第51話 労働の疎外
東京都千代田区にある私立マルクス高等学校は(後略)
『今日の授業では小林多喜二の『蟹工船』を読んでいきます。この作品は日本におけるプロレタリア文学の金字塔として知られていますが……』
ある日の放課後。私は国語科の先生にして硬式テニス部の顧問でもある金坂えいと先生に頼まれ、リアルタイム中継のオンライン映像講義を視聴覚室からタブレット端末で受講していた。
そうして50分の講義を受け終えた私は金坂先生に受講の感想を伝えるため教室に向かった。
「お疲れ様です。初めてのオンライン講義なのに、内容も話し方もすごく分かりやすかったですよ」
「ありがとう。一応準備はしてきたんだけど、やっぱり慣れないと疲れるわ」
マルクス中高では災害時や感染症の流行時など生徒の登校が難しくなった場合に備えてオンライン映像講義の導入が進められており、金坂先生もベテラン国語教師として学校から映像講義収録の練習を命じられていた。
「今回はリアルタイム中継で見て貰ったけど、今後は映像を収録してそれを自宅から見て貰う形式にする予定みたい。もちろん非常時だけの対応だけど、収録は今からやっておかないといけないから頑張るわ」
「先生もお忙しいのに大変ですよね。私は授業はできるだけ学校で受けたいですけど……」
「その通りです、映像講義なんて導入してはいけません!!」
教室の後方から聞こえてきた声に振り向くと、そこには同じクラスの柔道部員にして無神論者の国靖まひるさんがいた。
「リアルタイム中継ならばともかく、収録した映像講義をただ見るだけというのは人間性が全くありません! まさしくカール・マルクスが主張した労働の疎外です!!」
「そ、それはちょっとノスタルジーになってない?」
労働の疎外というものが何なのかはあまり分かっていないが、人間性がないから映像講義はよくないという主張はシンプルに古いと思った。
「そうよねえ、私もできれば映像講義はリアルタイム中継でやりたいけど、生徒の利便性を考えるとちょっとねえ」
「確かに、それはそうです。生徒の利便性と、労働の人間性を両立するには……そうだ、いい案があります! ちょっとパソコン持ってきます!!」
国靖さんはそう言うと自分のノートパソコンを取りに行き、私はそろそろテニス部の練習に行きたいと思った。
その翌週……
『はぁーい、やりがい系Vtuberのえいとだぴょーん。今日はぁー、小林たっちゃんの『蟹工船』を読解していくみゅ☆ かにこうせんって言っても蟹が出す光線じゃないぞっ! てへぺろ☆』
>えいとたん最高! 今日も投げ銭しちゃうよぉー!!
>何かノリが古いのが逆に新鮮! 応援してます!!
>えいとたんも光線出して~~お願い~~
金坂先生は国靖さんのアドバイスを受けてバーチャルYoutuberデビューを果たし、Youtubeで無料配信している動画には生徒以外も含む多数の視聴者からスーパーチャットが送られていた。
「野掘さん、Vtuberっていいわねえ。しかもスーパーチャットの1割は私のボーナスにしてくれるそうよ」
「逆に9割は学校に徴収されるんですね……」
今日もやりがい搾取をされている金坂先生を見ながら、私は本人が幸せならまあいいかと思った。
(続く)