第52話 初めての街※
村を出ればそこはすでに帝国圏内だと思われるので、いつ人と出会うか分からない。
そのため影治は、民家で見つけた麦わら帽子のようなものを被っていた。
人攫いの男は4か月前くらいの時点で春の序月に入ったと言っていたので、恐らく今の季節は夏の序月か夏の中月だと思われる。
「んー、確かにこっちに来た当初より気温は高くなってる気がするが……そこまで変わらんな」
ドナから聞いた話では一年中暖かい地域なようなので、季節の移り変わりによる気候変化もそれほどないのかもしれない。
だが森を出て街道を歩く影治には、木々によって遮られていた日光がもろに浴びせられている。
日差しはそこまで厳しいという訳ではないが、それでも麦わら帽子が直射日光を遮ってくれるので、頭部を隠す以外にも実用的に役立っていた。
通気性もあるので、風が通り過ぎると蒸れた頭部に心地よさを運んでくれる。
「しっかし道はあるのに、誰も見かけないな」
そもそも道といっても舗装されてる訳でもなく、ただ人が通っていくうちに踏み鳴らされていっただけのような道だ。
周りには草原が広がっており、所々に小さな森のようなものが見える。
ただ先に進むにつれて、そうした森も少なくなっていった。
魔物と遭遇することもなく、どこからか鳥の声が聞こえてきたりとのどかな風景が続く。
一度草むらから1メートル以上ある蛇が飛び出したこともあったが、影治は焦ることもなくウィンドカッターで仕留め、仕留めた蛇はその日の昼食となった。
その後も周囲の風景を観察しながら街道を歩き続け、日が暮れてからは無理せずに道を少し逸れて、魔術で簡易拠点を作り出す。
テントや寝袋などはないので、風除け用の壁と一段盛り上げただけの寝床。屋根もあってないようなものだ。
そこへ更にロングバーニングで薪入らずの焚火を作ると、影治はごろんと横になる。
「森ん中だと魔物の心配だけしていたが、ここだと魔物よりは人に対して警戒した方がよさそうだな」
とはいえ、一人で行動しているので夜に見張り番を立てることも出来ない。
すぐに動ける体勢をとりながら、影治は久々に眠れない夜を過ごした。
「ん、んん~~~。まわりの様子が気になってあんましっかり休めなかったな」
日が暮れてからすぐにキャンプに入ったので、時間としてはそれなりの時間休んではいるのだが、完全に意識が落ちない程度の緊張が持続していたせいか、調子はいまいちな様子の影治。
街道の途中で夜営した影治だが、夜中の間に何者かに襲撃されたり魔物が現れるといったことはなかった。
それでも1時間か2時間おきくらいには目が覚めてしまい、しっかり睡眠を取ることができていない。
「ふぁああぁぁ……。早くこの生活にも慣れんといかんな」
そう言いながら、影治は朝の基礎鍛錬を始める。
移動中なのでしっかりしたものではなく、体式の基本的な鍛錬を黙々とこなしていく。
今日も天気はいいようで、上空には青空が広がっている。
季節的な理由なのかそういう地域なのか、それなりに雨も振るとはいえ、影治のイメージする熱帯雨林気候ほどは振らない。
もしかしたら雨季のようなものがあるのかもしれないが、少なくとも今の天候は移動途中の影治にはありがたかった。
「さあて、飯も食ったしそろそろ移動開始するか」
そしてこの日もまた街道を辿る旅が始まった。
その道中で影治が思っていたのは、次の村か街まではそれなりに距離があるのではないか? ということだった。
何故なら、影治が全滅させた村に誰も訪れた様子がなかったからだ。
影治が村を全滅させ、拠点にドナを埋葬して戻ってくるまでに、およそ1週間が経過している。
それだけの間、あの村に誰も立ち寄った形跡がなかったのだ。
「ってえことは、後数日は野宿が続くってこった」
なんて呟きながら歩いていた影治だったが、その日の午後になって影治は自分の考えが間違っていたことを悟る。
「あれは……街か?」
影治の視界の先には畑と、その奥に見える民家が映っていた。
奥の方に見える民家は数がまばらではあったが、かなり奥の方まで続いている。
村でもそうだったが、周囲を囲む壁のようなものは見られない。
「……帝国内の街だし、気を付けていかんとな」
