表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ある女性サイコパスの半生  作者: 三苫 水雲 (みとまもずく)
2/3

〜第一章〜 生まれながらにしてサイコパスだったある女性の半生を記したノンフィクション物語

某県の、大きな市の中心地。都会と緑が混合するその街に、エイミーは生まれた。


物心がついた2歳くらいの時から、1人で遊ぶことが好きだった。そんなエイミーに、多趣味で穏やかな両親は、様々なおもちゃを買い与えた。


そのおもちゃの中に、木琴のおもちゃがあった。


ある日、エイミーの母ゆき子は、エイミーが木琴を叩いているのを見て、少し、違和感を覚えた。


普段からその音が鳴るおもちゃで様々なメロディーを奏でていたはずだが、何かが違う。


よくよく見ると、木琴を、正面からではなく、反転させて叩いている。しかし、今まで通り、ちゃんとしたメロディーを奏でている。普通、音階が逆になるのでよくわからなくなるものだが、エイミーはそれを楽しんでいるかのように叩いていた。


また、エイミーは右利きだが、左手も利き手と同じように扱えた。文字を書くことはもちろん、お箸も、ボールを投げるのも。


そして、3歳にして「鏡文字」が書けた。しかも、利き手ではない左手でも。さらに、右手と左手、同時に書けたりもした。


3歳で文字を書くだけでもすごいことだが、さらに鏡文字なんて、「天才」と呼ばれても不思議ではないだろう。


「特別な子だ」


エイミーは、両親からそう言われ続けた。そう言われることに関して、嫌な気持ちにはならなかったが、高揚する気持ちもなかった。


母であるゆき子は、エイミーのその特別な能力を、いろいろな人に自慢した。


しかしエイミーは、「注目されること、人間と面と向かうことが極端に苦手」と、今でも言っている。物心ついた時から、「他人とは必要最低限のみの関わりしか持ちたくない」と思っていた。


両親に関しては「平気」だとと言う。それ以外の人間に対しては、自分のテリトリーに入られることを、強く拒んでいた。それゆえに、家や幼稚園などでも、1人で遊ぶことを好んだ。


人間と関わることが、面倒だった。人間は、「なんてうるさいのだろう、なんてめんどくさいのだろう」と、幼いながらに感じていた。


しかし両親は、「自分の思い通りになる存在」だった。幼いからだろう、わがままをきいてくれるし、欲しいものは買い与えられた。


そういう存在は、エイミーの中では「味方」になる。我々が思っている「味方」ではない。


「味方は支配下における」から、味方。これがエイミーの感覚だった。味方かどうかわからない人間に対しては、関わることを嫌い、面と向かって目を合わそうとしなかった。


サイコパスは「周りの人間が自分に敵意を持っている」と感じ、それに対抗するために自分も敵意を持つ、ということが、イギリスの大学での研究でわかっています。エイミーは、それゆえに幼い頃から周りとの距離を置きたがっていたのでしょう。まだ幼い、小さな女の子は、周りの人間から、自分を守ることで、必死だった。



幼い頃から、エイミーの家は親戚がよく来る家だった。


親戚とはいえ、エイミーの中では、味方ではない。なので、そういう人間が来ると、その度に母の後ろに隠れたり、家のどこかの、例えば押し入れなどに隠れた。


親戚たちは、そんなエイミーを「人見知りだなぁー」と笑う。


しかしエイミーは、「人見知りを演じて」隠れていた。味方か敵かわからない、自分の世界、テリトリーに入られる可能性のある人間と面と向かい、喋りかけられたくないからだった。普通の子供では作らない厚い壁を、エイミーは無意識に作っていた。


