直後に、信頼していたホワイトウィング親衛隊の隊長に不意を突かれたのだ。いかに奴が天魔と呼ばれていようと、防ぎようもあるまい」
天魔とは、人知を超える魔術の腕前を持つリョウに付いた異名のひとつであり、畏怖と尊敬を籠めて人々からそう呼ばれていた。
「ですな。あのような優れた個の力をもつ者が頂点に居座りつづけると、いつまでたっても我らは下に立ち続けることになる」
「然り。だがその後の展開がどうもうまくいかぬな」
「今ならばまだ当家は警戒されておりますまい。ケルザック公爵家に奇襲をしかけその力を奪えば、当家の陣営に付く者もでてきましょう」
「そうだな。このまま手をこまねいていても仕方あるまい……」
失意のまま新たな任地でただ言われたことをこなしていたグレイスだったが、偶然耳にした密談の内容を聞き、怒髪天を衝く気持ちを懸命に抑える。
その日以降、グレイスは自分の地位を利用しながら裏付け調査などを行っていく。
しかし一介の元親衛隊員であるグレイスには、力も人脈も何もかも足りなかった。
悩んだ末、グレイスは証拠となる魂環の書を確保し、それを奇襲作戦が実行される前にケルザック公爵家に証拠の品として持ち込むことを決意する。
幸いにも、魂環の書が保管されているシャルダンの地と、ケルザック公爵家の領地までは比較的近い距離にある。
「リョウ様の無念を晴らして見せるッ!」
こうして固い決意を胸に、グレイスはシャルダンへと向かった。
しかしその想いは果たされることなく、グレイスは捕えられてしまう結果に終わる。
それもかつての上司であるホワイトウィング親衛隊隊長の手によって。
「隊長……いや、バオル!! 貴様よくも……」
「いよう、グレイスじゃねえか。テメェもここに送られてきたのかぁ?」
久々にグレイスが対面した男には、すでにホワイトウィング隊隊長としての顔はなかった。
風貌だけでなく、口調まで変化……というより元々このような男だったのだろう。
魔封じを施されてひっとらえられたグレイスに対し、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。
「私はリョウ様の無念を晴らしに来ただけだ!」
「ほう、そうかそうか。ソロスフィルド様に捕らえられて送られてきた訳じゃあねえのか」
「……まさか私以外にも?」
「おうよ。元親衛隊から宮廷魔術師まで……いろおおおおおんな奴がここに送られてきたぜえ」
「その者達をどうしたのだ?」
「知れたことよ。ここに何があるか位は聞いたことあんだろ」
「深き地の獄……か」
「そうだ。落とされた者は誰一人帰ってくることのないという深き地の獄。お前達を処分するのにうってつけの場所って訳だあ」
「くっ……」
悔しそうな表情を浮かべるグレイスだが、魔術を封じられ、肉体的に痛めつけられている状態でバオルの前に引きずり出されている。
周囲にはバオルの他にもかつての同僚の姿があったが、皆一様にグレイスのことを蔑んだ目で見ていた。
「さあて、これからお前は魂環の書を使用された後に、死者の像によって生きたままアンデッド化される」
バオルの近くには禍々しい姿をした像が置かれていた。
これは死者の像といい、バオルの言うように抵抗に失敗したものをアンデッドへ変える力があるとされている。
また使用の際に、対象者に命令を与えることも可能だった。
激しい暴行を受けて衰弱していたグレイスに、死者の像によるアンデッド化に抵抗する力は残されていない。
「グレイス、お前もアンデッドとなり地の底でかつての仲間達と延々殺し合ってこい。アンデッドとなったからには、すぐには死ねねえぞ。ギャハハハハハハッ!」
かくしてグレイスは無念を抱えたまま深き地の獄へと落とされてしまう。
この後しばらくして、ソロスフィルドが密かに捕えていたロチーナ家の密偵を通し、グレイスに関する情報がロチーナ家へと流される。
この情報を聞きつけたマリアは、シャルダンの地へと乗り込んで行くこととなる。
そして両者は嘆きの穴の底で再会することになるのだが、この時すでにグレイスには生者の時の理性はなく、ただ命じられたままに周囲の者に襲い掛かるアンデッドと化していた。
「グレイス……、どうか元の貴方にもどっ……て……」
そう言い残して倒れ伏すマリア。
その胸元からは白く清浄な光が発せられる。
「……ま……り……あ……?」
死の間際のマリアの願いは、マリアの神聖石を介して神聖属性の魔力となってグレイスへと降り注ぐ。
元々死者の像によるアンデッド化は、呪いのような状態異常の一種であり、通常の魔物としてのアンデッドとは別種のものであった。
だがそれでも強力な呪具である死者の像による不死者化は、そう簡単に解除できるものではない。
しかし、そこにグレイスの隠れた才能が加わることで、マリアの願いは中途半端な形で叶えられることとなる。
「私は……一体……? ッ!? マリア!? マリアアアアア!!」
自我を取り戻したグレイは、眼前で倒れているマリアに気付く。
と同時に、アンデッド化していた時の記憶が呼び起こされる。
「ああ……あああああああぁぁぁぁぁっっっっ!!」
グレイスの慟哭の声が地下空間に響き渡る。
しばらくの間、マリアの亡骸を抱きしめたままグレイスは動けずにいた。
それからどれくらいの時が経ったのだろう。
不意に聞こえてきたドサッという音によって、沈みかけていたグレイスの意識が呼び起こされる。
それは深き地の獄へと落とされた次なる犠牲者のようだった。
グレイスと同じ処置を受けたのか、落ちて来た者もアンデッド化の症状が見られる。
「ここにマリアを安置することはできない。せめてもう少し安らかな場所に……」
そう言ってグレイスはマリアの亡骸を抱え、ひとり地下空間をさまよい歩くのだった。




