エルヴィラ夫人の告白
エルヴィラ夫人のターンです。
設定の補足
この世界の学校は、王立学園≒総合大学 私塾≒単科大学
この王国の総合大学は王立学園のみです。
フェルトベルク大公領は王都まで注ぐエッカー河の水源を有している。
その昔は炭鉱資源の運搬の為に、水路のみならず太古からあった森林を切り開いた。
資源の枯渇によって、かつての栄華は消え苦難の時代が始まった。
◇
太筋の炭鉱資源が枯渇したのに、代わりの産業の見通しがつかないまま譲渡された領地で大公家は頑張った。
話に聞いていた豊かな森林は既に消え、当座の目算が無くなったからだ。
それでも先を見越して、植林、育成管理で林産物の産業化を図っていった。
土地だけは広いので、採掘で荒れた土地でも飼育出来る山羊などの畜産も導入した。
その他、領民構成は多民族───それも少数民族が多く、
大公家が降下した際に、どの言語帯を主流にするか等、とにかく揉め事が多かった。
まだ数十年の領政にも関わらず、すでに三度の当主交代を経ていた。
───それが大公家の中枢の人物が短命だった理由の一つじゃないかと
エルヴィラ夫人は考えている。
「やっと来年から色々出来るのよー」
エルヴィラ夫人を長きにわたり苦しめていた悩みの一つは
開発したブランド牛の事だ。
名付けは牧場の地名に因んだものと決めたのに、
『スワンベ』『シュワルベン』『キルシグ』等々
読み方が違うだけの名でも、これだけ候補が出て来たのだ。
しかもどの派閥も頑固で強硬派ぞろいだった。
それも何とか【シュヴァーベン牛】で一本化して、ようやくブランド登録まで漕ぎつけた。
若くして夫に先立たれ、息子が王立学園の寄宿生になってくれたので
エルヴィラ夫人は領地に引っ込み、クセの強い領民相手に奮闘した。
途中、息子のカインは王立学園の学部を変更して卒業を早めて
エルヴィラの元に帰ってきた。
カインは手のかからない優秀な子供だった。
本当は王都でやりたい事があったようだが、それでも卒業後に領地に帰ってきてくれた。
◇
カインの変化に最初は気づかなかった。
カインは青春時代を王都で過ごしていたので、
『これが今の王都流なのかしら?』程度に軽く考えていた。
エルヴィラ自身も若かりし頃の行動方針は『ド派手に行くわよっ!』と、はっちゃけていたので
あまり人に流されないタイプの人間だったからだ。
だからカインの素行も、公序良俗に反せず領地の発展に尽くしてくれれば気にしなかった。
日々、領民もカインも楽しく過ごしていれば良いのだから。
領主に着任早々、カインは領地自慢のダークチェリー収穫祭のテコ入れに取り掛かったが
エルヴィラは任せたきりだった。
提出されたカインの企画書を、最初にエルヴィラが目を通してみた時の率直な感想は
『地元民しか盛り上がらない、地味な祭をどうするのかしら?』だった。
企画書は従来と変化がなく思えたのだが、エルヴィラは息子を信じた。
親が我が子を信じなくてどうするのよ。
───ダメでも今までの地味祭が残るだけだし。
エルヴィラは思い切りの良い女だった。
テコ入れされた収穫祭は思いの外、評判だった。
今までは果実の量り売りや、ジャムやコンポートの即売会のみだったが
無骨な地元料理を少量づつワンプレートに盛り付け、実食出来るカフェや屋台を出店させていた。
意外に垢抜けた一皿になり、値段はそこそこなので観光客は店をハシゴしてくれた。
以前、エルヴィラが同じような企画をした際に『客単価が低い』と実施出来なかったのに。
スイーツも従来は焼き菓子オンリーで、巨大パウンドケーキに巨大クグロフを
焼き型から客の持参袋にドンッと入れていたのを