ある日、親戚の大人達が4歳になったエイミーの家に集まった。


「まためんどくさいことになりそうだ」そう思い、逃げて隠れようとしたが、母ゆき子にバレて、止められた。


仕方がなく、リビングの端で1人で遊んでいた。両親、そして親戚達は、お酒を飲みながら盛り上がっていた。


話題は、エイミーの「特別な能力」。木琴を逆から弾けたり、鏡文字が書けたり。


みんな「すごい!」と場が沸いた。


ある親戚の男性が、酔っぱらっていたのだろうか、固いスプーンをエイミーに渡し、「これ、曲げてみてよ?」と、特別な能力を試すように、聞いてきた。


しかしそのスプーンはとても固く、大人が数人試しても、力づくでは曲げられるものではなかった。


エイミーは、今まで「すごい子だ」と言われてきたが、スプーン曲げは出来ない、と感じた。


スプーン曲げが出来ないだけで、「やっぱり普通なんだ」と思われると思った。するとなぜか、過度なプレッシャーを感じたエイミーは、どうしても曲げないといけない、と思い、力を込めた。


すると不思議だが、身体中から力が溢れてきて、全体重をスプーンにかけ、重たい家具に引っかけ、梃子の原理を使い、曲げてみせた。大人の男性でも曲がらなかったスプーンを、力と機転で、曲げてみせた。


曲がったスプーンを見た大人たちは、「やっぱりすごい!」と盛り上がった。しかしエイミーは、「力づくで曲げたと思われたくない」と思い、曲げる瞬間は誰にも見られないように、隠れて曲げていた。


摩訶不思議な力や天才的な何かが働き、スプーンが曲がったかのように演じてみせた。


何回も、大人たちからスプーンを曲げてみてと言われたが、全て見えないところでやり、さも「超能力」があるかのように振る舞った。


本当は、力づくなんだけれども。エイミーは、大人達を騙すように、嘘をついた。


罪悪感は、全くなかった。


物心ついた時から、エイミーは平然と、息をするように、嘘をついていた。



母ゆき子は、台所で夕飯の準備をしていた。5歳になったばかりのエイミーは、おもちゃで遊びながら、その夕飯を待った。


遊んでいるリビングにあるテレビでは、夕方のニュースが流れている。


エイミーはその頃から、文字はもちろん、テレビから流れてくる難しい言葉なども、多少は理解していた。


そして、その頃から早くも「死生観」について考えていた。


死ぬことへの興味があった。


このまま老いていくなら、今死ぬか、全く老けない、蝋人形のようにして生きていきたい、と思っていた。


5歳の女の子が、そう思っていたのだ。


死ぬことへの恐怖は、全くなかった。死への興味は、膨らむばかりだった。


そんなエイミーは、ボーッと聞いていたニュースに釘付けになった。


遺書を残し、自殺した著名人のニュース。


遺書というものの存在を初めて知ったエイミーは、心を奪われた。


遺書というものの意味は少ししかわからなかったが、人が死んだりして、そこからいなくなる前に書くものだということは、理解出来た。


そんなものが存在するのか!わたしも試しに、書いてみよう!


それが、エイミーの思考回路だった。


エイミーは、お絵かきをする時に使う紙とペンを取り出し、5歳にして「遺書」を書き始めた。


どんな遺書になるのだろうと、ワクワクした。


書いた内容としては、「楽になりたい」、「とにかくひとりになりたい、旅に出たい」、「誰もいない森へ行きたい」、などという、自死というよりは家出を示唆するような遺書になった。


拙い、平仮名ばかりの文字で書いたその遺書に満足し、おもちゃ箱の上に置いた。


エイミーは、それを親へ見せるつもりはなかった。見せたらいけない、まずい、とは全く思ってはいなかったが、見せるつもりはなかった。


しかし、隠すことをしなかった。エイミーは、「見せるつもりがないもの」を隠すことが、極端に苦手だった。なぜかはわからない。


普通の感覚だったら、「見せるつもりがない」なら、うまく隠し、バレないようにするだろう。


見られたらいけないのに、見られてしまう。隠すことを、なぜかしない。後々に、この詰めの甘さのせいでさまざまなトラブルが起こるのだが、実はこれは、サイコパスの特徴の一つと考えられる。


1970年代、アメリカで若い男性を狙った連続殺人事件が起こった。犯人であるランディ・クラフトは、12年間でなんと64〜67人もの若い男性を強姦殺害したシリアルキラーであり、サイコパスの可能性が非常に高い人物だった。12年間も野放しにされ捕まることを回避していたランディだが、ひょんなことから逮捕に繋がる。酒を飲み蛇行運転していたランディを警官が呼び止めると、なんと運転していたランディの助手席にはすでにランディに殺害された若い男性が座っていたのだ。もちろんすぐに逮捕となるわけだが、普通の感覚だとそのような見られてはいけない遺体を助手席に置くなんてことは考えられず、おそらくトランクか、または後部座席の足元に隠したりするだろう。しかしランディは、そうはしなかったのだ。