気を引き締めて街へと歩いていく影治。
すると、ほどなくして街の様子が見えてくる。
どうやらこの道の先には川があるらしく、その川の周囲に民家や畑が並んでいるらしい。
流石にここまで来ると人の姿もちらほら見かけるようになっている。
「やはり見た感じだと人族ばかりのようだな。まあ、俺みたいに髪の色だけ違う奴が交じってるのかもしれんが」
こうして街の風景だけ眺めてみても、一見平和そうに見える。
……というより、実際に人族にとっては平和とまではいかなくても、それなりに暮らしていける場所なんだろう。
影治が不審に思われない程度に観察しながら道を進むと、やがて街を分断する川が見えてきた。
川幅は20~30メートルほどで、影治が今歩いている道の先には石で作られた橋が架けられていた。
「ここまでは街かどうか微妙なラインだったが、どうやらこの辺は街のかなり外れだったらしい」
これまでは余り建物が密集していなかったが、川を渡った先には建物がこれでもかとばかりに集まっている。
更に、そうした建物の奥には高さ数メートルほどもある街壁が聳えていた。
流石にこの街の規模ともなると、壁は敷かれているらしい。
「つっても、結構壁からあぶれて外側にも人が住み着いてるみてえだな。ううん、とりあえず宿を探そうと思うが、壁の外側で探した方が良さそうだ」
橋を渡った影治は、宿を求めて町中をさまよう。
獣人や妖魔を排斥している聖光教ではあるが、ヒューマン以外の人族はその対象に入っていない。
とはいえ、街中をうろついてみた感じではヒューマンがその大半を占めていた。
人族は他にもエルフやドワーフなども含むのだが、そのどちらもまだ見かけていない。
「お? あれがドワーフか……?」
街をぶらついていた影治は、道の先にそれらしき男が歩いているのを発見する。
背は低く、樽のような体型をしており立派な髭が生えていた。
まさにドワーフのテンプレといったような見た目だ。
そのドワーフの隣には、槍を手にした衛兵らしき男が一緒に歩いている。
恐らくは知り合い同士なのだろう。
何か話をしながら影治の方に向かって歩いていた。
「っと、ぼーっとしてんじゃねえよ!」
影治の注意がドワーフの方に向けられていると、みすぼらしい身なりの少年が影治にぶつかってくる。
そしてそのまま文句を言って立ち去ろうとするのだが、影治はその少年の手を素早くつかみ取る。
「おい、何しやがる!」
「そのナイフを返してもらおう」
見ると、少年の手には影治が腰に佩いていたレッドボーンナイフが握られていた。
ぶつかった拍子に影治からスリ取ったのだろう。
「あで! あででででっ! わ、わかった。分かったから腕を離してくれよ」
影治が少年の手を小手返しの要領でキメると、すぐに少年は音を上げる。
といってもキメられた状態では少年の方から動けないので、影治は少年の手からレッドボーンナイフを自力で回収した。
「そこのお前達! 何があった?」
そうこうしていると、ドワーフと一緒に歩いていた衛兵らしき男が駆け寄ってくる。
わざわざこのような場面に割り込んでくるということは、見た目通り街の衛兵なのかもしれない。
「そこのガキが俺のナイフをすろうとしたから、奪い返しただけだ」
「ふむ、なるほど」
衛兵の男は影治と少年を見比べ、納得した表情を浮かべる。
影治の服装も村人の服なので大層なものではないが、少年の方が見た目的に明らかに貧しそうな服装をしていた。
それに影治は大きな背負い袋など、まだ少年といった見た目ながら明らかに旅人といった装いなので、衛兵の男もすぐに判断を下せたようだ。
「よし、お前は詰め所に……」
「捕まってたまるかよ! っってええ!!」
衛兵の男が少年を捕えようとする動きを見せると、少年は片手がキメられた状態から無理に動こうとして、痛そうな声を上げる。
しかし捕まったらもっとヤバイ目にあうと思っているのか、その勢いのまま影治にタックルをかまして路地裏へと逃げていく。
少年の苦し紛れのタックル程度では、影治になんらダメージを与えることはなかった。
しかし衝撃はそれなりに伝わったらしい。
少年がタックルしたことによって、影治が被っていた麦わら帽子が宙へ舞ってしまっていた。




