閑話 魂環の書、その裏側にて
どことも知れぬ場所。
荒漠と広がる原野には所々に枯れ木が立ち並んでおり、そこにはかつて森があったことを思わせる。
しかし現在はかつてあったと思われる緑の姿はどこにもなく、大地を流れる川すら見当たらない、乾いた大地がどこまでも広がっていた。
一見して生物が暮らしていくのに適さない――実際に生物の姿が一切見られないその地には、そこだけ不似合いなほど立派な城が建てられている。
一体何から守るためなのかも分からない巨大な城壁と、周囲に張り巡らされた水の張られた堀。
広大な範囲を囲う城壁には、トゲの付いた蔦があちこちに伸びている。
これらの蔦はうねうねと動いており、壁をよじ登ろうとする者を捕食せんと待ち構えていた。
東京ドーム何個分といった敷地を持つ西洋風の城だが、その大きさに反比例して城内からは喧噪が一切聞こえてこない。
何故なら城内で動いているモノの大半は、物言わぬ人形たちだったからだ。
彼ら彼女らは、主に命じられたままに城内の清掃や管理を行っている。
ではこの城の主は何をしているのかというと、作戦会議室のような趣のある部屋で、紫色の髪をした女性と作戦机を挟んで向かい合っていた。
「ふむ……そうくるか。では我はこう退くとしよう」
「では、私は騎士にて後を追いましょう」
「なんと! まさか愚直に攻め入って無事で済むと思うておるのか?」
「いいから早く次の手を打ってください。ご主人様」
「ふふ、まあよい。ならば我はこの愚かな騎士の命を刈り取るまでよ」
「では私は弓兵をこちらに」
「ふむ? 何を考えておるのだ? それでは攻めてくれと言わんばかりではないか」
二人が作戦机の上で行っていたのは、チェスのようなボードゲームだった。
ただチェスと違うのは、将棋のように取った相手の駒をコストを払って盤面に配置出来るという点。
現在の盤面を見る限りだと、駒数としては主の方が多い。
しかも先ほどの騎士に続き、妙な場所に飛び出て来た弓兵も主の手駒に加わってしまう。
「見よ。我が軍は数的にも布陣的にも圧倒的に優位に立っておる。よいか? 目先のことに捕らわれるのではなく、もっと戦術というものを見据えねば戦に勝つことは――」
「5二長槍。王手でございます」
「……む?」
王手と言われ、改めて盤面を目を皿のようにして見つめる主。
初めは余裕のあった表情も、あれこれ手を検討していく内に顔色が悪くなっていく。
「ま、ま、まあ、まだ終わった訳ではないしな?」
パチッ。
明らかに動揺を隠せないまま、主が王を逃がす。
しかし相手の手駒や盤面の駒がそうはさせじと怒涛の如く押し寄せる。
「ぐ、ぬぬぬぬ……」
「3四歩兵」
「なればこうして……」
「5六魔術師」
「ぐっ……」
「さあどうしたのですか? ご主人様。目先のことに捕らわれない、素晴らしい一手を私にも拝見させてください」
「ぐううう…………」
「ぐううう? お腹が減ったのですか? ですが今は最終局面ですし、お食事はもう少し我慢してください。それよりも、さあ次の一手を無知蒙昧な私にも教えて頂けませんか?」
「ぐおおおおおおおっ! 地揺れだ! 気を付けろセルマ! 上から物が落下してくるやもしれぬぞ!?」
主がそう言うと、実際に室内を揺れが襲う。
それも作戦机の部分にだけ局所的に強い揺れが襲い、完全に盤面がめちゃくちゃになってしまった。
「…………」
「おお、なんてことだ。これでは我の必殺のスーパースペシャルな最強手が打てぬではないか。済まぬなセルマ。お前の要望には応えられぬよう――」
「問題ありません。先ほどの盤面は完全に記憶しておりますので、駒を並び替えてから再開致しましょう」
「なん……だと……?」
「ですから、私が先ほどの盤面を記憶しておりますので元通りに戻しましょう」
「ま、待て。お前の記憶力を疑う訳ではないのだが、万が一……億が一記憶違いだということもありえるだろう? そうなれば、せっかくの我の最強手も通用しなくなってしまう」
「でしたらそれはそれでまた新しい『ぼくのかんがえたさいきょうしゅ』を導きだせばよいかと存じますが」
「い、いや、どうせなら気分を新たに最初から打ち直さぬか? 実は今回の攻防で新たな定跡を見出してな。それを是非試してみたいのだ」
「……分かりました。では最初から始めましょう」
セルマは主の見え見えの言い訳に乗っかり、駒を再び初期位置へと配置しなおす。
二人の間でこのボードゲームは何千回と対局されていたが、未だに決着が着いたことはない。
先ほどのように、主がなんだかんだ言って最後まで対局することがなかったからだ。
「よし、そう来なくてはな。今度こそ負けはせぬぞ!」
その台詞そのものが負けを認めているのと同義なのだが、主はそのことに気付かないまま再び対局を始める。
