第134話 高まる緊張
影治がダッドの護衛を開始したその日は、それ以上の襲撃や魔物との遭遇もなく、無事に日暮れまで進むことが出来た。
ピュアストールまでは今のペースだとあと3日ほどで着く。
ダッドが自ら御者となっている荷馬車は、2頭立ての馬が牽いている。
馬車というと幌や箱型のしっかりしたものをイメージする人もいるが、この荷馬車には屋根などついていない。
高く積み上げた荷物の上に、表面をワックスでコーティングした皮製の防水シートのようなものを被せてあるだけだ。
「今日はこの辺で野宿にしましょう」
荷馬車を街道から外れた場所へと動かした後は、せっせとコミュンが馬に水をやったり飼料を与えたりと世話を始める。
「結局追撃はなかったね」
「そうだね。でも油断は出来ないよ」
「何か気になる点でもあるのか?」
10人以上で襲い掛かった挙句、ふたりしか生き延びることが出来なかったのだ。
他に仲間がいたとしても、普通に考えればまた手を出してくる可能性は低いように思える。
しかしジョアンはどこか気になることがありそうだったので、気になった影治は尋ねてみた。
「襲ってきた奴らが……、こう、何ていうか、らしくないって感じたんですよ」
「らしくない?」
「はい。全員でもなくてほんのひとりかふたりなんですが……逃げ出した方の片割れは特にその感じが強かったんです」
「あー、それあたしもちょっと感じたわ。なんてーか、ほとんどの奴はいかにもって感じのチンピラ崩れだったけど、空気の違う奴が混じってたよね」
「ふうん、だから油断出来ないと?」
「ええ。もしかしたら背後に何かあるのかもしれません」
ジョアンの話を聞いてまず影治が思ったのが、何者かがダッドの運んでいる荷を狙っているか、或いはダッドの命を狙っているかというものだった。
だがこれまで接した感じでは、そんな裏があるような人物には思えない。
「とにかく警戒するに越したことはないって訳だな。じゃあ、今日の見張りの順番について話し合っておこうか」
ピー助らが仲間に加わってからは、睡眠中の見張りなどは任せていた。
だが護衛依頼を受けているのだから、全てをピー助達に任せる訳にもいかない。
交代で見張りをしながら夜を明かす一行。
結局その日の夜に襲撃はなく、更に次の日も何事もなく過ぎ去っていった。
「左前方に見える森に注意しとけ」
前回の襲撃から2日後。
一行の先に小さな森が見えてきたのを受け、影治が警告の声を発する。
護衛任務などを受けたのは初めてな影治だったが、敵が襲撃しやすいであろう地形の判断くらいは出来る。
これまでも近くに藪が広がっている場所などの近くを通るたびに、襲撃の警戒をしてきた。
だがその多くはシロであり、少しずつダッドや護衛達の警戒心も緩んできている。
そうした空気を感じ取っていたからこそ、改めて気を引き締めるために声掛けした影治だったが、それはまさにピッタリのタイミングだったと言える。
注意を促しながらも森を注視していた影治は、森の中で微かに背の高い何かが動いている姿を捉えたのだ。
「何か見つけたんですか?」
「注意を促した時には気づかなかったが、今確認したところ人ほどの大きさの何かが動いたのが見えた」
「ッ! エイジさん、それは盗賊でしょうか?」
「落ち着けダッド、そんなあからさまに森に注意を向けるな。シャルム、お前もだ」
「で、でも気になっちゃうわ!」
「あからさまに全員で森を眺めたりするのをやめろと言ってるんだ。いいか? 相手が盗賊であれ魔物であれ、遠距離からの攻撃は俺が魔術で防ぐ。それよりこの先の地形はどうなってるか分かるか?」
「え、ええっと、確かここから先は緩い上りになっています。左手にはあの森があるので、右にカーブしててそこからは少しずつ下りになっていったハズです」
「あの森の他に身を隠せそうな場所はあるか?」
「そう言われてみると、森と反対の右手側には人が潜めそうな藪があったような……」
「となると、益々襲撃の可能性は高まったな。その地形なら、森の脇を通り過ぎるまでは襲い掛かってこないかもしれん」