このような事例は、サイコパスが起こした様々な事件の中で散見されます。思わぬところから怪しまれ、逮捕に繋がるのです。我々が考えられないくらい不安や恐怖を感じられないサイコパスは、それゆえに「わからない」のである。見られたり、バレたりすると窮地に立つことを予測して行動出来ない。サイコパス由縁の、弱点のひとつと言えるでしょう。


普通におもちゃ箱の上に置かれた紙を、母ゆき子が気付かないはずもなく、その日の晩に、ゆき子はそれを手に取った。


ゆき子は、普通の手紙だろうと思った。なんなら、自分への感謝の手紙と思い「なんて可愛い子なんだろう」と期待を膨らましたまま、エイミーが書いた「遺書」を読んだ。


ゆき子は、口に手を当て、激しく動揺した。


「1人になりたい」、「楽になりたい」と5歳の自分の娘が書いている。5歳の女の子が。


「お父さんお母さん、ごめんなさい。ひとりになりたい」と書いている。


その頃エイミーは、遺書なんか書いたことすら忘れて、眠っていた。


翌日ゆき子は、腫れ物を触るように、エイミーに喋りかけた。


「なんか、嫌なこととか、ない?」


エイミーはその質問に対し、すぐに「あー、あの遺書、見られたんだー」と思った。


エイミーはもう、遺書のことなんかどうでもよくなっていたので、軽くあしらうかのような受け答えをし、その場を収めた。


その頃からエイミーの両親は、注意深くエイミーを観察するようになった。しかしエイミーは、監視されているような感覚だったと言う。


わたくし著者は、「その遺書を見られてどう思ったの?」とエイミーに聞いた。


「めんどくさいことになったなーと思いました」と、懐かしむようにエイミーは言った。


「親を悲しませてしまったとか、心配をかけてしまったとかは、思わなかったかな?」と僕は聞いた。


「あ、、、あー、そっか。たしかに。普通はそうなのか。アハハー。全くそれは、思わなかったです」と、今気づいたかのように、エイミーは笑いながら言った。


親の心配する眼差しに、気付かなかった。


エイミーはその頃から、「周りの人とは何かが違う」と思っていた。


この世界は、わたしがいる場所じゃない。わたしが生きる場所ではない。なんて人間は面倒くさく、うるさいのだろう。そう思っていた。


エイミーはまだ、5歳だった。



小学生になったエイミーは、普通の人のように振る舞うことが上手になっていた。普通の人のように、友達も出来て、穏やかな生活を送っていた。


ある日、学校から宿題が出された。


その宿題を、エイミーはしなかった。友達と遊びたかったからだ。


そして、先生に嘘をついた。


「宿題はもう終わりました」


日常的に、嘘をつくのが当たり前だった。罪悪感などは、皆無だった。


先生は翌日、エイミーが宿題をやったと嘘をついて友達と遊んでいたことを知り、エイミーを叱った。そして母であるゆき子に電話をし、家庭でも注意してくださいと言った。


学校から家に帰ったエイミーは、すぐさま呼び止められ、ゆき子から怒られた。


ゆき子の目には、涙が浮かんでいた。


「どうして嘘をついたの?」


半分は怒りながら、もう半分は泣きながら、エイミーに詰め寄った。


ゆき子は、こんな小さい子が、もう嘘をつくなんて信じられなかった。育て方が悪かったのかと自分を責め、大きなショックを受けた。


ゆき子からしたら、エイミーが「初めて嘘をついた」と思っていた。


エイミーは、そんな母を、泣きながら怒っている母ゆき子を見て、こう思った。


「あ、なんだ。今までついた嘘、バレてなかったんだ」


エイミーは、怒られている最中、反省や、申し訳ない気持ち、泣かせてしまって悲しい、などという気持ちは、全くなかった。


ただ、「意外とバレないもんだな」「今回は失敗したな」そう思っただけだった。


今までついた嘘がバレてなかったことに対し、自信をつけた。そして、嘘をついたことに対し、親がそんなふうになると、初めて知った。



それからのエイミーは、周りの人間とも上手く馴染んで、普通の生活を送っていた。


