第100話 混乱
「これは……酸か?」
よく見ると、触手の中で2本ほど他のとは形状が違うものがあった。
しかもその内の1本からは、涎のような液体が滴っている。
「あああぁ、しゃらくせええ!」
痛みを強引に意識から外し、【治癒】を連発しつつ一旦距離を取る影治。
しかし流石に骨まで露出するようなダメージは、すぐに治ることはなかった。
仕方なく、攻撃に回す魔術の分まで同時詠唱で【治癒】を発動させ、回復を優先させる。
その成果もあって、急速に左腕部分の修復が進んでいく。
「その触手、片っ端から切り落としてやる!」
ある程度傷が癒えるや否や、燃えるような瞳でまっすぐ巨大花の魔物へと向かっていく影治。
そんな影治に幾本もの触手が迫るが、手にした【炎剣】で次々切り裂いていく。
「甘ぇんだよおお!」
次々と差し向ける触手を囮にしつつ、こっそり背後から酸を吐き出す触手が迫っていたが、影治は背後を見ないまま【火球】を直撃させて屠る。
そうして本体である花へと後数歩の位置へと迫った。
この巨大花は根を動かして移動することが出来るが、動きは遅く機敏とはほど遠い。
ここまで近づければ、後は触手にさえ気を付ければ倒しきれる。
そう思って【炎剣】を手に、ひまわりのような見た目の花の中心部へと斬りこもうと……した所で、丁度切ろうとした部分から白い霧のような何かが噴出された。
「うっ、ぐああぁぁぁぁぁ!?」
白い霧を浴びた影治は、気が狂ったように叫び声を上げながら、その場で【炎剣】を振り回す。
その動きはこれまでのような積み重ねられた技術の果てにあるような動きではなく、初めて剣を持った者が適当に剣を振り回しているかのようだ。
当然そのような動きには隙も多く、影治は触手の攻撃によって体をあちこち打ち付けられる。
「ピィィィッ!!」
そんな影治の状況を見て、ピー助が大きな声で鳴き声を上げながら光魔術を発動させた。
その魔術が発動すると、影治の体を安らかな光が包み込む。
するとでたらめな動きをしていた影治が、我に返ったかのようにピタッと動きを止めた。
「くっ……な、なんだ? 何が……あった……?」
影治は戦闘の最中だというのに、記憶の一部に乱れがあることに気付く。
触手を潜り抜けて、巨大花の間近にまで迫ったところまではよく覚えている。
しかしその先、白い煙のようなものを吐きかけられてからの記憶がちぐはぐだった。
「間違いなくあの白い煙のせいだろうな。いつの間にか毒状態にもなってるみてーだしよお」
我を取り戻した影治は、即座に触手の襲い掛かる範囲内から脱出している。
巨大花も逃げる影治の後を追っているが、無詠唱の回復魔術によって毒とダメージが急速に癒えつつある影治に追いつくことが出来ない。
「それに、あの混乱っぷりはただ毒を吐かれただけじゃねえ。って、待てよ? 混乱って言やあ、そういった状態異常がゲームではあったりするんだよな。それと意識が正常に戻った時に俺の体が微かに光っていたのは、ピー助の光魔術か?」
混乱から立ち直り、状況を判断出来る余裕が生まれてきた影治。
ふとピー助の方を見ると、影治を追う巨大花に対して光魔術による攻撃を行っていた。
「ピー助、助かった! あんがとな!」
「ピィィィ!」
主から感謝の言葉を受けて嬉しそうに答えるピー助。
しかしピー助の援護攻撃によって、巨大花の進路が変化してピー助の方に向かいつつあった。
それを見た影治は、巨大花の側方から近づいていく。
「ピー助、援護は一先ず大丈夫だ! 後は俺に任せろ!」
もしかしたら花の部分以外からもあの白い煙を吐き出せるのかもしれないが、少なくともそういう攻撃があると知っていれば対抗手段はある。
正面からではなく側方から迫ったのは念のためだ。
影治が側方から迫ってきたのを感知したのか、巨大花は動きを止め影治の方へと振り向こうとする。
しかし影治はそこで、四之宮流古武術の歩法の1つである瞬歩を使用した。
これは体を脱力状態に置き、軸足で蹴りつけた力の流れを絶妙にコントロールして前に進む力へと変換することで、一瞬にして加速して相手の間合いを潜り抜ける歩法だ。
この瞬歩という歩法は、漫画などで見られる縮地などといったあからさまに瞬間移動したような動きをするものではない。
しかし、とっくに前世での人類の限界を超える身体能力に達し、なおかつ無属性魔術の【身体強化】を行っている今の影治が行うと、本来の瞬歩という歩法の枠組みを超えた、異質なる動きを実現させる。
「後ろもらったあ!」
影治の方へ振り返る巨大花を見て、咄嗟に瞬歩の連続発動によってでたらめな動きで巨大花の背後を取った影治は、手にした【炎剣】で花びらの裏側から滅茶苦茶に斬りつけていく。
「シュウゥゥゥ……」
