第26話 脱出
「…………」
影治が口に嵌められた縄をほどいていく様子を、生気のない瞳で見ている獣人の少女。
少女は影治とは違って拘束されている様子はないが、この感じだと牢の扉が開いていても逃げ出さないかもしれない。
「ふう、これでようやくまともに喋れるぜ。で、お前はどうする?」
「……」
「ここを一緒に抜け出さないか? って、やっぱ言葉が通じてないっぽいよなあ」
仕方ないのでここはコミュニケーションの基本である、身振り手振りで伝えることにする影治。
だがシャキシャキと動く影治を見ても特に何の反応も返さない。
「……とりあえずこの牢をぶち壊すか」
こういうのは実際にやって見せた方が早いと、影治はウィンドカッターで木製の格子部分を切り刻んでいく。
これまでは無関心そうな反応ばかり返していた少女だったが、影治が牢を壊し始めると流石に興味を覚えたらしい。
牢を破壊している影治のことをジッと見ている。
「そんなに頑丈でもねえな。さ、これでもうこっから出られるが、お前はどうすんだ?」
そう言って振り返る影治。
言葉は通じていないだろうが、この状況で声を掛けられたとなれば何を言っているかは大体予想はつくはずだ。
「見たところ、お前も村の連中に酷い目に合わされてるんだろ? 一緒にここから抜けようぜ。なっ?」
手を差し出しながら声をかける影治。
少女は壊された牢と影治の顔の間に視線を行き来させている。
そして、一言何か言葉を口にした。
それがどういう意味だったのか影治には分からない。
だが言葉が通じなくても、気持ちは伝わってくるものだ。
その証拠に、少女はその後すぐに影治の差し出した手を取って立ち上がった。
「よし! 一緒に脱獄だ!」
意気揚々と牢を抜け出る二人。
牢内で時間を潰していたせいもあって、すっかり日は暮れていた。
村には松明や焚火などの照明は一切なく、月と星の光だけが光源だ。
だが元々暗い部屋にいたせいか、意外と視界は利く。
それは少女も同じだったようで、月明りに照らされた影治に視線を移すとそこですぐに動きが止まってしまう。
「――――!」
「ん、なんだ? 辺りに見張りもたってなさそうだが、あまり声は出さん方が……」
突然声を上げ始めた少女に戸惑う影治。
周囲には影治が言うように見張りをしている村人の姿はないが、ここは村の中心部からそう遠くない場所だったはず。
あまり騒いでいたら夜中でも気づく者が出て来るかもしれない。
「リョウキン! リョウキン!」
「りょうきん……料金? ん? 別に助けたのは俺がしたかったことだから、金なんて取らんぞ」
少女の言っている言葉に耳を貸すと、影治の事こと見て「リョウキン」と言っているようだった。
それをそのままの発音で日本語で捉えてしまった影治は、見当違いな言葉を吐く。
「いや、よくよく考えてみれば日本語な訳ないか。んー、どうも俺のことを見て……いや、俺の髪を見て『リョウキン』と言ってるみたいだな。水色の髪のことを指してるのか、或いは特定の人種……種族のことを指しているのか」
昨今では髪を染める日本人も少なくないが、昔の日本人が外国人のブロンドなどを見たら「パツキン! パツキン!」などと言ったかもしれない。
そんなことを考えながらも、影治はジェスチャーで口元に指をあてて静かにするように伝える。
少女もその動作の意味と、自分が興奮して騒いでしまったことに気付いたようで、それ以降は静かに押し黙った。
「よし、いい子だ。じゃあ、これから村を脱出するから、しっかり後をついてきてくれよ?」
自分一人だったら、最初に没収されたラタンのバスケットの回収や、村人の家に忍び込んで目ぼしいものの物色でもしようと思っていた影治。
だが少女を連れての行動はリスクが高まるので、ここは脱出を優先することにした。
魔物が蔓延る世界の割に、この村の様子はどこか警戒感が薄いように影治は感じている。
これまで散々ゴブリンと戦ってきた影治としては、難易度ベリーイージーのスニークミッションのようなものだ。
少女の方も獣人という種族のせいなのか、素人なりに気配を消して上手く影治の後をついてきている。
村からの脱出は容易に成功し、二人はとにかく村から距離を取る。
そしてある程度離れた場所まで来ると、ようやくそこで一旦足を止めた。
「ふう、ここまで来りゃあもう大丈夫だろ。そんで、お前はこれからどうする?」
少女がどのような境遇だったのかは分からない。
あの村に家族がいるのか、或いはどこかから連れてこられたのか。
普通なら前者なのだろうが、あの扱いを見るととてもそうとは思えない。
「――――?」
影治の質問の意味が分からず首をかしげる少女。
だがこの状況で話しかけられる言葉を何か思いついたのか、少女は口を開け短く告げた。
「……ドナ」
「え?」
「ドナ!」
少女の言葉に訳が分からず疑問形で返すと、少女は再度自分を指差しながら同じ言葉を吐く。
「……どな?」
そう問い返すと少女は満足そうに頷きを返す。
どうにも疑問形の時に語尾を上げたりだとか、肯定の時に首を上下に振るという動作は影治の知るそれと同じような意味合いらしい。
「つまりお前の名はドナというのか?」
影治が尋ねると、名前以外の部分の言葉の意味は分からないだろうに、同じようにこくこくっと頷きで返す。
「……そうか。そうなると勝手なイメージだが、どっか他の場所から売られてきたようなイメージになっちまうな」
すでに影治の中では荷馬車に乗せられ、家族の下から運ばれていく少女――ドナの姿が脳裏に浮かび上がっていた。……物悲しいメロディーラインと共に。
そんな影治にドナは訝し気な顔をしていたが、少しすると今度は何事かを話し始める。
「ん、今度はなんだ?」
ドナの言葉に耳を傾けてみるものの、悲しいことにやはり言葉は通じない。
しかしドナが自分を指さして「ドナ」と言った後に次に影治を指さした一連の仕草から、伝えたいことを察する影治。
「ああ、俺の名前だな? 俺は影治だ」
「――?」
「影治」
余計な言葉を混ぜず、名前だけを再度言い直す影治。
それでようやく理解出来たようで、ドナは何度も「エイジ、エイジ……」と呟いている。
「んでまあ自己紹介が終わったのはいいんだが、さっきの質問の答えにはなってないな。だがそれを確認しようもないし、名前を聞いてくるってことは今後も関係を続けようってことだろう。なら……」
影治は森を指さし「影治、行く」と短く告げる。
次に疑問形でドナに村の方を指さして、「ドナ、行く?」と尋ねてみた。
質問の意図を理解したのか、ドナは村に行くかと聞かれ激しく首を横に振る。
「……多分それも否定の意味で合ってるんだよな。地球でも地域が違えば意味合いが変わるジェスチャーは多いんだが、ここは日本的ジェスチャーを信じよう」
そう決めた影治は、最後にドナにこう質問する。
「影治、ドナ。行く?」
自分、ドナと順に指を差して示しながら、森の方を最後に指差して尋ねてみる。
するとドナはコックリと頷きを返すのだった。




