第147話 ビッグシールド
魂環の書を使われて以降、影治は主要属性の魔術を無詠唱で発動することが出来なくなっているが、無属性魔術や回復魔術。それと最近は余り使う機会がない神聖魔術については、今でも無詠唱で使用することが出来る。
その無詠唱を利用して、影治はこの護衛期間中に食事をした際、毎回回復魔術を使用していた。
使用していた魔術は【毒治癒】、【麻痺治癒】、【身体異常治癒】の3つ。
今では同時詠唱で3つまで魔術を同時に発動出来るので、これらの魔術をセットで使っていたのだ。
そしてこれらの魔術は、健康な相手に使用した際とそうでない相手に使用した時とで、魔術を使用した際の感覚の違いを見分けられる。
これまでの食事の時は、感覚の違いの反応は見られなかった。
しかし今回は別だ。
3点セットの魔術を使用した際に、明らかに何かを治癒したという感覚があった。
複数の魔術を使っているので、毒なのか体を麻痺させるものなのかといった区別はつかない。
だが何かしらの毒を盛られたのは確かだった。
(恐らくはあの煮込みスープだろうな……)
ようやく動きを見せたことで、警戒心が高まっていく影治。
そんな影治に、再びドリアルフが深皿を手にやってくる。
「なんだよ、もう全部食っちまったのか? おかわりならまだあるぜ?」
「じゃあ、そいつも頂こうか」
ドリアルフから深皿を受け取り、煮込みスープをかっこむ影治。
改めて注意して周囲を観察すると、護衛の何人かがそれとなく視線を送ってくるなど、影治を気にした様子を見せていることが分かる。
「……ごっそさん。出発はまだなのか?」
「メシも食い終わったし、もうすぐだと思うぜ」
今回もまた即座に3点セットの魔術を使用し、無毒化させる影治。
それから朝食を終えた一行は、ドリアルフの言うとおりすぐさま出発を開始した。
盗賊がよく出没する危険地帯とのことだが、峡谷に入ってすぐの場所のせいか、辺りに人の気配は全くない。
無駄口を叩く者もなく、出発して少し時間が経過した頃。
影治は護衛が時折視線を向けてくることに気付いた。
(食事後すぐではなく、今になってしきりに様子を窺い始めたということは、即効性ではなく遅効性の毒を仕込んでたっぽいな)
2台目の荷馬車左を担当している影治に、1台目の左方を担当するドリアルフや後方を警戒する護衛が注目している。
そうした状況から、影治が毒にかかった振りでもしようかと考えていると、前を歩いていたドリアルフの方が先に動きを見せた。
急にくるりと振り返ると、影治の方に接近してきたのだ。
「何だ?」
「いやあ、ここいらはもう盗賊のテリトリーだからな。緊張してねえかと思ってよ」
心にもないセリフを吐きながら、横に並んで歩き始めるドリアルフ。
今は護衛中とはいえ、戦闘中ではないため武器は抜いていない。
しかし影治は、ドリアルフが腰の曲刀に意識を向けていることを敏感に感じ取る。
(仕掛けてくるか?)
