第442話 募る思いも
「変わったのは、何も周りばかりではありません。」
そう、こちらの価値観として、確かに大きな変化が周囲で巻き起こっている。それこそ公爵が舵を取らねばと、そう言い切るほどの激流が。
ただ、個人の事として、それをすべての物が受けるのと違い、イマノルとクララ。この二人の間でも大きく変わった事が有る。
「それに向き合う時間を奪っている、それについては謝罪するしかありませんが。」
そこまで言えば、イマノルにも何を言いたいか伝わった物であるらしい。
「はい。クララと話す時間、それは騎士団にいたころでさえ、どうにか都合で来ていたのですが。」
つまりは、今は難しいとそう言う事なのだろう。
「その、申し訳ありません。」
「いえ、巫女様方の身を守る。騎士として、今はかつてではありますが、私自身、その栄誉は疑ってはいません。」
「ですが、個人の犠牲を私たちは望む者では無いのです。」
「そうですね。私とオユキさんが時間を得る事が出来ている、けれど他の方がというのは。」
それはオユキも、トモエも望んではいない。
しかし、現実としてその役割を頼んでいる相手は、そうせざるを得ない。何処まで言っても人手が足りない、その歪が追いかけて来る。そのことについては、思うところが無いわけでは無いのだが。仕方ないと、二人してそう言い切るしかない物だ。護衛、それを必要と判断する根拠は簡単に理解出来る物なのだから。
「屋敷には、相応に守りの魔道具と魔術を用意しましたけど。」
「出来る事をやる、予想されるすべてに対して、対応の手を置く。それが警護の鉄則ではあるからな。私としても、イマノルとクララにそれを行えと、指示しないわけにはいかない。」
アベルが、そうため息交じりに話す。二人の背中を押すようなことをかつて話した人物でもあるのだ。現状に対するもどかしさ、閉塞感というのも正しく感じているのだろう。
加えて、立場もある。それこそ現状の抱える問題点、それについても誰よりも深い理解があるはずだ。ミズキリ、その人物に対しての見極めに失敗はしていたが、彼が歩を進めようと、そう思える事態を、流れを最初に作った人物でもあるのだ。
未だにトモエとオユキに所属を明らかにしない、ブーランジュという家名は名乗ったが、それがなにを示すかを話さないあたり、この人物にしても、何か色々と抱えているのだろう。大きな変化、それに対応するために王都に残るわけでもなく、こうしてトモエとオユキの監督を行う事を選ぶほどに。
「オユキ様、この場では率直にすぎる言葉を許して頂けるものでしょうか。」
イマノルが、これまでで初めてみるほどに思い詰めた様子で、そう切り出す。
「席についている顔、それを変えることは出来ません。それでも良いのであれば。」
イマノルの求めに応じて、アベルとアイリスに席を離れろというのはオユキにも難しい。カナリアについては、望めば叶うものだろうが。
そのカナリア本人も、興味半分、申し訳なさ半分といった様子ではある。
「いえ、意見を頂けるのであれば、どなたからでも有難く。」
「であれば、如何様にでも。私にしても、こういった席に対する不慣れが有ります。この場の事は、この場だけ。」
「では、お言葉に甘えまして。」
そう言ったイマノルが、体勢を崩す。
これまでのように、背もたれの無い長椅子、それにまるで背もたれがあるかのような芯の通った姿勢では無く、机に腕を置き、それに体重を預けた上で。顔も、すっかりと下を向き、表情を伺う事が出来ないほどに。
「いつか、それを考えた事はあります。それこそ、はっきりとした形のない物でしたが。」
以前聞いた幼い約束、その先の関係。それが成就した。あまりに唐突に。
その結果、戸惑っているのはクララだけでは無く、この青年もであるらしい。微笑ましいと、そう言う事も出来はするが、時間が解決するのを待つ余裕が無いのが現状でもある。それこそ放って置き、万が一亀裂が生まれでもすれば、取り持ったオユキに何某かが起こらないとも限らないのだから。
「その、休日、その概念はこちらでもあるようですから。」
「ああ。対象が必ず一所にいてくれるなら、私だけでも事足りはする。」
「ご配慮は、有難く。しかし、休日が得られたとして、何をすれば。」
「いえ、まずは二人で話し合えばいいのではないかと。」
今はメイを信じるしかない物ではあるが、そちらではクララに対してアドバイス。恐らくイマノルと同じような苦悩を抱えるそれを聞いてくれている事ではあろう。メイの経験、知識については疑問を持たざるを得ないが、少なくとも教育を正しく受けた淑女としての助言はなされているものだろうと。
「話し合い、ですか。」
「はい。職務から離れた、家からも離れたイマノルさんとクララさん。そのお二人として、今後目指す、こうありたいとそう思う姿を話せばよいのではと。」
