野菊のように甘い
朝。
目が覚めると、酷く頭が痛む。布団から出ている肌にひんやりとした空気が刺さり、思わず顔をくしゃっと歪めた。
思わず布団を頭まで引き上げる。顔の筋肉がほぐれていくのを感じると同時に、頭痛が襲いかかる。
痛む頭だけを少し覗かせて、刺さる痛みと程よくなる場所を探る。
冬の布団は朝になると暖かく引きずり込むような力を発揮するが、夜寝ようとするときには追い出そうとするかのように冷たい。これは当然ではある。あるのだがしかし、寝るための道具であれば反対に作用してくれてもよいでは無いか、と思ってしまうのは私だけだろうか。
起きなければならない時に暖かくされると、出たくなくなってしまうではないか。
目覚ましが鳴り始めた。何か月も前の私が恨めしくなるほど必死に起こしにきている。
私が住んでいるこのアパートの壁は薄く、恐らく隣人にもこのベルのような音が聞こえているのだろう。きっと私と同じように鬱陶しく感じているに違いない。
それでも私の布団は暖かい。耳も覆われている。音は聞こえてはいるものの、この快適さを失う直接の理由にはならない。
布団を勢いよくはがす。音が鳴ったのだから学校に行かなくては。いつも通り学校にいくために、暖かさを手放した。
朝食は何にしようか。考えながら立ち上がる。テーブルの上に昨日の夕飯に食べた、天ぷらの皿が三つあった。
一つは玉ねぎ、一つはにんじん。そして一つは空だった。朝から天ぷら、それも昨晩に続いて食べるのは正直どうかと思ったが、空腹には抗えず、そのまま頬張った。
ひどく冷たい。一晩放置されていたから当然だ。しかし、野菜特有のシャキシャキとした食感が心地よい。油の甘みも良い。保温しておいたごはんで温めながら食べきった。
昼。
学校についても、まだ頭がぼんやりする。何人か話しかけてくるが、あまり話が入ってこない。私の返事は的を得たものになっているだろうか。
教室の机について、ぼんやりと入り口を視界にとらえる。会いたい、話したい人がいるのだ。
朝会が始まる直前にその人は来た。ああ、友達と一緒に来たらしい。
「おはよう」
そう言いたくて席を立つ。でもそれはチャイムの音にせき止められ、行き場を失った。
言葉のために吸った息は、ため息に代わってしまった。
放課後。
その人とは帰り道が途中まで一緒だった。よく話をしながら帰っていた。
知り合うまでそんなことには気づかず、無意識に歩幅を外して距離をとって歩いていた。
ある日その人は道端で屈んでいた。気になって近づくと花をじっと見つめていた。
「野草、好きなんですか」
気づけば声をかけていた。
その人は誰だ?と言う感情と、しらけたと言う感情が混ざったような顔をしながら会釈して帰ってしまった。これが出会いだった。
次の日に教室で再び顔を合わせた時には、気まずそうにしながらも挨拶を交わした。
そこからお互いの趣味が似通っていたことから仲良くなった。
休み時間に話すこともあれば、二人で休日に出かけることもあった。
会話の内容はほとんどがその人の笑顔に塗りつぶされ覚えていないのが悔やまれるような、それで良かったような。
こんなことを続け居ていた日、突然その人からお付き合いを申し込まれた。恋人になろうと言うのだ。思わぬ提案が飛び出てきて、私は驚きと、今の関係の心地よさに、つい断ってしまった。
その人は爽やかな笑顔で「残念」とだけ言い、その日はそこで解散となった。
あの日以降、その人は私を避け続けた。しかし、それ以外は何もなかったかのように学校生活を送っていた。
そうして月日が経ってしばらくたった時、その人に友人ができた。とても仲がよさそうな友人だ。
瞬間、感じたことのない感情に視界が歪んで、事実を脳内で整理しきれなかった。
平常心を保とうと、いつも通りに振舞おうと、そう意識するほどに呼吸が乱れた。
乱れた呼吸が、吐き気を催して、俯きながら教室を飛び出した。
「大丈夫?」
通り過ぎる瞬間に聞こえた、聴きなれた久々の声は優しく、一瞬、胸が暖かくなり、そして、それ以上に胸を締め付けて、私を教室の外へ走らせた。
夜。
正体不明だった感情が嫉妬と、怒りと、悲しみと、後悔であると分かったのは、夕飯の時。
学校からいつ帰宅したのか、よく覚えていない。日が暮れているのを見ると、恐らく授業には出席したのだろう。
悲しみで食事が喉を通らないかと思ったが、私の体は健康そのもの、いつもの時間にいつものように空腹になった。
これも冬の寒さのせい、と切り替えて、野菜室と化している自宅の玄関に足を運んだ。
無造作に置かれたレジ袋には、にんじんと、玉ねぎと、それから野菊があった。
帰り道、遅咲きだったのであろう野菊を何とはなしに摘んでいたのを思い出した。
どう調理しようか。考えたが、面倒になり、とりあえず全て天ぷらにすることにした。
にんじんはいつもより甘く感じた。玉ねぎは多少焦げてしまい、少し苦かった。野菊は、油で揚げたにも関わらず、爽やかな、さっぱりとした味だった。
「苦いなぁ」
一つずつ食べたところで胸焼けがして、ほとんど残してしまった。