第488話 3日目
少々周囲からの気配の物々しい、珍しく近衛の同席すら拒んだ夜の時間が過ぎ。いつしか眠りにつくまでの時間を二人で過去に思いを馳せて過ごす。合間、いい加減に留飲も溜まっている相手に当てぐれをするための方法なども話しながら。
過去、オユキの中に積もり、本来伸びるべき何かを雪が押しつぶしたそこにある物、積もった雪が融ける事は無くともかすかにさす光があったのだ。
「もし、機会があれば。」
「いえ、流石に私と同じにはなりませんよ。」
表層が解け、流れる物は既にトモエが拭った。だから今は、二人の時間ではそこにまた新たな暖かさを。
「こうなると、今の選択を私も悔いてしまいそうです。」
「結局私が良しとしましたから。そこでトモエさんに責を及ばせはしませんが。」
二人で、もしも。その話をする。かつてはオユキが一方的に、勿論説得はトモエが行ったが、それがもう一度あるのかとトモエが悩む。オユキの両親にしても、かつてと全く見目の違う相手、それをどう思うのかを始め。そして、トモエの持つ説得の手段というのは通じる相手が少ないのだとオユキから。
話す内容は、いつ訪れるともわからない、本当に起こるかもわからないもしもの話。だからこそ、二人でそれを楽しく話しながら眠りに落ちる。降る雪が悲しみだとして、それが積もり、残っている場所。日を当てて溶かす事も出来ない場所というのは、悲しみだけが積もりその重さで根深い氷になっている。それを溶かすには、柔らかな灯と温かさが必要になるのだから。凍土をマッチ一つで溶かそうと、そのような真似だとしても。
そして、そんな話を続ければこれまでのように気が付けばどちらともなく眠りに落ちて、目を覚ます。窓のない部屋ではあるが、それでも体が覚えた時間に。
「水遊びとまでは言いませんが、少し水辺でのんびりしたいですね。」
祭りの喧騒、それが身近にあり続けたこともあるのだろう。トモエがそうした静かな時間を求めると起き抜けに口に出せば、オユキとしてはそれで一日の予定が決まるという物だ。
「そうですね、のんびりしましょうか。」
トモエがそうしたいというのもあるが、オユキへの気遣いがあるというのも分かるのだから、否やはない。オユキにしろトモエにしろ、今日は仕事も特にないのだ。アルノーから水産資源を求められたこともある。
「トモエさんは、そのまま川べりで。」
「そうなると、アルノーさんの同行も求めたいのですが。」
「トモエさんはまだ足が。」
現地でそのままという事も求めそうだと考えてオユキが確認を行えば、やはりその辺りも考えていたらしい。トモエがそれを口に出してしまえば、今はそれを止められるのがオユキしかいない。
トモエであれば、怪我を上手く庇っても問題がない、それは確かに分かる物ではあるし、毎日の事が出来ていない、その不満もあるというのはわかるのだが。
「一応、問題は無いのですが。」
「そこはカナリアさんにお任せしましょうか。私としても気が進むものではありませんが、護衛の方に頼めばそれこそいくらでもとなるでしょうから。」
上げ膳据え膳どころでは無く、ここ数日でさらに示したものがオユキにはある。それこそ顎で使うどころの話では無く、周辺で簡単に手に入る物を望めば、挙って求めに応じてくれるだろう。ヴィルヘルミナが喉が渇いたと、歌いすぎて喉が疲れたと言えば、飲み物を我先にと差し出すものがいるように。勿論、それに甘える気はない。慣れる気もしないが。そして、それを実行するにあたって気になることもあるため、オユキはそれも口にする。
「新しく引き込んだ川ですし、アイリスさんが得た物の影響もあるでしょう。その辺りも含めてとするのが良いでしょうね。」
「オユキさん。」
「流石に、私が行いはしませんよ。」
仕事らしき予定をオユキが差し込めば、今度はトモエから。
「いえ、流石に私でやる気はありませんよ。それこそ、十分以上の護衛は得られるのですから、各ギルドに声をかけてから出発としましょう。調理器具もありますし。」
川に頼らずとも、魔物は相応にいる。屋外でそのまま料理をするのも良いだろう。アルノーにしても、その場で色々と確かめられれば保存の兼ね合いも考えた上で必要な物を多く求めたりと出来る事だろう。
「こちらの方にはなじみのない食材もあるでしょうし、そうですね。新年には早いですが、祭りの喧騒に新たな彩をというの良いでしょう。」
「そうですね、それは楽しそうです。」
「こういうお神輿役だけであれば、私ももう少し楽なんでしょうけれど。」
そうして話していれば、トモエとオユキの間で今日の休日を楽しむための形というのも決まる。かつてであれば、それこそ色々な権利があり、そもそも自分の土地に帰属しない資源を好き勝手出来はしなかったが、壁の外は誰の物でもないのだ。現在の状況もあり、乱獲して喜ばれることはあっても、苦言を呈される事など無い。
「漁となると、こう、網とか。」
「そう言えば、ミズキリが主導で釣り堀も作っているはずですし、その辺りは今どうなっているのでしょうか。」
変わる街並み、目に見える範囲はそうでは無くとも、空いていた区画、新しい区画はそうでは無い。
