第28話 言葉の問題
『これは、何?』
『ぐーどぅー』
『これは、何?』
『ふぉあるでぃん』
拠点でドナと暮らし始めて数日。
影治はここでの暮らしの基本を教えると同時に、この世界の言語の修得を試みていた。
「これは何?」という質問の意味すら最初は上手く伝わっていなかったが、ジェスチャーを交えての説明でそれが何を意味しているのかが分かったらしい。
作業の合間にもこうして目についたものや気になった言葉を、ひとつひとつ覚えていく。
元々影治は日本で暮らしていた頃から、周囲の人間によく天才だと言われていた。
それもお世辞やそこいらのちょっと要領がいいというレベルではなく、脅威の天才児などと呼ばれるほどに、優れている部分があったのだ。
それは驚異的な学習能力の高さ。
四之宮流古武術にせよ、スポーツにせよ、影治は何も体を動かすことだけに特化したのではない。
それは知能に関しても言えることであり、大抵のことは一度聞けばそれだけで覚えることが出来た。
そしてまたその能力を活かして数か国語を学んだ経験があり、そうした特性も未知の言語の習得に今現在役立っている。
「……というか文法や母音など、俺が学んできた言語に通じる部分も多い。これは人が生み出した言葉だから似通ってしまうというせいなのか、それとも基となっている言葉がもしかしたら……?」
予想を立ててみるも、影治の知る言語と被るような単語などは今のところ出てきていない。
この世界の言葉に関しては情報が少ない状態であるが、影治は驚異的な早さで言葉を学んでいた。
『これは、何?』
ドナが目の前の石の作業台の上に置かれた粘土を見て、影治に尋ねる。
この短い言葉の意味を互いに共有出来ただけでも、コミュニケーションが数段捗っていた。
「これは俺が魔法で生み出した粘土なんだが……ああ、こう『土』、『水』、『混ぜる』、『何?』」
『土、水、混ぜる……。あっ、どいる?』
「どいる? それが粘土か。ええと、『粘土』、『作る』、『コップ』」
影治が今行おうとしているのは、ドナ用のコップを作ろうというものだった。
だが作るのは影治ではなく、ドナ自身に行わせる。
自分で作ったものは愛着が湧くし、ここでの生活ではこういった技術が役に立つのだ。
それを学んでもらうために、影治は簡単なやり取りをした後に実際に手取り足取り粘土からのコップ作りを教えていく。
『ほああ……。コップ、出来た』
『ああ。良く、出来た』
ドナが一生懸命こねくり回していたコップを窯で焼き上げ、少し形の崩れたドナ専用のコップが完成した。
思いのほかそのことに喜んでいるようで、大事そうに両腕で胸に抱えている。
「ふっ、そういった所はまだまだ子供だな」
大人ぶってそう言う影治だが、前世を含めばかなりいい年いってる割に、言動が子供っぽい所がある。
これは元々の影治の破天荒な性格なせいもあったが、20代半ばから人と接触しない生活を送ったことで他人との協調性を学ぶ機会が失われ、野性味が研ぎ澄まされた結果とも言えた。
更に転生後に少年の体を得たことで、精神的に若返っている影響も大きい。
『もっと、作る。粘土、出して』
「ん? ああ。ほらよ」
ドナも影治に分かりやすいように、発音をゆっくり目にハッキリと発音してくれるので、異世界語初心者の影治にも聞き取りやすい。
だが咄嗟に答える言葉にはやはり使い慣れた日本語が出てしまう。
影治はドナの望むように魔術で粘土を沢山生み出すと、飯を取りにいくといって拠点を後にする。
ドナと暮らすようになって、最初の方に行った作業に拠点の防備の強化というものがあった。
入口周辺はそれなりに防備体制は出来ていたが、土壁を更に厚く高く盛る。
更に、この洞窟の入口付近は崖になっているのだが、高さは10メートルほどなのでワンチャン崖上から飛び降りれば入り口前まで入れてしまう。
そこで洞窟入口部分の崖上部に上り、そこにも囲うように土壁を高く築き、入口真上の崖上部分に侵入出来ないようにした。