トモエの助言に、オユキとしてはわずかに気恥ずかしさを覚える物ではあるが、そう言うものだというしかない。また、経験から出来る助言など、それしかない。
「勿論、ラスト子爵家の家督を継ぐイマノルさんとして、繋ぎとなるのでしょうが、レジス侯爵家の子息として、新しい領を得る立場として。考えなければならない事は多いのでしょうが。」
「はい。父から、内々にですが相談を受けています。」
そして、イマノルは顔を上げぬまま、大きく息を吐いたうえで続ける。
「武家としての家と、領を管理する家、それを分けることは出来ないのかと。」
「これまでは、王都の法衣だったのですか。」
「はい。しかしマリーア公からは領を頂く事に。」
そして、その流れが生まれたのであれば、トモエが示したことが立ちはだかる。武家、流派。その始まりに不足がある。そして、武家としての、これまでの正当を求めるのなら、そちらに時間を使わなければならない。領の管理などしている時間は無い。それも、新しい教会、他国との窓口となる、そんな忙しい領の管理など。
常の事と、それらしく振舞っていたイマノルではあるが、悩みはこちらも想像以上に深い物であるらしい。
「しかし、それは流石に動かせんぞ。」
元上司からは、窘める言葉が飛ぶ。
下手にそこで無理を行えば、異邦と異国の巫女が、この国であまりに好き勝手を行った、その印象が強くなりすぎる。事実ではあるのだが、それそうしないのが政治であり、交渉であるのだから。実際の所、既に王都にいる間に纏まった話でもあるはずだ。
レジス侯爵、ラスト子爵、その家を手放すことになったそれぞれの家が、忠誠を得るのに足らぬ。そう判断されないだけの補填がなされた結果として。
「はい。その前提は私も理解しています。」
「言い訳になれば、そう考えた上での事ではありましたが。」
「大いに助けになったと、そう聞いています。しかし。」
巫女の助けを得て、直々に神から認められた関係。その扱い。それに対してまたぞろ懸念もあるものであるらしい。
「それこそ、新しい門出として、二人でとそうできないのだろうか。」
「それには、私たちにあまりに不足が。」
「いや、すまない。先ほど私がそう言ったのだったな。」
新しい在りかととして、王家からの補佐が必要だとアベルがすでに判断したのだ。それを蒸し返す形になったことを、直ぐに謝罪する。
「兄、次期レジス候を蔑ろにも出来ません。父も健在ですし。元々の約束は、私が次期ラスト子爵、それもあるのです。」
「それこそ、先に上がったように共同統治というのは。」
「そうなると、必要以上にリース伯に。」
元々リース伯爵に与えられる予定であった土地、それを削る形になっていることもある。二家分の土地をさらにとなると、気が引ける物であるらしい。
「そちらを鍛錬の場とは出来ないのでしょうか。」
オユキとアベルが、思考の袋小路に陥った時に、トモエからそう声が上がる。
「鍛錬の場、ですか。それは特区としてという事でしょうか。」
「はい。」
トモエの意見、それの意味するところをオユキが確認すれば、軽い頷きと共に返ってくる。
「今アベルさんもそうですが、こちらの不足ばかりを考えていますが、魔国もそうでしょう。互いにわからぬ事ばかり、初めての事ばかりが起こる場です。ならば全てを揃えて、そうするのではなく。」
「しかし、神国として。」
「他国と交流が生まれる場、そこにこちらの国の理屈ばかり持ち込む、それは先方に対する配慮として正しい物でしょうか。移民、それがどれほどの問題を起こすかは私も理解しています。しかしそうならないとしても、何処か混ざった、そう言った文化が独自に発生する場になると思いますよ。」
それは異邦の歴史として。
文化が交わる場所、それは古来独特の、新しいものが生まれる場となった物だ。
「トモエさんの言わんとすることも分かります。彼の国、魔術と魔道具が大いに発展した国、しかし奇跡が薄い国でもあります。」
「カナリア殿は、そうか、魔術師でしたか。」
「はい。あちらでその号を得たので、皆様よりは詳しいかと思います。やはりこちらとは、大きく気風が違いますから。」
「魔術師ギルド、それが有るのにですか。」
「ギルドは国の組織ですから。」
そして、カナリアが歪な表情を浮かべる。彼女にしても、こちらの国に流れて来る。自身の種族が集まる場を離れ、そこからさらにと、そうする理由があったのだろう。魔術だけではなく、奇跡を身に着けた人物でもあるのだから。
「その、お話を聞いている限りですと、橋を作ったとして、そこでは国の方々、直接移動できる人々、それ以外となるのでしょう。」
「それは、間違いないと思うが。」
「そうなると、交流する人々は国同士、その理解がある人だけとは限らないのでは。」
「カナリアさんの懸念も理解、形だけですが、出来る物です。しかし実際には、先の事でしょうから。」
それについては、それこそ準備期間があるはずだというオユキの言葉は、しかし疑念のまなざしをもって受け止められた。