「その辺りは明日にでも、視察などと嘯いて巡りましょうか。各所で時間を使いたいですし、日に一つとして。」
「今、改めて手が入っているのは、水源と、金属加工、でしたか。」
「いえ、アイリスさんの件もあるので、農地なども大いに変わっていると思いますよ。順序としては、そちらが先になるでしょう。アイリスさんは、どうしても今は人前にあまり出たくないと、その様子ですから。」
「アイリスさんでなくとも、あのまま人前にと言われれば気落ちしますよ。」
そして、そのアイリスは基本的に寝て過ごしているらしい。それが回復に必要とはカナリアからも言われているため理解はある。そして、家主の方が来客を、やはりここで暮らす人々から色々とあるそれを一切断っているため、便乗する形でよりはっきりと、取り次ぐなとアイリスの方は言い切っている。
実際の立場はともかく、家主と間借りしている者。前者の客人にすら遠慮を頼んでいる中では、当然そちらはより一層の配慮を求めざるを得ない。
「でしたら、アイリスさんは屋敷に残られるでしょうか。」
「いえ、それは来ると思いますよ。」
「食欲が美意識に混ざると、そう言う評価になりますか。」
「オユキさん。女性相手ですから、くれぐれも。」
個人に向けた物以上に、種としての特徴に対して口にしたものではあったが。オユキはトモエに少々圧を掛けられたうえで窘められたため、直ぐに口を閉じる。そうして何とはなしに会話を進めていれば、朝の日課、柔軟も終わったため早速とばかりに決めた予定を伝えるために扉を開け、そこで待っている相手に声をかける。
勿論、その人物に聞こえるように話していたこともあるため、そこからの予定は実に順調に進む。勿論、それらが実際の事となる前に、トモエとオユキ、それからアイリスの診察は挟まれるが。
「トモエさんとアイリスさんは、最低限問題なさそうですね。見込みよりも回復が早いのは、土地に対する祖霊の加護でしょうか。しかし、五穀豊穣とのことでしたし。」
居間になんだかんだと今はこの屋敷の部屋で暮らす者達、仕事としてではなく、主人と間借りしている者達が揃って朝食をとる中で、カナリアが実に不思議そうにそんな事を言い出す。
診察の折にもそうであったが、カナリアのこれまでの経験に比べて、直りが早いという事らしい。他の物たち、やはりこちらも相応の傷を負ったイマノルと、オユキが予測を超えていないというのに。
「祖霊様の力が満ちた土地から得られた物を口にしているんだもの。」
「ただ、そうなるとトモエさんが。」
「その辺りは祖霊様によってまちまちよ。こう、狭い種族に対してだけ祖である御方であれば、特定のとなるけれど、そうでなければ纏めてだもの。」
「食肉目で括られているのでしょうか。そう言えば鯨偶蹄目に属される方も、こちらで暮らしていたのですね。」
祭りの中、獣人が一堂に会したこともあり、そこにはいろいろな特徴を持つものたちがいた物だ。そして、中には非常に目立つ特徴を備えている者達もいる。羚羊の特徴としてよく見られる、長い二本の角。それが緩やかに優美な曲線を描く種族なども。そして、それが獣としての特徴を正しく引いているなら草食だ。加えて魔物として近縁の種族を散々食肉として調達したこともあり、トモエは特に気になったのだろう。
「ああ。あの子達ね。今回の祖霊様の加護をあの子たちは特に喜ぶでしょうね。」
「その、私の知る関係性であれば。」
「話には聞いているけれど、異邦の関係性とははまた違うわよ。」
捕食関係ではないようで何よりだ。
「部族から出た子はまた違うけど、こう、他の世話をするのが好きな種族と言えばいいのかしら。」
「成程。」
つまるところ、狩猟を担当する種と内向きの事、政治では無く暮らす場を整える事が得意な種族として分かれているらしい。であれば、そう言ったと特性を持つ種族が多い中から飛び出してきた物は、それにオユキは思いをはせるが。
「嫌気がさしたり、跳ねっ返りという訳じゃないわよ。こう、私たちが飛び出すときに大抵ついて来て、その先で増えていってる感じかしら。一度落ち着くとずっと同じ場所に居たがるし、群れを形成しやすいのよね。ただ。」
そこまで言ってアイリスがため息を一つ。
「あなた達は知らないでしょうけど、基本的に大食いなのよね。」
「その、アイリスさんやイリアさんも。」
「私たちは、どちらかと言えば魔物の肉を主体で問題ないけれど、あの子たちは。」
ため息交じりに言われれば、トモエもオユキも思うところはある。鹿害、遊牧の結果、そういったものとして。アイリスの暮らす場は森が遠いと言っていた。であれば。
「そうであれば、今回の結果は、猶の事喜ばしいのでしょうね。」
「結局は好き嫌いの範疇というのがね。」
「ええと。」
「あの子たちも人の特徴を持っているんだもの、勿論食べても問題ないわよ、肉類。」
トモエとオユキの生活の場に影は落としていないが、こちらでもしっかりとそう言った種族間の問題というのは存在しているらしい。そして、それらを取りまとめなければいけないであろう立場のアイリスの溜息は、根が深い。