第468話 日をはやみ
準備の場は教会の中。そこに運び込まれてくるオユキの姿を一度確認し、カナリアから命に別状はないと、その宣言が行われればトモエも直ぐに外に出る。他にも気にするものは多いのだが、場の整え直し、そのためにはやはり多くの手がいる。主体が獣人、アイリスの頼みに応じた相手、これまでは各々で祭りを行った者達であり、常の祭りであれば員数がいであったのだとしても、今度ばかりは常の物では無い。
「オユキは。」
「目は覚ましていませんが、無事です。」
「そうか。」
祭りの責任者は司教とメイだが、今は忙しい。
警備の総指揮をとっているアベルを探して、まずはそちらにとトモエが声をかければ何とも沈痛な表情だ。
普段は楽に、オユキだけでなく多くの者が親しみやすい振る舞いを取る人物であるし、彼がオユキの持ち込む大事を窘めるから他が留飲を下げる。その辺りを理解して振舞っているその人物も、流石に気落ちしている。
「個人にここまでの負担を、民に。」
「納得しての事です。それこそ、今回についても私に因果のある事ですし。」
オユキが隠そうとしているから、知らぬふりだけはしていた。マナ、怪我の快復にも使われるそれが急激に失われればどうなるかなど、トモエも想像がついている。流石に一月以上の間で、ある程度通常の身体機能としての快復もあるだろうから致命にはならぬと、そう踏んではいたが。
「そうか。貴殿も、オユキが気が付けば気が付くか。」
「ええ。そういう物です。」
「謝罪は喜ばぬのであろうな。ならば、感謝は必ず。」
「それにしても、過分になるのなら他に向けてと、私もそう応えますが。」
「まるで、私にしても子供扱い。いや、大本を考えれば。」
それにしても、こちらの世界の人はどの程度まで知っているのやら。互いに気安い関係を。そう口にし、振舞いながらも隠し事が多い。全く、子供たちに呆れられそうだ。トモエとしては、どうしてもそのような思考になる。今もそのうちの幾人かはカナリアの手伝いの為に側に残ってくれている。
「いえ。子供というよりも兄弟になるのでしょうか。」
オユキの両親が一部とはいえ作り出した世界、そこで暮らす人々。そうであるなら、関係性を話せばそうなるだろう。だからオユキは使徒ではない。あくまでこちらに暮らす人々と同じ枠組みに。そして、招いただけの誰かとは違う確かがそこにあるから、こちらの人々と同じように扱いながらも、特別とすることができる。
「そうか。だが、トモエ殿はいいのか。」
「無論です。オユキさんが後を私に任せたのです。是非もありません。」
ウーヴェの手入と直しが終わった、既にそれなりの付き合いの太刀を腰から下げている。カリンの言葉ではないが、どんな時であれ戦いに臨むにあたってトモエは万全だ。
「前は任せます。どうあがいたところで、私で防げるような物では無いでしょうから。」
「私の装備も間に合ったが。」
そして、アベルの装備も後続が運んできてくれた。既にその人物は取って返してはいるが、それこそ大量の正式な書状と共に。王都で数度行動を共にした、今は傭兵ギルドの長、元騎士団、そのうちの一つを預かっていた人物が身一つで。
「それにしても、本当に一人で走り抜けるとは。」
「副団長なら、出来はするがな。それでも片道で一週はかかる。」
「あの、急ぎの馬車で3週間近く掛るのですが。」
「門番連中は、もっと早いがな。」
相も変わらずこちらの世界の生き物の上限とは空恐ろしいものだ。馬、それこそ車どころかより高速の移動手段よりも早く走るそれよりも、人の方が早いというのだから。
そうして話しているアベルにしても、見覚えのある鎧姿。生誕祭で行われたパレード、そこで上役とわかる者達が身に着けていた物を着込み、国王の乗る馬車に掲げられていた紋章が記された巨大な盾も持っている。彼の正式な装備がこれだという事なのだろう。
「事前に試したところ、騎士で中に入れたのはイマノルとローレンツだけだ。シェリアとラズリアも入れたが、シェリアはオユキの側から動かせない。」
「クララさんも無理でしたか。」
「ああ。イマノルが下限というところなんだろうな。」
「そうであれば、私もと思いますが、まぁ、そればかりは異邦からの者として目をつぶっていただく他有りませんね。」
「それこそ、今なら本気でやればオユキ様はともかく、トモエ殿であれば。」
言われた言葉に、トモエとしてはただ苦笑いを返すしかない。魔術については流石に難しい。それこそどうあがいたところで回避ができない規模で、天災の如きそれを持ち込まれれば回避も何もあったものではない。ただ、武器だけでというのなら、確かにクララであれば。
「一切の加減なく、そうであればクララさんなら、そうですね。」
「1年。それだけで騎士が。」
「これまでの確かな時間があればこそです。」
それこそ、鎧を着ていようが関係ない。こちらであればトモエにも勿論加護がある。ただの数打ち、それで森の一角を薙ぎ払ってしまう事も出来る。それらすべてを使ってとなれば、今となってはクララも下せる。その結果は勝敗では無く生死になる、その程度の差しかないが。
「それに、クララさんにとっては初見の技も多いですから、私に有利が大きいですし。」
「この後は。」
「どうでしょうか。そもそも人の形で対峙してくださるのか、それすらも。」
そうしてトモエとアベルが話しながら、すっかりと人気のない教会を歩けばいつもの礼拝堂にたどり着く。
「おや。」