発声器官を持っていない巨大花だが、空気を吐き出すような音をさせたかと思うと、花の前面部から先ほどの白い煙を大量に吐き出した。
背後にいた影治からはすぐにその白い煙は見えなかったのだが、妙な音が聞こえたので咄嗟に背後にバックステップして様子を窺いつつ【火球】を同時詠唱でぶちこむ。
前回よりは広範囲に広がった白い煙だが、流石にそれと認識して十分距離を取った影治のもとに届くことはなく。
その後は【炎剣】によって与えたダメージと、【火球】の連打を繰り返すヒット&アウェイの安全策でもって、徐々に巨大花の生命力を削っていった。
「これで……終わりだ!」
最後の方になるとあれだけ動き回っていた触手は既に1本も残っておらず、全て影治によって焼き切られるか燃やし尽くされていた。
手足をもがれた状態の巨大花に、最早影治を止める手段はない。
白い煙もストックが切れたのか、途中から吐き出すこともなくなっていたので、影治は真正面から堂々と巨大花へと迫り、トドメの一撃を振り下ろすのだった。
「はぁぁぁぁ、今回はこれまでで一番やばかったかもしれんな」
多少しんどそうにしながら、ピー助達のいる場所へと向かう影治。
今回は一人だけで戦っていたら、下手したら命を落としていたかもしれない。
毒や麻痺に対抗する手段を得て、更に回復魔術まであるのだからそう滅多なことにはならないだろうと思っていた影治。
しかし今回の魔物はそんな影治に、ガツンとキツイ一撃をぶちこむ結果となった。
「ぴぃぴぃ」
「グィィィ」
「おう、お前ら。白い煙食らった時はやばかったが、どうにか倒すことが出来た。ピー助、あん時は助かったぜ」
「ぴぃぃ」
再度影治に礼を言われたピー助は、得意気にドヤ顔をしている。
「ちなみにあん時の俺って、傍からみたらどんな様子だった? それとピー助はどんな光魔術を使ったんだ?」
再び同じような目に遭わないよう、もしくは遭った時に対処できるように、影治はあの時の状況を尋ねる。
とはいえ返ってきた内容は単に、影治が我を忘れたかのように暴れ回っていたということだけだった。
「むう、そうか。俺がなんとなく覚えているのは、近くに敵が一杯いるっていう感覚だけだ。今思うと、敵って言われても姿も何もない……脳がそう認識しただけの虚像だったんだろうな」
そしてピー助が使用した光魔術についてだが、これもいまいち明瞭な答えはなかった。
ピー助もその魔術を発動したのは初めてのことであり、ただただおかしくなった影治をどうにか治したいと思いながら発動させたそうだ。
「ふうむ……。今後同じ目に遭っても、ピー助がいれば治してはもらえる。だが、俺自身もその魔術を使えるようになった方がいいだろう」
もしかしたら回復魔術にも、似たようなことが出来る魔術はあるかもしれない。
だが光魔術にもそういった治癒系統の魔術があるのだから、両方使えるようになっておけば対応できる幅が広がる可能性はある。
動く箱であるチェスはともかく、謎生物であるピー助はワンチャン影治が食らったような混乱などの状態異常になる可能性はある。
そうなった時のために、影治も混乱治療の魔術は覚えた方がいいだろう。
「まあとにかく、ボスは倒せたんだ。ドロップを回収して先に進もう」
巨大花は魔石の他に、巨大な花びらと小さい陶器の壺を落としていた。
花弁はともかく、陶器の壺は少し意外なドロップだ。
だが中身を調べた影治は、なるほどと納得する。
「どうやらこの中身は、あの時吐かれた白い煙の元のようだ」
壺の中には白い粉末状の粉が収められていた。
今すぐ試すつもりもなかったが、恐らくこれを吸い込むなりすれば毒と混乱状態になるのだろう。
「それと……この箱の中身だな」
「グィ」
箱と言ってもチェスのことではない。
影治が巨大花の魔物を倒すと、奥の扉が開くと同時に宝箱が急に出現したのだ。
扉を潜る前に、影治はまず宝箱を物色する。
「……帽子?」
中に入っていたのは、見た目がニット帽に似たひさしのついていない、布製の帽子だった。
しかしこれがただの帽子ではないことは、帽子から微かに発せられている魔力からして明らかだ。
「ふむ……」
【魔力調査】を使用した結果、自分がまだ使えない属性の魔力を感じたものの、危険性などは感じられなかったので、影治はひょいっとその帽子を被ってみる。
「ううん? なんかこの帽子を被ると頭がシャキッとするような……?」
効果は判然としないが、実際に被ってみた結果悪い効果ではないことだけは分かった。
宝箱には他に何も入っておらず、帽子には何らかの効果があるらしいことから、帽子をそのまま被ったまま今度こそ扉を潜ろうとする影治。
しかしそこにカツンカツンという足音が、ボス部屋の入口方向から聞こえてくるのだった。