片手で持てる大きさにしてラッピング、少量から個別購入可能にしている。
なにより、実食コーナーでは領地ブランド牛や山羊のミルクで作った
レア状態のスイーツも販売可能になっていた。
収穫祭は、テコ入れ企画書に無かった内容に仕上がっていたのだ。
これは『船頭多くして船山に上る』この地の領民対策で企画書はスッカスカにして、
最初からカインは現場で指揮をする心算だったのでは?………と、エルヴィラは気づいた。
ははーん、策士ねぇ。
亡夫へ、貴方の息子は勝手にここまで育ってくれたわよと、カインを誇らしく思った。
そんなカインが秋祭もテコ入れすると来た。
因みに、従来の秋祭は自慢のダークチェリ―で作った酒の即売会だけだった。
チェリーの実のみで醸造する、無色透明で薫り高い口当たり。
酒精度が高い甘口で、辛口党には不評だが酒精度マスト勢の呑兵衛達が集まる祭だった。
実質、酒祭である。
今までは散々テコ入れに抵抗されたが、無骨な祭りをどうするのか。
やはりスッカスカな内容の企画書だったが、エルヴィラはカインに委ねた。
同時期に、エルヴィラはカインの王立学園の学友達に招待状を送った。
領主になったカインの為の社交だ。
前回の収穫祭は良いブラッシュアップだったが、
今回はどうなるか分からないので、招待客は男性のみにした。
本当は婚約者がいないカインに、令嬢を招待して親しくなって欲しいのだが
カインは昔からモテていたし、母がでしゃばる事も無いだろう。
もしテコ入れの失敗で無骨な祭りだったとしても、酒飲みの男性なら楽しめるだろう。
エルヴィラ夫人は上機嫌だった。
◇
カインの変貌に気付いたのはその頃だ。
まず使用人達が───特にメイドや侍女達がカインの話題をしなくなった。
以前は顔を赤らめてカインを見ていた女性達の態度が激変したのだ。
また煩型の領民達も、エルヴィラの前でカインの話題をしない。
皆の態度は共通していて、カインへの戸惑いが感じられるのだ。
そして決定的になったのは秋祭に招待した客達──カインの学友からだった。
「エルヴィラ夫人、…その、秋祭は視察されましたか?」
ある日、カインの学友で招待客の1人に質問された。
もちろん視察していた。
以前は各地の酒造所に酒の試飲会場があり、呑兵衛達が酒瓶を持参して彷徨き、
そこかしこにデロッデロの泥酔状態で転がっていた。
夜になると酒造が客を回収して蔵の一室に宿泊させるが、それは死んでしまったら面倒だからだ。
言うなれば、購入客を持て成しもせず放置状態だったのだ。
そんな祭?に来るのは限られた客層で、やっぱり地元民しか盛り上がらなかった。
酒造側は囲い込んだ客を離したくないと変化を拒み、祭の運営形態の改善は困難だっだ。
それを領都の広場に一括して酒造出張所を張り、会場には領地ブランド牛で酒の肴メニュー料理を中心に屋台を出した。
これで地方に分散していた呑兵え……観光客を集客する事が出来た。
出店した店や酒造には、卓と椅子を持参すると出店料を無料にした。
店側は店の備品を壊されないように、見張り…ちゃんと接客するようになり
客筋は暴れても放置だった呑兵衛達から観光客に昇格していた。
なんと、エルヴィラが熱望していたファミリー層に食い込んだのだ。
地方各地にある酒造所の試飲会場は相変わらずの状態だったが、領都の動員がほぼ新規客だったので、客層が振り分けられて、早くも色んな前年度対比実績が更新されている。
各地に点在し野放図だった状態から、
集約し、観光客が来る祭の形態に出来たのねと感慨深かった。
これもカインが現地で指導した結果だった。
「……夜のキャンプファイアー点火はご覧になりましたか?」
それは知らなかった。
夜間の部があったなんて!
