第487話 過去
座っているだけというのも、疲労がたまるものだ。それが気を抜けぬ場であれば猶の事。
語られる話に耳を傾けながらもあたりを見れば、実に祭りらしい空気が漂っている。出店の類も並んでいるし、この町に住んでいる貴族、それこそメイを始めとした者達による振る舞いとわかる品がそこかしこで振舞われてもいる。
トモエと二人、祭りを楽しみたいなどと言いながらも、まったくそれが出来ていないことを反省しつつ、役割が終われば司教に改めて挨拶をした上で、早々に屋敷に取って返す。勿論、そこでアナのためにと預かっていた物を渡し、オユキの方でも手紙を受け取った上で。
「まぁ、これが最初という事なのでしょうね。」
気にしているものは多いが、オユキはそれを他に見せる気もない。トモエと並んで両親の書き残したものを読んでしまえば、後はいつものように用意されている夜を楽しむための品々に手をのばす。
「私はお会いしたことは無いはずなのですが。」
「まぁ、時間の流れというのもよくわからぬ関係ですから。」
書かれていたことは、謝罪と祝福、ただそれだけ。それこそ、各地で、神殿で。必要な事を熟していけば、得られていくのだろう。各神殿にいるはずの分霊たちから。
「ただ、どうしましょうか。」
そこまで考えて、しかしオユキとしてはその先を望む気はなかなかに起きない。過去、それこそどうにか、僅かでも、そう望んでいたというのに。
「確実な事が分かってしまったからでしょうか、無理にとまでは、やはり思えないのですよね。」
万に一つ、それを求めた結果が空振りに終わり、諦めていたつもりではあった。そうでは無いと以前王都で思い知った。しかし、こうして確からしい物がいざ手元に来てしまえば。
「困りましたね。心が若くないと、やはりそれを繰り返すしかありません。」
それでも、手紙を読めばやはり頬を濡らすものがあり、向かい合うトモエにそれを今も拭われてはいるのだ。オユキ自身、今の己の感情など説明できない。両親の手から離れて生きた時間の方がはるかに長い。オユキ自身もその立場を得て、どれほどが立ったのか。
「いくつになっても、どれだけ繰り返しても。悲しい事は悲しい物でしょう。」
「ええ、それになれたいとは私も思いません。」
謝罪はオユキに向けての物、祝福はオユキとトモエに向けて。嬉しい手紙であることに間違いはない、ただ、やはり扱いに困るというのが今のオユキの本音でしかない。
「ままならぬというのであれば、直接向き合って。それ以外ないのではと、私はそう考えてしまいます。」
「流石に、私の両親は心得がなさそうですし。」
トモエが冗談めかしてオユキにそう話す。トモエにとっては嬉しい手紙に違いないのだ、これは。
「ミズキリさんは、知っていたと思いますか。」
「はい。間違いなく。しかし答えないでしょう。そもそもこちらに来る前にそれが出来たというのに、しなかったのです。今となっては意図も理解できますが。」
「何というか、あの人はいよいよ。あまり勘違いをされるようでしたら、一度とも思いますが。」
「そこまで悪辣ではありませんが、まぁ、そうですね。多少の意趣返しくらいはしておきましょうか。」
最も、ミズキリという人間は、トモエとオユキがそれを行う事すら想定しているはずではある。程々の痛痒を与えるというのが本当に難しい。
「色々分かったことも多いですし、結局は方々に向かうのですからついでに等とも考えてしまいますが。」
そして、一先ず八つ当たりの先を作った上でオユキは話を戻す。
「今回ほどの事をしてようやくと考えると、私としてもそこまではと考えてしまうんですよね。」
「確かな形で既に残っている、なら、期限があるとは私も思いませんが。」
「それこそ、そちらを急げば結局再びこちらに来た目的というのを犠牲にしなければいけません。それはやはり私も求めていませんから。」
トモエと話ながらオユキの方でも少しづつ考えを纏める。
つまるところ、失踪した両親、それをオユキは探していた。ただ、それはもはや過去の事でしかない。失踪届が死亡届に変わっても飲み込めはしなかったが、人間という存在の耐久限界、それが来る頃には心の中で片を付けた事でもある。それが今更になって突然出てきて、動揺しているというのが大きい。
「急げば、直接という事も。」
「いえ、それはどうなのでしょうか。」
トモエが不安げにそうオユキに言葉をかけるが、それについてはオユキは首をかしげるしかない。結局のところ全ては予測でしかないのだが。
「それにしても、普通の人として合う事が叶うはずも無いでしょう。」
「それは、使徒だからと。」
「いえ、ミズキリが今この時期に、他にそうと知られずというのがあります。」
「姿形を変える術が。」
「それもそうですか。」
しかし、その予測の柱となっている部分は、トモエによって簡単に崩される。
「オユキさん。」
「はい。」
改めて呼ばれ、霞む視界でオユキはトモエを見上げる。
「叶うなら、会いたいのでしょう。」
「はい。」
「私もそうです。」
どれだけ言い訳を作ったところで、オユキの本音はそこだ。
「今更、年寄りが、みっともない。そのように。」
