第62話 落下
「どうやら終わったようだな。魂環の書は回収しておけよ」
グルグが命令すると、影治の近くに落ちていた魂環の書を兵士が回収していく。
その様子を影治はジッとしたまま見送る。
魂環の書を使用させられた影響か、どこか意識がしっかりとしていない様子だ。
だが構わずグルグは影治に宣告を下す。
「これで貴様の魔力量は大きく向上したはずだが、代わりに魔術の適性を失った。もう無詠唱で魔術を放つことも出来んだろう」
そう言いながらグルグは影治へと近づいていくと、ぼーっとした様子の影治を何度も蹴りつけていく。
すでに捕縛される際にボロボロになっていた影治からすれば、それは大したダメージにはなっていなかったが、弱り切った影治は更に追い詰められていった。
「その辺にしときな、グルグ。生贄に奉げる前に死んじまったら元も子もないよ」
「ハァッ、ハァッ……。チッ! この位にしておいてやる。お前ら、そいつを嘆きの穴まで運べ」
グルグに命令された兵士が、二人がかりで影治を嘆きの穴の近くまで運ぶ。
このままこの穴に放り投げられるのか? と思った影治は脱出を試みるが、手足は完全にロープで縛られており、ろくに体を動かすこともできない。
芋虫のように体をくねらす影治を嘲笑いながら、グルグが最終宣告を述べる。
「いいか? お前はこれからこの嘆きの穴に投げ込まれる。この地下には何でも昏き闇の主というのが封じられているらしくてな。お前はそいつに奉げる生贄になるという訳だ」
「これほどの魔力量を持つ生贄なら、ここのところ頻発していた地揺れも収まるかもしれないねえ」
この街の地下深くに昏き闇の主が封じられているというのは、昔から伝わっていた話だ。
グルグとミランダはその昏き闇の主に生贄を奉げることで、ここ最近シャーゲンの街に発生していた地揺れが収まると信じていた。
もっともその話と地揺れを直接繋げる証拠などは見つかっていないので、実際は彼らの思いこみでしかない。
だがそれとは別に、以前よりこの嘆きの穴には幾人も罪人などを生贄に奉げてきたという歴史がある。
それにこの地には古より存在する邪神像が存在しており、今もなおその邪神像からは魔力が発せられている。
その邪神像こそが、昏き闇の主を抑え込んでいる古代の呪具であるとも、言い伝えられていた。
どちらにせよ、影治を処分するのに嘆きの穴はうってつけであるということだ。
「さあ、生贄に奉げられる前に何か言い残すことはあるかあ? んん?」
それは慈悲でもなんでもなく、ただ単に追い詰められた相手に更に追い打ちをかけるための言葉だった。
だが影治は口の端を上げグルグを見据えて言い返す。
「近い内に……殺しに行くから……その首を……よく洗っておくんだな……」
「ッ! さっさとこいつを穴に放り込め!」
呪詛のような影治の声に怒りよりも恐れを多く抱いたグルグは、その恐れを振り払うかのように大声で命じる。
両側から体を持ち上げられていた影治は、揺り籠のように揺らされたかと思うと、そのまま嘆きの穴へと放り込まれるのだった。
(ああは言ったものの、どうしたものかな)
どこまでも続くかのような深い穴を落下していく影治。
生ぬるい風が影治の体に吹き付けるが、それで落下の勢いが弱まることはない。
このままでは、生贄に奉げるより前に落下死してしまうだろう。
(魔術は……ダメだ、使えん)
大分効力は弱まって来ている感じはするのだが、魔封丸は未だに影治の体内で効果を発揮していた。
成す術もなく、ただただ底の見えない昏い穴に落下し続ける影治。
だがある地点を通過した辺りから、急激に影治の周囲に風が吹き付け始めた。
それは落下による風とは異なり、纏わりつくように影治の周辺に展開されていく。
「落下の勢いが……弱まった?」
それまでは落下死が免れない程の勢いだったのだが、この不自然な風によって大分落下速度が軽減される。
影治はそこに魔力の存在を感じ取ったが、どういった作用が働いているかまでは分からない。
それよりも、今の影治は五体満足な状態ではなく、体のあちこちがボロボロの状態のうえ手足が縛られたままなので、まともに着地も受け身もできそうにない。
「ぐぬぬぬ……」
勢いが弱まったとはいえ、このまま体を横にしたまま落下するのはまずいと思い、足から着地出来るように必死に体を動そうとする影治。
しかしそんな影治の奮闘も空しく、そのまま落下を続けた影治はついに穴の底に着水する。
ジャポオオオオオオン……。
どうやら穴の底は水たまり……というよりは地底湖のようになっていたらしく、影治は水中へと投げ出されることになる。
「がぼぼぼぼ……」
まさかの水中ダイブに最初は水をしこたま飲みこんでしまった影治だったが、体の力を抜き、仰向けになるように体を動かし、そのままぷかーっと水面まで浮かびあがった。
手足を縛られた状態で水中に放り込まれたにしては、かなり冷静な対処だ。
「すううぅぅ……はああぁぁ……」
そして大きく息を吸ったあとは、そのままエビのようにくねくね体を動かしながら、岸辺まで泳いでいく。
当然のことながら辺りは真っ暗闇であるが、とにかく影治は体を落ち着ける場所まで移動することに全力を注いだ。
「ふううぅぅ……、どう……にか……」
幸い落下地点から岸辺まではそれほどの距離はなく、すぐに辿り着くことができた。
切り傷や打撲によるダメージの他、体力もかなり消耗してしまっていた影治だったが、ようやくここで一息つく。
「魔術の方は……ダメだ。魔封丸の影響はまだ残ってるが、これくらいなら無理やりにでも発動させることが出来るはず……。だというのにウィンドカッターがさっぱり反応せん」
まずは手足のロープを切ろうとした影治だったが、無理やりに乱れた体内の魔力を調整して魔術を発動しようとしても、効果は現れなかった。
だがそれで諦めるような真似はせず、他にも魔術を試していく影治。
すると……
「おっ!?」
明かりとしてライトスフィアやバーニングを使おうとした結果、続けて失敗していた影治。
だが体の傷を癒やそうと使用したヒーリングは、以前と同じように発動することが出来た。
となれば、影治は体の傷が完全に癒えるまでヒーリングを使いまくり、最後にフィジカルリカバーを使用して体力も回復させていく。
「ふぅ……。回復魔術が使えるのは助かる。それに魔術の適性を奪うとか言ってた割に、回復魔術に関しては完全に以前と変わりなく使えるようだ」
ゲームのようにHPがいくつ回復したなどと、数値によって効果の判別はできない。
しかし感覚としては、以前までのヒーリングとなんら変わりないように影治には感じられた。
「そうなると、適性が失われるというのは攻撃魔術適正や防御魔術適正とは別ということか」
魔術適正には攻撃魔術適正や防御魔術適正の他に、治癒魔術適正というものも含まれていた。
もしこの適性が失われていたとするなら、ヒーリングを掛けた際に明らかに違いが感じられるはずだ。
畢竟、その他の攻撃魔術適正なども失われていないということになる。
「そして風、光、火魔術が使えず、回復魔術だけが使えたという点。前者は属性適正の場面にもあった、基本的な8つの属性に含まれている。となると……」
試しに影治は、神聖魔術のホーリーライトを発動させてみる。
すると、白く輝く光の球が空中に発生した。
「やっぱそうか! どうやら失われた適性とやらは、基本8属性だけらしいな」
未だ手足が縛られたままの上に、主要魔術を失ってしまった影治。
しかし影治の瞳には、諦めや絶望などといった色は一切浮かんでいなかった。