そして結局食事休憩も挟まず、更にそれから2時間程対局が進んだ。
盤面は先ほどと同じく、主目線では問題ないように見えているが、実はすでに詰めろに入っていて、このままだとあと数手で王が詰まされてしまう。
そんな場面だった。
「ぐおおおおおおぉぉぉぉぉぉ…………」
「ご主人様。今度はどうなさったのですか? 25局前のように、猛烈な腹痛に見舞われでもしましたか?」
嫌味にならない程度の口調で無表情のまま尋ねるセルマだったが、主の様子はこれまでにない程おかしいことに遅れながら気付く。
ずっと叫び声を上げたままの主の顔色は、見る見る間に悪くなっていった。
「ご主人様、ご主人様!?」
日頃無表情で余り感情を表に出さないセルマだが、見たことのない主の症状に、つい声を荒げてしまう。
「お……のれ…………。なに……もの…………」
それは実際にはほんの僅かな時間であったが、主にとっては何日、何か月にも感じられるほどの辛い時間となる。
それは主が最後に何者かに向かって語り掛けた後、どうしようもなくなって気を失ってしまうほどの強烈なものだった。
主が倒れると、慌てたようにセルマは寝室へと主を運び、数日ものあいだ甲斐甲斐しく世話をした。
その成果が現れたのか、5日後に目を覚ました主。
そこで主はセルマに何が起こったのかを語った。
「魂環の書……でございますか?」
「ああ、そうだ。かつて我がダンジョンより発見したあの呪具。あれによって我は基本8属性の魔術の適性を究め、以降は余剰分を魔力量の拡充に充てることで膨大な魔力を得たのだ」
今でこそ魂環の書は魔術の適性を失う代わりに、魔力量が増える魔書とされている。
だが主が入手した段階では、まだ魂環の書は誰にも登録されていない状態だった。
そして主が魔書へと登録することで、以降は今に伝わるような効果の魔書として知られるようになる。
「お前も知っての通り、あの呪具は使用者の基本8属性の魔術適正を奪い、それを登録者である我の下へと届ける。そこで我は魔術の適性を得るのだが、それにも限度があってな。途中からは適性を得るのではなく、それを魔力量を拡張する力へと変換していたのだ」
「そのことは存じております」
「うむ……。だがな、あの呪具は決して使用者に害を齎すだけのものではない。登録者である我は提供された適性の強さに応じ、使用者の魔力量を拡張させねばならぬのだ」
「その際には、ご主人様の魔力が利用されると聞き及んでおりましたが、少々魔力量を拡張させる程度なら問題なかったはずでは?」
「そうだ。それどころか、人間の魔力量というのは相当に少ない。魔術適正を魔力量へと変換すると力が多少余るほどなので、基本的には使用者が増えるほどに我の魔力量は際限なく増えていく……ハズであった」
「そこに計算違いが起きたと?」
セルマが尋ねると、主がこれ以上ないというほどに不機嫌な顔になる。
「魂環の書で奪い取る相手の魔術適正には限度がある。そして、適性を奪えば奪うほど、その者の魔力量は大きく拡張される」
「つまり、今回の使用者はとんでもなく魔術の適性があったと?」
「とんでもないどころではない! 8属性全てを奪える限度一杯まで奪ったのだぞ!? それに使用者が元々保持していた魔力がこれまた途轍もない魔力量だった……」
「確か……、使用者の元の魔力量が多いほど、拡張される魔力量も増えるのでしたね」
「そうだ。それもこれまでの経験からいって、魔力量は加算するのではなく、奪った適性量に応じて乗算されるものと思われる。今回の使用者は、元々の魔力量がそこらの天使や悪魔を余裕で超えるほどに膨大な魔力量であった。そこに限界まで奪った魔術適正によって倍率が跳ね上がり、何十……あるいは何百倍にもなって使用者の魔力量を拡張させたのだ……」
「それは……」
いつもは主に対して歯に衣着せぬ物言いをするセルマだったが、今日ばかりはその毒舌も影を潜めている。
「お陰でこれまで我が何千年ものあいだ貯め込んだ魔力量はそのまま使用者のものとなり、それでも負債が払いきれなかった我は神力の多くを失ってしまったのだ……」
「!? まさか、そこまでとは……」
「ここも維持するのがやっとでな。それでも規模を大幅に縮小せざるを得ん」
実はこの場所は、神の一柱である主が生み出した場所だった。
しかし影治の魔力量拡張のために神力をも強制的に引き出された結果、この場所の維持にも支障をきたし始めている。
城回りはかろうじて維持できているものの、周囲に広がっていた広大な空間は今は何もない真っ暗な空間へと変貌していた。
「セルマよ。お前は下界へと降り、此度の魂環の書の使用者を突き止めるのだ。そして我の力を取り戻す方法を模索せよ」
「承知致しました、ご主人様」
かくしてセルマは神である主の命に従い、地上へと降りたつのであった。




