第89話 π型人材
東京都千代田区にある私立マルクス高等学校は今時珍しい革新系の学校で、在学生には(後略)
「はいカットー! 堀江さん、今回の収録も最高だったよ。これならプロの声優を目指せるかも知れないね」
「ありがとうございます。後輩の前で情けない所を見せずに済んでよかったですわ」
「お疲れ様です、ゆき先輩。アフレコ現場なんて人生で初めて見たのですごくワクワクしました」
ある日の休日、私は硬式テニス部所属の2年生である堀江有紀先輩に誘われて新作テレビアニメのアフレコを見学しに来ていた。
ゆき先輩は以前から美声で有名だが先日賞金50万円を目当てに新作アニメの声優オーディションに応募したところ見事合格を果たし、来期からの放映に向けて今では放課後や休日にアフレコに参加していた。
「ゆき先輩は小さな女の子の役みたいでしたけど、アニメはどんな話なんですか? まだ詳しく聞いてなくて」
「堀江さんの演じるキャラクターは明日公開予定だから部外秘にして欲しいんだけど、このアニメは『最近何だか冥土が近い』というタイトルで、やたらと命の危機に瀕するおじいさんを美しいメイドさんが毎回救う話なんだよ。堀江さんはおじいさんの孫娘を演じてて、メインキャラだから出番は結構多いかな」
「主人公のご老人は大御所声優の大塚芳和さんが、メイドさんは人気声優の高崎李依さんが演じるそうですわ。わたくしも皆さんの出演作を少しずつ見ていますのよ」
私はアニメにはあまり詳しくないが他の声優さんも有名人が揃っているらしく、放映された際は必ず全話見ようと思った。
アフレコ終了後はゆき先輩と一緒に帰り、夕方のアニメスタジオで……
「んほぉ~この声優たまんねえ~。監督、見たことない名前だけど新人さんかい?」
「いえ、オーディションで選ばれたアマチュア声優で、都内の高校の2年生です。社長のお気に召されたようで幸いです」
「試し撮りの音声も聞かせて貰ったけど、少女役だけじゃなくて女子大生役や少年役、時には神様役までどんな演技も素晴らしくてまさにπ型人材って感じだね。そうだ、今回のアニメは全員この子に演じて貰えないかな?」
「はいっ!? 全員、ですか……?」
「そうそう全員。逆に話題になりそうだし」
そして……
メイドさん(CV:堀江有紀)「大変です、ご主人様が突然心室頻拍を! かがみちゃん、AEDを持ってきて!!」
孫娘(CV:堀江有紀)「分かりました! おじいちゃん、この瓶だよね!?」
おじいさん(CV:堀江有紀)「そ、それはDHAじゃよ……」
飼い犬に憑依している死神(CV:堀江有紀)「おうおうおう、こんな所で死んだらポイントにならねえぞ! ほれAEDだ!!」
生命保険外交員(CV:堀江有紀)「すみませーん、新商品のご紹介に参りました。あ、もう必要なさそうですね」
天国のおばあさん(CV:堀江有紀)「あなた、まだこちらにお出でになるのは早いですよ」
「全員演じてギャラも総取りですわ! キャラクターソングアルバムも私が全曲歌う予定でしてよ」
「良かったですね、秋葉先輩CD1000枚買うそうですよ……」
ゆき先輩のゆき先輩によるゆき先輩のためのアニメはインターネット上でも色々な意味で話題になったらしい。
(続く)