第697話 欲の皮の突っ張ったオーク
四魔君主の会合が終わり、さっさと魔宮殿を抜け出したツォルキンは、アーカースにある邸宅に戻っていた。
定期的にアーカースでの会合がある四魔君主だが、基本的に全員それぞれの氏族が暮らしている地を拠点として暮らしている。
だがツォルキンは自分の氏族の支配地域が比較的近い事から、割とこのアーカースの邸宅で寝泊まりすることは多い。
「今回の会合は如何でしたか?」
そんな慣れ親しんだ場所に帰宅したツォルキンを出迎えたのは、見た目に共通点の多い、老齢のオークの男だった。
やたらと金製品や装飾品を身に付け、ツォルキン以上にぜい肉をぷるぷると震わせている。
脂肪のつまった真ん丸な顔には、気持ちの悪い笑みが浮かんでおり、これでも本人としては愛想を振りまいているつもりらしい。
このオークの男はグバ・ガバラという、ガバラ商会の商会長を務める男だった。
「最初の議題以外は特に問題なかった」
「ほほう……、そう聞きますと、問題があった議題とやらが気になりますなあ」
「お前も無関係って訳じゃない。ドラゴンアヴェンジャーに関する話だ」
「ほおう……。四魔君主の会合で最初に話し合われたのが、たかだか冒険者パーティーの話だったというのですか」
「ハッ、他の奴らは必要以上に恐れてやがるのさ。竜殺しだアンデッドマスターだなんぞ言われてるが、所詮はお前が言うようにただの冒険者パーティー。そもそも厄介なのはリーダーのエイジだけだ」
吐き捨てるように言うツォルキン。
それに追随して分かります分かりますと、ニチャァッとした笑みを浮かべながら首肯を繰り返すグバ。
「奴らは物事を表面的にしか捕らえてねえんだ! 確かにエイジとやらのアンデッド化の能力は恐ろしいが、何も奴だって周りの人間を手当たり次第アンデッドにしてる訳じゃあない。そんな事繰り返してたら、流石にガンダルシアやカウワンの連中も黙っちゃいない。つまり、エイジだって無関係な人間が周囲にいるような状況では、無茶な真似は出来ないってことだ!」
会議での不満をぶちまけるように、ツォルキンが吠える。
何も相手を襲うのに相手の都合に合わせる必要はない。
いかにアダマント級冒険者といえど、四六時中気を張っている訳でもないし、どうしても気を抜く瞬間はある。
こちらにとって最適な、そして相手にとって最悪な条件を整え、襲撃を掛ければいい。
「アンデッド化に関しては、そもそも接触の段階から手紙のやり取りだけにすれば、我らのもとまで辿る事はできまい。実際これまでニューホープに送り込んだ者達は誰一人として戻っておらんが、我や我の配下にまで報復は及んでない」
「完全に外部委託、それも依頼主であるツォルキン様からは何重にも間に人を挟んでおりますからな。儂も同様の手段で魔導具の秘密を探るよう依頼しましたが、同じく儂の近辺にまで報復は及んでおりません」
治癒魔導具が知れ渡った辺りから、大陸中の欲深い者達がニューホープに注目し始めた。
どうにかその技術や知識を奪おうと、あらゆる勢力が間者を送りまくっているのだが、悉く失敗している。
しかもそれはただの失敗に留まらず、間者を送り込んできた相手に対しての報復も行われていた。
それは自前の諜報組織や部下を利用した者達にとって、無視できない程のダメージだ。
そこでツォルキンやグバのように、外部の組織……暗殺ギルドやら盗賊ギルドなどの闇ギルドへの依頼が増えたのだが、最近ではニューホープへの依頼を断る所も多い。
悪党には悪党の面子もあったが、流石に依頼成功率0%の場所に優秀な人材を浪費させ続ける訳にもいかなかった。
「我としても、エイジと敵対するのが目的ではない。治癒魔導具や最近開発されたという魔導車。そういったニューホープの産物が目当てだ。お前もまずは普通に接触を取って商談を持ち掛けろ。影治を捕らえるというのは、その商談が破談した場合の最後の手段だ。捕獲が失敗しても我らの仕業だとバレはせんだろうが、以降は警戒が厳しくなるだろうからチャンスは1度きりだ」