エルヴィラは『そんなイベントがあったのね』と、ウッキウキで点火式視察にいった。
もう領主代行は引退したので、仕事モードのシックな色は止めて
華やかなオレンジと黄色の映える装いにした。
何故、侍女や秘書が『夜の部』を教えてくれなかったのか気づかなかった。
◇
「エルヴィラ夫人!──ようこそいらっしゃいませ」
領都の代官に迎えられ、エルヴィラはキャンプファイアーの点火式視察を伝えた。
「点火式の視察ですか……」
「えぇ、そうよ。」
確かエルヴィラが領主代行の時代は、この代官も食えないタイプの男だった。
なのに以前と違い、なんというかエルヴィラへの畏怖が見える。
今、代官はカインの補佐についているので
意外とカインは剛腕タイプなのかと、エルヴィラは思った。
額の汗を拭きつつ、なんと代官がエルヴィラの視察の中止を求めた。
「あら。なぜなの?」
「その、………ご子息様の、カイン様の事で……」
またか。
カインについて周囲の反応に、珍しくエルヴィラは苛立ちを隠せなかった。
「視察はするわよ。カインの事も教えてもらうわ」
言い切るエルヴィラに代官は押し黙った。
◇
エルヴィラは知らなかったが
毎夕、カインはキャンプファイアー点火式をするらしい。
住まいのハースト邸は領都の外れにあるので、
カインは夜半に帰宅が多く、エルヴィラも余り顔を合わせていなかった。
夕闇迫る領都の広場のキャンプファイアー会場は幻想的だった。
「ねぇ、営火台だったかしら……
アレはあんな飾りつけが正しいの?」
エルヴィラは側に控える代官に質問したが、代官は肩を震わせ俯くだけだった。
近眼のエルヴィラには、
───何故か、営火台の周りに赤く彩色された魔法陣が見えるからだ。
「ねぇ、誰の指示で飾り付けたのかしら?
あれが今の流行りなの?
それとも私の目がおかしいのかしら?
神秘的と言うより禍々しい感じだわ………」
まさかカインが…………
エルヴィラの言葉はそこで途切れた。
カインが登場したからだ。
◇
───聞け! この地に集まりし我が同胞達よ
今宵は銀の夫人の助力を得た
闇夜を焦がせ、紅蓮の炎よッ!!!
カインの宣言後、粛々と営火台に火が灯る。
…………エルヴィラは放心していた。
カインはエルヴィラの一人息子だ。
エルヴィラも一人娘だったので男の子の成長過程に疎く
カインの様子もそんなものかな?と気づかなかった。
一応、会話も成り立っていたのだ。
やけにこ難しい表現をするわね?なんて疑問もあったが、
エルヴィラの学歴は名門私塾の淑女育成科だったので、
カインのような王立学園出身者はそうなのかしらと、思った程度だった。
それは親子の会話より、ビジネス会話が中心だったからだ。
聞けば、学生時代は普通だったと学友達は証言する。
なら、何時からカインは変貌したのだろうか?
徐々に大きくなる炎の前で高笑いをするカインを見つめ、
エルヴィラの困惑も大きくなっていった。
◇
メイは長時間のエルヴィラ夫人の告白を傾聴した。
地球で転生を幾星霜、ついに異世界転生まで果たしたメイには
エルヴィラ夫人の苦悩は手に取るように分かった。
この世界には【あの病】の定義は存在しない。
魔法が存在するこの世界には、環境が違う地球の常識は通用しない。
だから知らない事は仕方がないのだ。
とはいえ、この世界の魔法も滅多に目にする事はないので
憧れから【あの病】へと導線も出来たのだろう。
「………エルヴィラ様。
私、聞いた事がありますわ。成長期の男の子に発症する、
ある症状の事を。」
がばっ!と、エルヴィラ夫人の顔が勢いよく跳ね上がる。
「初期は黒い服を着たがるそうです。
次第に表情は暗くなり、時折、苦悶するように手首や額を抑えたり……」
メイの目線の端には高速ヘドバン並みに頷く使用人達が見える。
だが、過剰に知識を見せつけてはならない。
匙加減のミスは許されないのだ。
何故なら、メイも罹患者と間違われたら困るからだ。
カインは、メイと同じ異世界転生者のトーマを連れて仕事に出勤している。
だからメイも【あの病】について語り放題だった。
「私もエルヴィラ様の支えになれれば………」
こんな面白い事は滅多にないわ、と 心中で吐露しながら
メイは言葉を濁してエルヴィラ夫人を慰めた。
因みにカインの点火式宣言は毎回違うらしいので、
【銀の夫人】はエルヴィラ母さんの事だろうと思われる。
──────病の進行度は深いとメイは見立てた。
閲覧頂き、ありがとうございました。
楽しんで頂けたら幸いです。