そうは言いつつも影治は、まだこの時点では実際に盗賊が潜んでいて襲い掛かってくる可能性は、半々くらいだろうなと思っていた。
「いいか? このまま何も気づいてない風を装って先に進むぞ」
「わ、分かりました。ですが、襲撃の可能性が高まったというのは?」
「別に絶対そうだって訳ではないが、地形が襲撃に向いている。左手の森と、右手の藪に潜ませれば挟み撃ちが可能だ」
「んー、でもわざわざそんな真似してくるの? 大きな商隊ならともかく、見た感じあたしらって人数も少ないし……」
「少しでも頭が働くやつが率いていたら、勝率の高い方を取るだろうよ。仮に藪に人を配置してなくて、森から全員で襲い掛かってくるのならこちらとしてはやりやすい」
「んー、なるほどお」
納得した表情を見せるシャルム。
とここでジョアンが口を挟む。
「一昨日に逃した奴らが関係してるんでしょうか?」
「……の可能性はある。その場合、相手は11人で襲い掛かった挙句惨敗したというのに、更に襲い掛かってくるという決断を下したということになる。つまり、今回はそれ以上の戦力を整えて襲い掛かってくる可能性があるってことだ」
影治としてはその可能性は余り高くないと思っている。
あれだけ力の差を見せつけたのだから、普通の盗賊なら更に手を出してくるとは思えない。
だがジョアンらが言っていた、襲撃者の一部が盗賊らしくなかったという発言も気になっている。
「だが幾ら数を揃えても、一か所に纏まっていたら魔術師にとっては格好の的だ。前回の襲撃時に俺は土魔術で6人の盗賊をあっさり無力化しているから、こちらにそれなりの魔術の使い手がいることは知られている。相手に考える頭があるなら、部下をばらけさせて攻撃してくるハズだ」
「エイジさんはそれなりってレベルではないと思いますけどね。でもそこまで考えているのに、このまま進むつもりなんですか?」
「大人数で待ち伏せているってのはあくまで最悪なケースだ。それに、もしその最悪のケースを引いてもどうにかしてやる」
「それは心強いですね」
「あのお、本当に大丈夫なんでしょうか?」
ジョアンは影治の説明を聞いて納得した表情を見せるが、ダッドとしては不安があるようだ。
「そこは信頼してもらう他ない」
「……分かりました。行きましょう」
ダッドも腹をくくったのか、先に進むことを承諾する。
別に全面的に影治を信頼した訳でもなかったが、ここで下手に駄々こねて護衛を下りられてしまうことを恐れたのだろう。
そうこう言ってる間にも、件の森は迫ってきている。
注意されたというのに、どうしても不安感から森の方をチラ見してしまうダッドとシャルム。
意外と見習いのコミュンは肝が据わっているのか、堂々とした態度だ。
影治も堂々とした態度のままだが、内心では考え事をしていた。
(離れた場所に潜んでいる奴を、察知できる魔術が使えればいいんだがな)
近くであれば、【魔力感知】で判別することは出来る。
しかし距離が離れていると、それも叶わない。
【魔力感知】はクラスⅠの無属性魔術なので、長距離発動してもせいぜい150メートルが限度だ。
魔術の射程距離というのは魔術ごとによっても異なるのだが、基本的に高いクラスのものほど射程が長くなる。
強力な攻撃魔術を間近で発動してしまうと、自分にも危害が及ぶ恐れがあるから、その分射程が長いのだろうと言われている。
実はセルマからはこの状況にぴったりな魔術を教えてもらっているのだが、まだ熟練度が足りずに使用することが出来ない。
だから影治は今出来る範囲でやれることをやるしかなかった。
それはクラスⅡの無属性魔術、【五感強化】。
この魔術によって五感を強化した影治は、迫りつつある森の中から幾つもの気配を感じ取った。
それは呼吸音であったり、まともに体を洗うこともない盗賊たちの体臭であったり。
ともあれ、確実に結構な数の人間が潜んでいることを感知した影治は、そっと同行者たちにその事を伝えた。