普通の人間とは何かが違う、と思ってはいたが、特に気にすることなく、穏やかな日々を過ごしていた。


サイコパスと言われる彼女だが、こんな一面があった。


小学4年生の時だった。


クラスメイトで、みんなから「性格が悪い」とかで嫌われてる、マナミという女の子がいた。


エイミーは、マナミがみんなから嫌われていることを知ってはいたが、時々、気にかけて喋りかけたり、一緒に帰ったりしていた。


同情心からくる行動ではない。そうやって行動していると、いつか得をするからだ。


その日も、1人で帰ろうとするマナミに声をかけた。「一緒に帰ろう」と。


2人の家は遠く、学校から1時間くらいかかる道のりだった。


途中で、些細なことでマナミと、少しだけ半分冗談くらいのテンションで、言い争いが起きた。


小学生の、可愛らしいいざこざだ。


マナミは言った。


「樽に詰めるからね!」


樽に人を詰めるなんてどこで覚えたかはわからないが、マナミは冗談で言ったのだろう。


しかしエイミーは、その言葉を聞いて、わんわんと泣いた。樽に詰められたらどうしよう、と。本当に言っていると思った。冗談と疑うことは、全くなかった。


エイミーは、そういう冗談みたいなことを、真に受けることがよくあったと言う。誰よりも純粋で、とてつもなく信じやすかった。


そしてまた小学生の、たしか5年生のときだった。


休日に、家族で大きなショッピングモールに行った。そこに小さなゲームセンターがあり、休日は近所の同い年くらいの子供もたくさん集まり、一緒に遊んだ。親同士も仲が良く、そんな子供達を見守りながら談笑していた。


もうそろそろ帰ろうかとしていた時のことだった。


とてつもなく黒い雨雲が空を覆い、激しいゲリラ豪雨が降ってきた。とても強い雨足と量に、建物の中にいても、その大きな音は響き渡ってくる。


駐車場は外にあり、今出るとずぶ濡れになってしまうことだろう。


エイミーの母ゆき子は、「これはもうダメね〜」と親達と話している。


親達は一旦帰ることを諦め、もうしばらく子供達を遊ばせ、雨が止むまで待つことを選択し、子供達に「もう少し遊んできなさい」と言った。


やったー!と喜ぶ子供達。しかしエイミーは、その中でただ1人、なぜか声を上げて、大泣きしていた。


親達は、急に泣き出したエイミーのことを心配したが、理由はわからなかった。


エイミーが泣いた理由は、母ゆき子が言った「これはもうダメね」という言葉だった。


エイミーはその言葉に、「この大雨によって、世界が、地球が終わる、滅びる」と、心から思った。


なんで他の子たちは世界が滅ぶというのに、もうダメだというのに、遊んでいられるのだろうと、理解が出来なかった。


そう思いながら、わんわんと泣いた。


サイコパスというのは、ただ冷淡だったり、ただ残虐だったりと、そう単純なものではない。


サイコパスは、感情のバランスが、とても極端なのだ。信じられないくらい冷酷になれるし、そしてそれに、おそらく限界がない。しかし逆に、普通の人が考えられないほど人情深くなる時もあり、とてつもなく信じやすいこともある。


中野信子さん著者の「サイコパス」の中で、このようなことが書かれている。不安や恐怖を感じない彼女らだが、サイコパスの中でも「ある一定の危険度を越すと一気に不安感情が爆発する」というタイプがいることがわかっており、そのようなサイコパスは「捕まりにくいサイコパス」として存在する。一歩手前で危険を回避したり、思いとどまることがあるのだという。


おそらくこの2つのエイミーの話では、エイミーの中で「不安感情が爆発」したのだろうと、そう推測される。


そして「捕まりやすいサイコパス」というのは、どんなに危険度が増しても不安や恐怖を感じずに、行動してしまう。それゆえに注意力が乏しく、自分が捕まるという時でも、その危険を察知しにくいのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