第397話 久方の
「何とも、流石に周囲のそれに当てられそうですね。」
「ミズキリの思惑通り、それが少し癪に障りもしますが。」
「良いように使われていますものね。あちらも、同等以上の面倒はあるわけですが。」
「お互いに目的の為、それではありますから。」
今日の式次第については、万が一もあり、前日、急遽ではあるが変更を頼むことになった。アベルとの一戦、その疲労を考えたときに、この後の式をオユキが執り行えるか分からない、それがあったからだ。
勿論、王家からは難色を示されたが、神殿、教会から強い後押しもあったため受け入れられている。最低限とはするし、それが叶わぬなら癒しの奇跡もあるからと。
そもそも、この舞台はアイリスの、その前ハヤトから連なる望みの結果ではある。しかし、今となっては神の名のもとに行われる。そこで次があるからと手を抜く、戦いに全力を尽くさぬ。それをかの神が喜ぶものかと。戦と武技、その名を冠する司祭から、不思議な圧と共に告げられれば、誰が異を唱えられるものでもない。
儀典官から、水と癒しの司教と司祭に、くれぐれも速やかな回復を、等と言われてはいたが。勝利の栄誉は、ただ一人だけに。つまり今日の試合は、トモエとオユキだけ。
「騎士様方に比べれば、当流派は地味だと思うのですが。」
「それでも、感じる物はあるのでしょう。」
かつてのオユキが、目を奪われたように。
「こうなるのであれば、そうも思います。しかし今ある物を使う、それが。」
「ええ。不安はあります。ですが不満はありません。」
「その意気やよし。久しぶりの立ち合いではありますが。皆伝、月代榛花。今はトモエ。」
「敵わぬと分かっていても届かせる、私は流派の理念を確かにそう習っています。大目録、月代典仁。今はオユキ。」
かつての名前を名乗るのは随分と久しぶりに感じる。忘れてはいない、だがそれでも名乗れば違和感を覚える物だ。作用があったのは分かっているのだが、相も変わらず不思議な物だ。
トモエが旧姓を名乗らなかったのは、技をすべて伝えた、その時に合わせてなのだろうか。
ただ、なんにせよ、名乗れば始まる。
トモエは常と変わらぬ構え。オユキは悩みはしたが、結局は最も馴染んでいる構え。
「背丈に差がある時は、上段の意味は薄くなる。そう伝えたかと思いますが。」
「ええ。覚えていますとも。」
オユキとしては、常々不思議を感じる。既に周囲からは色が薄れ、景色もどこか遠い。オユキ自身とトモエだけが色がついている。外の音は聞こえないのに、やけにはっきりと、相手の言葉が聞こえる。
理屈としては集中力、その発露の形態であるらしい。オユキはこれだが、トモエは違う。
トモエとて集中はしているが、未だにトモエの極限に至っていない。
「では。」
「参ります。」
初手は、どうしたところでオユキから。
同じ土俵で戦えば、結果などわかり切っている。そして、アイリスがされたように、目元を狙って放たれる鉄菱はトモエの考える手前で体を沈め、額で受ける。正確に目を狙う。それが分かっているなら、やりようはある。無傷で、そんな事が出来る相手ではない。オユキが一太刀を届けるなら、いくらでも必要経費を払わなければならない。
所詮は軽い鉄の塊。尖って部分が額を割くが、その程度。手前で振り切り、沈めた体。その反動ですぐさま切り返す。狙うのはまずはトモエの手に持つ大太刀。
「成程。」
かつてとは違い、今はオユキの方が背が低い。つまり以前されたことを、オユキが行えるという者だ。
「ですが。」
「ええ、そうでしょうとも。」
それに対してトモエは上から抑え、その先に運ぼうとする。対するオユキは、片手に持ち替えて肩を入れ、肘を回し平突きを。合わせて、トモエと同じ暗器。唯一気に入った寸鉄を打つ。
狙いは過たず、確かにトモエの目に向かう。そして、突きにしても体勢はオユキが有利。ここから先を望もうが鍔で触れた太刀は捕らえられる。
そして、そこまで来た段階で、トモエから表情が抜ける。向こうも、ようやくオユキをただ敵と認識して、集中が深まったらしい。
そして、こうなると、魔剣、妖刀、そう呼ばれるものが何故存在したかが実によくわかる。
