第85話 NIMBY
東京都千代田区にある私立マルクス高等学校は今時珍しい革新系の学校で、在学生にはリベラルアーツ精神と左派系の思想が叩き込まれている。
「お願いです治定度先輩、どうか旧校舎3階を剣道場の移転先にさせてください! 他に候補地が全然ないんです!!」
「嫌だよ絶対! 何でお前らのキエエエエエエエエエエ!! みたいな叫び声聞きながら演奏しなきゃいけねえんだよ。普通にメーン! とかコテー! とか言えよ!」
「あれはちゃんと面って言ってるんですぅ!」
「どうしたんですか先輩、後輩にそんなに冷たくしなくても」
ある日の昼休み。廊下を歩いていた私、野掘真奈は剣道部所属の1年生である村井君が2年生で軽音部員の治定度力先輩にすがりついているのを見かけて声をかけた。
「何か剣道場が耐震基準を満たしてないから解体して移転するらしいんだけど、第一候補地が旧校舎3階の大教室だって言うんだよ。確かに旧校舎にはチェス部とか合気道部の部室しかないけど、3階は隣にある文化部棟の軽音部室と同じ高さだから移転してこられたら迷惑極まりないんだ。これまでも叫び声が届いてたんだぜ?」
「気持ちは分かりますけど、中高の部活はお互い迷惑のかけ合いじゃないですか。隣の建物なら許してあげても……」
「野掘さん、それなら第二候補地でOKしてくれないかな!? 硬式テニス部の部室の近くにプレハブの剣道場を作る案もあるんだけど」
「いや、私たちは遠慮したいかな。練習試合の時とか気が散ると困るし」
「ほらそういうこと言う! 僕たちは剣道を続けたいだけなのに、どうして廃棄物処理場とか原子力発電所みたいな扱いをされなきゃいけないんだ……」
私も反射的に拒絶してしまったが、剣道部がNIMBYの典型のような仕打ちを受けているのは確かにかわいそうだと思った。
村井君がorzになってくずおれていると、廊下の向こう側から先日剣道部顧問に着任された社会科の路堂久美子先生が速足でやって来た。
「村井君、もう心配ないわ! 教頭先生から聞いたんだけど、あらゆる騒音をシャットアウトする特別なウレタン吸音材を仕入れられることになって、旧校舎3階の大教室をその素材で覆うみたい。これなら軽音部も文句ないでしょう?」
「ちゃんと配慮して頂けるみたいですし、俺らは学校の決定に従うまでですよ。村井君、さっきは厳しく言って悪かった」
「ありがとうございます! これで剣道をやめなくて済みます!!」
路堂先生の話によると剣道場は建物に防音加工をした上での移転が決まったらしく、私は村井君が無事に剣道を続けられそうでよかったと思った。
それから1か月後……
『職員室からのアナウンスです。先ほどの理科実験室での火災は小火騒ぎで収まりました。校庭に避難していた生徒・教職員の皆様は元の場所にお戻り頂いて大丈夫です』
「さっきの火災警報はびっくりしたわねえ。ところで、剣道部員と路堂先生の姿がないけど大丈夫かしら? 確か今日はあちらも練習日だったはずよね」
「あっ……」
硬式テニス部顧問の金坂えいと先生が口にした疑問に、私はNIMBYを主張するのも程々にしないと危険だと思った。
(続く)