第57話 四面楚歌
ストンッっという、3階の高さから飛び降りたとは思えない、軽やかな音を立てて宿の下に飛び降りる影治。
しかしそこにはすでに待ち構えている者達がいた。
「ほらディグ! 出て来たじゃないのさ」
「上の様子からして、ダグが突入する前に飛び降りてきやがったな。気を付けろよ、ネイ。判断の早さと今の着地の様子からして、ただのガキじゃあなさそうだ」
そこにいたのは影治が水浴び場で出会った筋肉質な女戦士と、食堂にいたネズミ顔の男だった。
両者共に革鎧を装備しており、女戦士は大きなメイスを。ネズミ顔は短剣を片手に持っている。
「ハンッ! あたいは見た目がガキだろうと油断なんざしない……よっ!」
そう言いながら、大きなメイスを影治に向けて振り下ろす女戦士。
総金属製のそのメイスは、恐らく重さだけで数キロはあろうかと思われたが、ネイはまるで重さを感じさせずにそれを振るってくる。
四之宮流古武術には、武器術も存在する。
それはすなわち、武器を持った相手との戦闘も想定しているということだ。
最初の2、3回の攻撃で女戦士の力量をある程度見て取った影治は、安全マージンを取ってあけていた距離を詰め、振り下ろされるメイスを紙一重で躱しつつ拳を放つ。
「ぐぅ!? なんだい、鎧越しなのに衝撃が中まで……」
四之宮流古武術の当身技には、主に衝撃に重点を置いたものと浸透系の2種類が存在している。
他にも打撃ではなく切り裂くような当身や、貫通力に重点を置いた当身も存在するのだが、今しがた影治が放ったのは浸透系の当身だった。
内臓を破裂でもさせない限りは速攻性は低いが、影治ほどの使い手なら鎧越しでも何発かもらえば大分効いてくる。
他流派では鎧通しなどと呼ばれる技だ。
実際に何発か腹にもらっていくうちに、女戦士の動きが段々と鈍っていく。
「ネイッ!」
仲間が苦戦している様子を見て、ネズミ顔も挟み込むようにして影治に攻撃を加えているのだが、影治は巧みに自分の位置を変えたり女戦士を盾にするような位置取りをして、2対1の状況にもっていかせない。
状況的には数で負けてる影治の方が優勢だが、少し離れたところからはこの場所に向かってくる者達の音が聞こえてくる。
「チッ……、ゴブリンもそうだったがやたらタフじゃねえか」
遠慮なくぶち込んだ影治の当身技は、本来ならとっくに女戦士の息の根を止めていてもおかしくないものだった。
しかしキツそうにはしているものの、未だ女戦士の闘志は潰えていない。
「なら……これはどうだ!」
影治はブンブンと風を切りながら振り回されるメイスを躱し、女戦士の右上腕部を優しく撫でるようにして触れる。
「なんだい? くすぐったいじゃ……ぎゃあああああああああっっ!!」
初めはこそばゆさを感じていた女戦士だったが、続いて影治が貫手で女戦士の太い頸部を突くと、野獣のような叫び声を上げる。
どうやらかなり強い痛みを感じているらしく、手にしていた大きなメイスも取りこぼしてしまっていた。
影治が使用したのは、四之宮流古武術の"刺経"と呼ばれる技だ。
特定のツボを予め刺激することで、特定の部位へのダメージを数倍にする――正確には痛覚を更に刺激することが出来る技だ。
しかも頸部に幾つか存在する急所を、岩式鍛錬で鍛えた貫手で貫いたのだから、そのダメージはかなりのものとなる。
「ん……ぐっ……」
影治としてはこの貫手で仕留めるつもりだったのだが、それでもまだ女戦士の意識すら断ち切ることが出来なかったので、即座に次の動作へと移る。
頸部に放った貫手を、そのまま触れるか触れないか位のぬるっとしたタッチで頸部に絡め、ギュッとテコの原理も利用して首を絞める。