そして、そこにある異変はあまりにもわかりやすい。外から光が入ってきていない。此処で暮らすのは大変だろう、そう思う程度に教会はそこに使われているもの自体が柔らかな光を放っている。時間がどうであれ、この中であれば暗くて困るなどという事もないのだが。
「日が沈むには、随分と早いと思いますが。」
そういった事に気が付けるほどに、外が暗い。まるで既に夜中だとでもいうかのように。
「こういうこともありますか。」
「月と安息の地は常闇でもあるしな。それでかがり火がいると、そう言う話だったか。」
「夜まで、出し物をしてとそうなるかと話していたのですが。」
アベルの方でも忙しくしており、祭りの段取り、その全てには参加が出来ていない。だから、知らぬことも勿論ある。護衛として、当日の日程の把握は必要ではないのかとも思うが、そもそもそれが常であるのなら知らなくても変わらないという事なのだろう。実際に、終わった後にどうするのか、それは決まっていないこともある。
祭りの終わり、これから望む異邦から分けられた神との戦い、その結果次第では参加者はどうなると知れた物でもない。
「確かに、夜の方がアイリスさんも似合うでしょうが。」
「火は、確かに映えるだろうがな。効果が無いと言っていなかったか。」
「視界を奪う役には立つでしょうし。それに、それを払うために一度剣を振ってくださるのなら、十分な隙です。」
「トモエ殿は、本気で勝つつもりではあるのですね。」
「当然です。負けるかもしれない、勝てないだろう。そう言った考えがあろうとも勝つために、太刀を持ち向き合う以上は、そうあるのみです。」
話の中で、トモエにしても何度も言っている。
相手は理外の存在。戦と武技の神相手でも、それより劣る相手だろうと変わらない。人が勝てるような、そのような相手ではない。だが勝つための術理を、出来る事を尽くさぬというのもまた違うのだと。
「ただ、まぁ、耳目も多いので、伏せなければならない手札が多いのも厄介ですが。」
そして、全ての手札をともいかないのが、また厄介なのだ。
見られてしまえば、知っていれば。可否はさておき、打てる手もある。それを許すことができない立場でもあるのがトモエだ。
そうして話しながらも歩いて外に出れば、空には輝く月が常よりも随分と明るく大きく輝いている。
その下で、アルノーが、カリンが、ヴィルヘルミナが。異邦から訪れたばかりの者達がそれぞれに祭りに華を添えている。
「私も、いよいよ1週間ほどのんびりとしたいですね。」
「全く同意だな。」
特にここまでの多忙な時間を支えてくれたのはアルノーだ。食事、それについての我儘を随分と聞いてもらったものだ。本人がとにかく楽しそうであるから良いものの、仕込みに至っては教会から子供を借りて行わなければならない人が、今やトモエとオユキの屋敷の周りにいるのだ。勿論、間に合わぬ部分もあったが、それでも最低限の品、メインとなる一皿だけは全員にと50を超える皿を毎日当然のように用意して見せた。
そして、トモエとオユキが夜を過ごすときに、異邦の者達が顔を揃えてとなれば、簡単につまめるものも。
そこで、過剰ではないかと言えば、寧ろ腕の振るい甲斐があるとそれこそ実に楽しげに語ったものだ。
「オユキさんの用意した調理器具ですか。」
「まさか、あれがここまで活躍するとはな。」
そして、獣人の祭りだ。
一度庭先を使って、それは盛大に催され、騎士達が殊更喜んだ料理がやはりここでも。
オユキと招待を受けた女性陣が、早々に匂いにあてられて離脱する羽目にもなったが、串に纏めて大量に肉を刺し、炭火でゆっくりと過熱をする料理、それも供されている。祭りの喧騒には、実に似合っている。
「では、参りましょうか。」
「ああ。」
そういった喧騒が響く中。どよめきは勿論起こったが静謐なそれとは真逆の空気を湛えた祭り、その中央。
四方を朱色の鳥居で区切る場の中央で、金の狐がただ一人抜身の剣を掲げて、その先に有る月を睨んでいる。
五穀豊穣。肉だけでは、魔物だけでは不足する食料。人が育てるそれに、今は忙しく手が出せない大地と豊饒に変わって、それを与えようと、より具体的な力を授けようとする存在の裔が勝ち取るために。
「あいつにしても、祖霊様と敬うのに剣を向けるのにためらいもしない。」
「心強い事ではありませんか。」
ため息交じりのアベルの言葉に、トモエはただ笑って返す。
「さて、オユキさんも確かに果たしたのです。ならば。」
「ああ。人の世の事は人が行うべきだ。巫女ばかりに任せてなど、我が剣の誇りが許さぬとも。」
みなぎる気迫に、近場から徐々に喧騒が静まっていく。
その中で、カリンから羨むような視線が届くが、そちらは流石に不足が多すぎる。そして、この鳥居の切り取る空間に入れないのだから、致し方ない。
祭りの場で、神と踊るのだ。彼女にしてみれば、まさに本望とそうなるのだろうが。
「イマノル。」
「は。」
「では、参りましょうか。」
その先、思うところはトモエも口に出さない。戦いの場、そこでは常に。どんな相手であれ。刀を持つ以上は殺す覚悟をもって。アベルが静かに、良く響く声でイマノルを呼べば、そちらも随分と慣れた仕草で、アベルの傍らに並ぶ。不安げな視線も感じるが、それもどこか遠い。
今のトモエには、アイリスの剣の先、そこにある気配の方がはるかに近く感じられる。
「さて、オユキさんは間に合うでしょうか。」
「何か言ったか。」
「いいえ。」
思わずトモエの口から言葉も漏れるが、それもかすかな物ではっきりと届きはしない。
恐らく、この場でそれを信じ、知っているのはトモエだけだ。オユキは来る。この場に。そして、それに合わせてトモエが確かに神に刃を届かせる。