「いくつになっても親は親で、子は子だと。私はそう考えていますよ。自然の事、その流れでもやはり悲しみがある物でした。年齢、経験、それだけで完全に薄れる物でも無いでしょう。諦めた、そのはずの物がこうして手に届くところに来て、手を伸ばさない。私の知っているオユキさんは、そんな人ではありませんよ。」
トモエにしても、求めていた形、それはこれまでに色々と。
「ええ、そうですね。言いたい事、聞きたい事。やはり多いですから。」
「では。」
「いえ、それにしても急ぎはしません。」
短いやり取りではあるが、今はそれで十分とオユキは話を止める。それこそ、続きは寝る前に、頭を並べている時でも十分だ。今はそれよりも考えるべきことを。
「先ほども口にしましたが、急いでどうなる物でもないですから。」
「そう、なのですか。」
「はい。結局お使いはしなければなりません。それに対するものですからね。」
どうあがいたところで、こうしてオユキに対して手紙を残せたのは、オユキの両親が何かを為したから。そして、オユキが預けられたそれを手にするには、やはりこちらも何事かをしなければならない。こちらの神が無条件に何かを与える存在ではないというのは、散々に思い知っている。
もっと時間を使えと、色々と興味を持ってほしいと、そう口にしながらも容赦なく移動が必要な仕事を振ってくる相手だ。つまりは、それに付随するあれそれを他に任せて、トモエとオユキは二人として色々と、そう言いたいのだと理解はできるが。度が過ぎると感じれば確かに二人ともそうする。今回休むと決め込んでいるように。ただ、そうでなければ、そうしない。
「既に色々な縁もあります。今後の予定もまぁ、大枠で決まっていますから。」
「では、合間にきちんと休みを取ってとしましょうか。」
「ただ、探すにしても。」
生前より広大な世界、そこで人を。手がかりもろくに無いというのに。
「恐らく、次の物には何かもう少しあるとは思いますが。」
「本来は一つ、それが二つになったのですから。」
「どうでしょうか。そちらは別枠とされそうなんですよね。」
世界に対するものと、オユキに対するもの。それは明確に区別がされるだろう。それはここまでの事を考えれば、十分すぎるほどに理解ができる。今回の事、折に触れて興味を持てと繰り返される事。
「要は、向こうとしても、渡すことを約束しているのでしょうね。」
「ああ、それで。であれば、そちらをとも思いますが。一先ずは二国間で十分でしょうし。」
「いえ、他の国も当然求めますから。あの門にしても、何か色々と制限が生まれそうなんですよね。」
本当に門がある場所にどこにでもとなるのか、そうでは無いのか。
「門ですし、繋がる先は基本的に一か所というのが自然な気もするんですよね。今になってみると。」
「それは、なんと言いますかあまりに不便では。それを解消しようとするのなら。」
「ええ、ここが始まりになった、ここが起点ですべての場所に、そうはならないでしょう。数学的な問題としてのパスとノードの関係よりは、ネットワークとしてのトポロジー問題になりそうですが。なんにせよ、今回の事でカナリアさんが理解できる魔術も増えているはずです。」
そう、行先の指定ができない門などというのは、いよいよ取り扱いが難しい。そうでなければ、方々に繋がなければいけない場所というのは、門だらけになる。今後神殿の存在する場以外にもと、そう言う話になっているのだ。そして、まずはつなげたい先として挙がるのは王都。
「利用するにあたって、それなりのコストがかかるので当面は渋滞も無いでしょう。しかし、目的地を切り替えられないのであれば、あまりにも。」
「そうですね。私としても一か所しか見ていませんが、水と癒しの神殿が門で囲まれるというのも。」
「それは、神々も嫌がりそうですね。」
こうして益体も無い事を話していれば、オユキの気分というのもようやく上向いてくる。
「一先ず、明日カナリアさんにもう一度魔術文字に触れていただきましょうか。」
「流石に、個人ではなくギルドの仕事になるのでは。それこそ教会の方々でとも思いますが。」
トモエにそう言われて、オユキは改めて考えた上で首を振る。そうなると今度は神職たちの仕事が愉快な事になる。
「今は祀られぬ神、それに係ることもありますから。」
「ああ、過剰ですね。流石に。」
「かといって魔術を使う方々がどうかと言えば、まぁ、忙しいようなのですが。」
それもあって、まずは魔国に向かうものではある。それこそ、その辺りは国同士でのやり取りとしてもらうしかないが。
「そう言えば、気になっていたのですが。」
そこに、トモエが唐突に疑問を投げかける。
「オユキさんは、橋がいつごろ出来ると。」
「あの幅の河川ですし、重機などもありません。素材も十分ではありませんから、下手をすれば十年近く掛ると思いますよ。」
「成程。」
そして、トモエが何やら楽し気にするものだから、オユキとしても首をかしげるしかない。
「こちらに戻った時には、完成しますよ。前倒し、計画の変更、それがあるんですよね。」
「では、それを意趣返しとしましょうか。」