するとグキッという頸椎が折れる音が、接触した腕の部分から影治へと伝わる。
だが驚くべきことに、その状態から女戦士は強引に左腕で首を絞めている影治を剥がそうとしてきた。
「……ゴブリンみてえな魔物ならともかく、人間のレベル超えてるだろそれ」
しかし流石に頸椎を折られた状態ではそれが限界だったのか、影治が女戦士の腕から逃れるように身を翻して離れると、少ししてからようやく女戦士が地に倒れ伏す。
「テメェ……」
首が折れ曲がったまま倒れている女戦士は、脈をとるまでもなく死んでいるのは明らかだ。
それを見てネズミ顔が激高しながら短剣で襲い掛かってくる。
右手から左手、そしてまた右手へと、素早く左右の手に短剣を持ち替えながら、素早く短剣を突き刺してくるネズミ顔。
そのフットワークはかなり軽く、先程までのように女戦士を盾に使われていない分、本来の動きを取り戻したようだった。
「フゥッ!」
パワーファイターだった女戦士とは違い、ネズミ顔は持ち前のフットワークと素早く鋭い短剣の突きを見舞ってくるが、影治の体にはかすりもしない。
それだけでなく、回し込むようにしてネズミ顔の腕に巻き付かせた腕によって、相手の短剣を奪い、そのままの流れでネズミ顔の頸部を切り裂く影治。
「ぐあ!」
短剣を奪われ、そのまま頸動脈を掻っ切られたネズミ顔は、先程の女戦士のような粘りを見せることなく地面に沈む。
ヒュン!
とそこへ、風を切るような音が微かに影治の耳に届く。
何か飛んでくる……そう思った影治は反射的に体を動かし、音の聞こえてきた方に振り向きつつ手にしていた短剣を投擲する。
「くはっ……」
その先には軽装の男が立っており、首には影治が投擲した短剣が見事突き刺さっていた。
男の周りには、他にも武器を手にした者が幾人も押し寄せてきている。
「反対側からもか……」
影治が今いる場所は宿の庭にあたるような部分らしく、目の前には宿を囲っている塀が見える。
そして何かを投擲してきた男達とは反対の方向からも、幾人か回り込んできている音がしていた。
「ここに留まるのは得策じゃないか」
そう判断すると、すぐに影治は塀を乗り越えて宿の敷地内から抜け出した。
塀を超えた先は裏通りのような狭い道になっており、右手にいくと大通りの方に通じている。
少し迷った影治は、敢えて裏通りの奥ではなく大通りの方へと駆けていく。
この辺の地理を知らない以上、逃げた先が袋小路だという危険性を考慮したからだ。
「いたぞ! 妖魔のガキだ!!」
しかし大通りには駆けつけてきていた衛兵が待ち構えていた。
彼らは宿の入口を封鎖していたようだったが、脇道からひょいっと出て来た影治を目敏く見つけたらしい。
「チィ! ガキ一人相手になんでこんなに人数がいるんだよ!」
そう愚痴りながらも、衛兵達のいる方向とは逆方向へと逃げる影治。
影治の預かり知らぬところではあるが、元々宿の女将から通報を受けて駆け付けたのが、入り口を封鎖していた衛兵達だった。
女戦士や回り込もうとしてきた者達は、元々この宿に泊まっていたハンター達であり、宿からの協力要請を受けて影治の捕縛に乗り出していた。
生死は問わないが、生きたまま捕えれば報奨金は高くなる。
それはこの帝国内で暮らす者達の、亜人や妖魔に対する共通認識であった。
「妖魔のガキが逃げたぞおお!!」
衛兵が大きな声を上げたことで、影治は周囲の人々からの注目を一身に浴びてしまう。
夜になって大分人通りも減っていたが、街の大通りなだけあってまだそれなりの人が通りにはいた。
彼らは衛兵の声に反応し、影治を取り囲み始めるのだった。