それだけでなく、洞窟入口の天上部分から少し大きめでしっかりとした庇部分を作って、そのせりだした庇の上に尖った針罠を魔術で作った。
これで万が一、崖上部分の壁を乗り越えて洞窟前広場に飛び降りようとしても、庇部分のトゲ罠でグサリッ! という訳だ。
「いつも食材探しの時はついてきたがるのに、よほど粘土づくりが気に入ったんだな」
そう思いながら、影治は久々に一人で食材を探しにいく。
この森は温暖な気候のせいか、これまで食料で困ることはなかった。
更に動物系の魔物が肉までドロップしてくれるので、調味料がまったくないことを覗けばそれなりに充実している。
『エイジ、粘土、焼く』
「ああ、はいはい。取って来たもんをしまってくるから待っててな」
影治が食材を集めて戻ってくると、待ってましたとばかりにドナが近寄ってくる。
食材集めついでに周辺の散策とゴブリン探しもしていたので、大分時間がかかってしまっていたから待たせてしまったようだ。
久し振りに戻って来た拠点だが、やはりゴブリン村を潰したのが効いたのか、洞窟周辺ではゴブリンを余り見かけないようになっていた。
しかしいなけりゃいないで、ゴブリンのドロップが集められない。
その内遠出でもしようかと影治は決める。
だがまずは今日の準備……の前に、窯にドナの作品を入れていく影治。
『ふんふんふ~ん♪』
どんな風に出来上がるのか気になるのか、ドナは窯の前で火をジッと見つめながら様子を見ている。
その間に影治は簡単な食事の準備を整えていく。
『ドナァァ! ご飯、ご飯』
『ご飯! ご飯!』
影治がドナを呼ぶと、今度はテーブルの上に並べられた料理を見てドナが上機嫌に「ご飯!」と即興のメロディーを口ずさむ。
「よし、じゃあ食うか。いただきます」
「いたがきます!」
「いただきます」の挨拶の習慣はドナにはないようで、ここだけは日本語で影治が教え込んでいる。
まだ発音が慣れてないのか一部おかしいが、許容範囲内だろう。
別に影治も日本で暮らしてた頃は、いちいち食事前にいただきますなどと言うことはなかった。
せいぜい畏まった場や、誰かが作ってくれたものを食べる時に言っていた位だ。
しかし無人島での一人暮らしを経て、食べ物があることへの感謝の念を抱いて以降、自然といただきますと言うようになっていた。
そして今ドナにもその教えを伝えている。
「がちそーさまでした!」
「うむ、ごちそうさま……ってちょっと待て」
『ん?』
「お前、やわらかキュウリ残してやがるな?」
やわらかキュウリとは、見た目はウリ科の植物っぽい見た目をしているのだが、齧ってみると中はしんなりとしていてとても瑞々しい植物だ。
味はほとんどしないが、微かにアロエのような味がする。
『ガボン、嫌い』
『嫌い、ダメ。食べる!』
ドナは獣人だからなのか、肉は好んで食べるのだが野菜系は余り好きではないらしい。
今は影治が肉を取ってくるせいもあってか、これまでろくに食事を取れてなかったであろうドナでさえ、野菜っぽいのは余り食べようとしない。
最初影治が身振り手振りで時間をかけて問いただしてみたものの、別に種族的に食べられないということはないらしいので、食育の一環として食べるように躾けている。
だがよくよく考えてみると、この世界には普通の動物の他に、肉をドロップする魔物がいるので、猶更肉を食べる機会が多いのかもしれない。
地球の中世の頃なんかは肉は貴重なものだったので、貴族であっても腐った肉ですら食べていたという。
これは保存技術の問題も関係していたが、それだけ肉というのは貴重だったということの証左だ。
『分かった……。食べる』
ドナも聞き分けがない子ではないので、影治がしっかりと言いつけたことは守る。
そこには、今捨てられたら生きていけないという打算的な考えもあったのだろうが、元々しっかりとした性格だったのだろう。
もしかしたら、弟や妹がいたのかもしれない。
こうして影治とドナの二人での生活は緩やかに過ぎていく。




