第76話 マリア※
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遥か昔のこと。
当時この大陸には三強国と呼ばれる国が存在していた。
その中でも南に位置するホープヒル王国は多人種融和を謳っており、他2国と比べて多くの種族が共存して過ごしていた。
ホープヒル王国を治めるのはリョウという天使族の男であり、その治世は2000年を超える。
建国当初の動乱期はもちろん、それだけ長い歴史となると幾度も国家的に大きな問題が発生したが、その都度リョウが辣腕を振るってそれを解決した。
2000年以上にも及ぶ統治は、一部でリョウの存在そのものが神格化して扱われるまでに至り、神が統治するホープヒル王国は永遠に栄え続けるのだと、誰もが疑っていなかった。
……しかし、悲劇は突然訪れる。
このまま永遠を生きるだろうとも言われていたリョウが、ある時突然天に召されてしまったのだ。
しかしリョウは自分がいなくても国が回るよう、常日頃から対策を施していた。
心理的な支柱が失われた影響は大きかったが、リョウが予め施していた施策により、国としてすぐ亡んだりすることはなかった。
しかしそれまで安泰だったホープヒル王国が急速に不穏な空気に包まれていくことは、誰にも抑えようがなかった。
「まさか、そこまで事態が発展しているなんて……」
マリアは自室で執事からの報告を聞いて慄然としていた。
リョウ亡き後のホープヒル王国は、リョウの子孫でもある三公爵家によってしばらくの間統治されていたのだが、その均衡はすでに崩れ去っている。
三公爵家のひとつ、ケルザック公爵家が突如ソロスフィルド公爵家の奇襲を受けて壊滅状態に追い込まれたのだ。
「このままでは我がロチーナ家も危のうございます」
「既に王都を抑えられたというのは本当なのかしら?」
「然様でございます。残念ながら、王都だけではなく侯爵家など多くの貴族を取り込んでおり、飛ぶ鳥を落とす勢いにございます」
「それで、お父様はなんと仰っているの?」
「民を連れて東へ逃れる……と」
「東へ……そう。それならソロスフィルド家も迂闊に追っては来れませんね」
「ですが、余りに準備の時間が足りぬとのことで、時間稼ぎのために一戦交えるおつもりのようです」
「お父様も前線に?」
「出陣するかと思われます」
マリアの生家であるロチーナ家は、三公爵家のひとつである。
すなわち、天使であるリョウの血を受け継ぐ家ということであり、マリアもマリアの父も天使種族であった。
天使は寿命も長く、優れた能力を持っている。
もっとも、天使といってもその多くはハーフエンジェルという最下位の種族が大多数を占め、そのハーフエンジェルの寿命は大体1000年。
だがマリアの父はひとつ上の上位種族であるエンジェルであり、寿命もハーフエンジェルよりは長く、個人としての戦力もかなりのものを有していた。
「お父様でしたら大丈夫だとは思いますけど……。あの、ところで王都の様子はどうなっているのですか? ここのところ、グレイスと連絡が取れなくなっているのです」
「さて、私の下には最近のグレイス殿の情報は届いておりませぬ。開祖様がお亡くなりになられた後、配置転換で親衛隊がバラバラになったことまでは掴んでおるのですが……」
「無理にとは言いません。ですが、グレイスの行方を捜してもらえませんか?」
「ええ、承知致しました。他ならぬお嬢様の頼みとあれば、全力で取り掛からせていただきましょうぞ」
力強い執事の返事を聞き、一先ず安堵の表情を浮かべるマリア。
しかし、それからしばらくしてもグレイスの行方は掴めきれず、ホープヒル王国の内乱はついにロチーナ家の眼前まで迫っていた。
「最早これまで……か」
「お父様……」
ロチーナ家当主であるマリアの父は、苦渋の表情を浮かべている。
これまでどうにか対抗してきたのだが、戦力差は如何ともし難い状況であり、当初からの予定であった東への撤退を開始する。
「お嬢様!」
そこへ執事が慌てた様子で駆けてくる。
いつも冷静な彼にしては珍しく息を整えることもせず、荒い息のまま報告を始めようとしたが、マリアの傍に当主がいることに気付き慌てて頭を下げた。
「これはお館様。お見苦しいところを申し訳ございません」
「いや、いい。ところで何があったのだ?」
「それがお嬢様に頼まれていたグレイス殿の行方に関する件なのですが……」
「グレイスの居所が分かったのね!?」
執事が言い終える前に、話に割り込むマリア。
貴族のレディーとしては不作法ではあったが、二人の関係を知っているので咎めるまでには至らない。
「それなのですが、実はグレイス殿は開祖様がお亡くなりになった件について探っていたことが明らかになりました」
「待て、それはどういう意味だ?」
元々はマリアへの調査報告であったのだが、内容的に見逃せない部分があったので、思わず当主が執事に子細を尋ねる。
「なんでも開祖様がお亡くなりになった際に、不自然な点があったようなのです」
「暗殺……か?」
「あの御方を害せる者がいるとは思えませんので、誰しもがその可能性を考えていなかったのですが、どうやらその証拠となる品があるのだとか」
「……あの小僧は無事なのか?」
「この情報は、グレイス殿から直接ロチーナ家の密偵に齎された情報です。恐らくは今も無事かと」
このような情報が洩れて表に出回っているとしたら、グレイスがいつ狙われてもおかしくない状態だということだ。だがそういった表立った動きは捉えていない。
当主の発言の意図に気付いた執事は、情報の流れに第三者が入っていないことを告げ、グレイスがまだ健在であろうと報告する。
「それでグレイスは今どこにいるのかしら?」
「シャルダンへ向かう、と言い残していたそうです。なんでもかの地に証拠が秘されているのだと」
「シャルダン……、ここよりずっと西の地にある街だな」
「……お父様」
決意に満ちた表情で父を見つめるマリア。
その表情を見れば、何を言いたいのかは一目瞭然だった。
「ふぅぅ……。お前も知っての通り、王国西部は最早完全にソロスフィルドの勢力下にある。それにお前が駆けつけた時にまだグレイスがシャルダンに残っているとも限らぬし、そもそも生きているのかすら分からぬぞ」
「覚悟の上です、お父様。きっとこの機を逃してしまえば、私は一生グレイスと会えないでしょう」
「はぁぁ……やれやれ。その頑固なところは母親にそっくりだな」
引き留めるような言葉はかけたが、当主も娘を翻意させることは無理だろうと半ば諦めていた。
普段は親のいうことを良く聞く娘なのだが、時折強情なところを見せることがあることをよく知っていた。
「ディルク。うちから精鋭を幾人か護衛に回してやれ」
「はっ、ではただちに準備させます」
「っ! ありがとうございます、お父様!」
マリアもハーフエンジェルとして魔術を中心に訓練をしてきたので、それなり以上の戦闘能力は持っている。
しかし今回は敵勢力の中を突き進まなければならないので、少々の武力程度ではなんの意味もなさない。
「気を付けるのだぞ」
「はい。では行ってまいります」
しかし当主は引きちぎられそうな内心をひた隠し、娘を見送った。
そんな父の想いを背に受け、マリアはシャルダンを目指す。
そこでマリアは、グレイスとの再会を果たすこととなる。