ドリアルフの一挙手一投足に気を使いながら、どうでもいい会話を続ける影治。
互いにとりとめのない会話をしながらも、その裏では徐々に緊張が高まっていく。
そんな時だった。
後方を警戒していた護衛から、警告の声が飛んできたのは。
「警戒態勢! 何かが後方から近づいてきてる!」
「……ああん? 何かって何だあ!?」
影治と会話していたドリアルフは、虚を突かれたような反応を見せた後に後方の護衛に問い返す。
「ちょっと待て……ッ! マズイ! ビッグシールド……、奴らはビッグシールドだッ!!」
「何だとッ!?」
ビッグシールドという言葉を聞いて、ドリアルフが驚きの声を発する。
この報告はただちに前方にいた護衛長のバッカードまで伝わる。
彼はビッグシールドと聞いて眉を顰めたが、ただちに護衛達に指示を下す。
「ドリアルフ! 後方の護衛と新入り達で足止めをしろ! 倒すことを意識しなくていい。とにかく時間を稼げ!」
「分かったあああ!」
「俺達本隊はとにかくその間に先へ急ぐぞ!」
バッカードの指示を聞き、ババンババンに鞭を入れる商会所属の御者。
だが元々大きな荷物を曳いている上に、スピードよりは耐久性と力重視の馬なので、人間が走っておいつける程度の速度しか出ていない。
「おい、聞いてたな? これから後ろから迫ってくるビッグシールドを足止めする! 依頼料分はしっかり働けよ!」
先ほどまで不意を突いて襲ってこようとした奴のセリフじゃないなと思いつつ、影治は気になることを尋ねた。
「そりゃあいいけどな。ビッグシールドってのは何だ? 魔物か?」
「ビッグシールドは……俺らの商売敵だ」
「ふうん、まあいいや。ピー助、チェス、行くぞ」
この男が主演男優賞を獲得できるほどの演技派ならともかく、どう見てもこの反応は突発的事態のようだ。
この商会一味から見た商売敵とは、果たして影治にとってはどういう位置づけになるのか。
その辺を確かめるためにも、影治は慎重にことを進めると決める。
「ビッグシールドは女ふたりが魔術を使う。ディクスンとエイジはまず弓で女を狙え。接敵したら、俺がオークでバートンはドワーフ。エイジは狼人族を抑えろ。ディクスンは援護を頼む」
「りょーかい」
ドリアルフの緊迫した声とは裏腹の、緩い声で返事をする影治。
指示内容からして、どうやらドリアルフは迫ってきているビッグシールドなる集団について詳しそうだ。
(集団に名前がついてるってことは、ハンターか冒険者辺りか)
警告から少し時間が経過していたせいか、後方から迫る5つの人影はすでに目視で識別可能な距離まで近づいていた。
それは何とも種族のバラエティーに富んだ集団だ。
ずんぐりむっくりした体型のドワーフの男。
大分獣に近い見た目の狼人族。
見た目からしてヒューマンと思われる女。
緑色の肌のオークの男。
そして最後にエルフの女の計5人の集団だ。
後方からダッシュで迫ってくるビッグシールドたちに、息の乱れは見られない。
走る速度が少しゆっくりに見えるせいだろうが、恐らく魔術師がいるとのことなので、そちらに速度を合わせているのだろう。
速度を合わせられている魔術師の女たちは、少し苦しそうにも見える。
「撃て!」
ドリアルフの声に、ディクスンが構えていた弓から矢を放つ。
影治も卓越した弓の技術で、敢えて急所を狙わないようにして射る。
しかし……
「外れた! もう一度放て!」
ドリアルフの指示に再び矢を放つディクスンだが、影治はその命には従わず、早々に弓矢セットをチェスに収める。
「エイジ、どうした! まだ距離はあるぞ!」
「見てなかったのか? 俺が放った矢は当たる直前に逸れた。あれはクラスⅢ風魔術の風の壁……いや。もう1本の矢も逸らされていたし、固まって動いていることから、クラスⅤ風魔術の風の陣を使っているな。矢なんていくら撃っても当たらんぞ」
これまでの経験から、クラスⅤの魔術の使い手というのはそれなりに経験を積んだ魔術師だという風に、影治の認識が改められている。
しかも最低でもクラスⅤが使えるというだけであって、更に上のクラスの魔術を使ってくる可能性もあった。
【風の陣】と思われる魔術で遠距離物理攻撃を防ぎ、5人固まったまま突っ込んでくるビッグシールド。
弓による攻撃が効果ないと知り、各々近接用の武器に切り替える護衛達。
表情までかろうじて窺える距離まで近づくと、魔術師の女ふたりは足を止める。
だが残った3人は逆に速度を上げ、近接戦闘を仕掛けるようだ。
「これは少し大変そうだな」
まだ戦闘が始まる前だが、影治には相手の力量の一端がすでに見えていた。
突出してきた3人がただものではないだろうということを。
だがだからといって今更引き下がるつもりもない。
既に他の護衛達もその場に留まらずに打って出ている。
影治も一足遅れつつ、ドリアルフが指示に出していた狼人族の方へ向かった。