「承知しております。以前より準備は整えておりましたが、今回は凄腕を1名確保しておりますので、必ずやエイジを捕らえて御覧に入れましょう」
「いいか? 襲撃するのはあくまで最後の手段だ。出来るだけ交渉で片を付けろ」
「お任せくださいませ」
ツォルキンとグバは、今回の四魔君主の会合以前より、影治たちドラゴンアヴェンジャーに目を付けていた。
正確にはドラゴンアヴェンジャーというより、統治下にあるニューホープが目当てだ。
かの地には魔導具以外にも、魅力的な商材が多い。
街中にあるダンジョンからは、様々な素材や魔石が日々産出されているし、他には類を見ない保存食や携帯食。
それから生活用品から道具などにも画期的な商品は多く、噂を聞きつけて遠方から訪ねる商人は日増しに増加している。
それだけ多くの商人がいるということは、商人同士の争いも激しいという事を意味していた。
ツォルキンとしては、グバのガバラ商会をニューホープのお抱え商会とすることを、当面の目標として考えている。
その後は、徐々に自分の手の者をニューホープに送りこんで内部から乗っ取っていけば、莫大な利を生むニューホープが手に入るという目算だ。
まるで絵に描いた餅のような話だが、ツォルキンは自分の力があれば達成できると信じていた。
これに関しては、散々グバの方からニューホープの利権について吹き込まれていたせいか、欲で思考が歪んでいる部分もある。
尤もグバとしては、ツォルキンを炊きつけているつもりはなかった。
ニューホープについて調査が進むほどに、グバの尽きる事のない欲望が刺激され、ニューホープの利権を全て手に入れるという妄想に憑りつかれただけである。
その妄想がツォルキンに移っただけに過ぎない。
ツォルキンとの密談を終えたグバは、アーカース内にあるガバラ商会の支店に戻る。
特製の馬車は、グバの重い体を乗せても不具合はなかったが、グバとしてはすぐにでも噂の魔導車とやらに乗ってみたいという欲望が抑えられない。
なんでも速度が速いだけでなく、揺れも極度に少ないのだという。
こうした情報は、ニューホープに派遣している商会員からの報告によるものだ。
彼らは非合法な活動はせず、あくまでいち商人として活動をしているのだが、実の所その活動はほとんど商業的な成果を上げていない。
「ツォルキン様は交渉でどうにかせよと仰ったが、まともに交渉に出向いても無駄じゃろうな」
何故ガバラ商会が、ニューホープでの活動に失敗しているか。
実の所、その理由はグバも派遣した商会員も知らずにいる。
報告では最初の接触時点から、けんもほろろな対応を受けていたという。
2度目の接触では金品財宝に酒に女など、様々な貢物を用意して出向いたのだが、貢物には目もくれず門前払いされている。
「儂としても、交渉で片がつけばそれでいいのじゃが、そうも行かんじゃろう。十中八九、交渉は決裂する。じゃがそれは初めから予想していた事。あの鉄壁の護りのニューホープから離れている今こそ、襲撃の絶好の機会じゃ」
ニューホープの厄介な所は、なにより大量のアンデッドがそこら中で目を光らせている点にある。
と言っても一般人の目に着く場所にではなく、街壁に等間隔に設置された防御塔の中や、街中にこっそり用意されたアンデッド用の拠点が中心だ。
派遣した間者が帰ってくることはないが、これらアンデッドによるセキュリティー網については知られていた。
「ガースドで高位のアンデッドが走り回っていたという話は気になるが、無差別に暴れ回っていた訳でもないようだし、大量のアンデッドを連れ歩いている訳でもあるまい。そもそも計画が上手く運べば、まともな戦闘に入る前に片が付いているはずじゃ。万が一失敗したとしても、あの男を雇ってあるのでどうとでもなる」
そのような事を考えている内に、馬車が商会の支店に到着する。
馬車から降りたグバの濁った瞳には、ひっ捕らえられて自分の前に運ばれてくる影治の幻影が映っていた。
その幻影を現実のものとするべく、キャストポイントに待機中の商会員へ連絡を取るよう、グバは迎えに出てきた部下に指示を出すのだった。