以前話した時に聞いた覚えがある。この場に至れば、トモエにとっては自分自身というのは手に持つそれなのだ。体は、本来のそれは、ただ刀が行きたいように。そうするための道具でしかないのだと。
当たり前のように飛ぶ寸鉄を持った太刀で弾き、オユキの太刀は踏んでそのまま折る気配。ならばとトモエが利き手と逆に持つ、その為互いに広く空くオユキにとって左側、その空間に体と武器を逃がす。
そして、当たり前のように寸鉄を防ぐために振った太刀、その勢いのままに持ち替えられたそれが振り下ろされる。
オユキの選択は、単純だ。近づかなければ勝てないのだ。己の得意な間合いはかつてと逆。
そう、どこまで行っても、これで、習い覚えた物で相対するのであれば、オユキはトモエの背を追いかけなければならない。だからこそ、トモエにとって既知のそれ。楽しめないだろう、その理合いでは無い道を選んだ。
隣に立つ、そのはずの相手がただ己の背を追うだけ、そのような落胆は与えられない。それがオユキとしての矜持だ。
「トモエさんが、そうできる。その程度は楽しませてあげられているのでしょう。」
だからこそ、その先を。
振り下ろされる太刀は、片手によるもの。ならば両手を使えばオユキでも逸らせる。しかしそれをすれば空いた手、足、それを使って当身が放たれるだけ。
しかしそれでもと、次につながる手として、トモエとは違う時間の流れを感じられる身として。
未だに相手の機先を見て、そこから行われる行動、その可能性が幻として見えることは無い。だが、より長く、深く。相手がどう動くかは見る事が出来るからと。より深く、より長く。時間を引き延ばす。鼓動の音が随分と間を空け、己の中をどう血が流れるのか、それもぼんやりと分かるほど。
峰に手を当て、真っ向から受ける、そう見せながらも、足はトモエの足蹴りを避ける位置に。そしてその方向には、トモエの空いた手から既に鉄菱が放たれている。相手が先にどう動くのか、その可能性を経験として見る。それができるからこその芸当ではあるが、ならばただオユキは己として向き合うだけだ。足蹴りは体を捩じり、躱す。振り下ろされた太刀は、両手で己の太刀を回し、逸らす。投げられた物は、その時に角度を合わせて弾く。これで、ようやくトモエの側面に、オユキの間合いで。そう思った矢先に、トモエがすぐに持ち手を変えて、変則の刺突をオユキに。大太刀を逆手に持ち、足を下ろすついでにとばかりに、オユキの肩を狙って突き込まれる。振り下ろしを逸らした結果として、オユキの太刀の下に潜り込んだトモエの太刀は、オユキの行動を十二分に制限する。
横に抜ける事に腐心したこともあり、体勢が悪い。ただそれでもと、両手で抑えつつ、トモエが空を回す勢いに併せて跳び、そこから逃れる。
その結果として、オユキは軽く離れ、トモエの背後とまではいかないが都合のいい位置に。跳ね上げられた太刀、それを無理やりねじ伏せて、体ごと、突っ込む様に一太刀を。
それに対するトモエの対処は、単純だ。突きを放った勢い、オユキを弾いた勢いで体を回し、正面にとらえようとしながらも、既にその勢いで、オユキに向けて刀は打ちだされている。どういう理屈か、まっすぐにオユキの顔を狙うそれ。頬を割かれるのにも構わず、ただ首を傾けて避ける。これで無手。しかし、まだできる事はある。ただ、それをするには体勢が悪いはずだったというのに。
「今回は、私が。有利も多いですからね。」
首を傾けた。重心がずれた。その結果として刀を投げて、空いた手がオユキの太刀に添えられている。そして、手首を狙って蹴りが。
「無刀取にだって変形はありますよ。」
「ええ、予想は付きますとも。」
だからこそオユキも刀を投げる。トモエに触れられて制御できる、そんな事は不可能だからと。
ならばとばかりに空いた手で、振り上げられた足、それを片手で向きを変え。この衣装だからこそ、懐に入れているもう一つの武器に手を伸ばす。
脇差は無くとも、懐刀はある。しかしそれすらもトモエには読まれていたようで、足を払うための手は空を切り、上げられた足、触れた手で、既に太刀は整う方向に回っている。
そして、オユキの踏み込みを妨げようと、そのまま踵が下ろされる。さらに体を捩じり、足を滑らせ。そこを回り込む様に。だがそれは失敗なのだ。その方向はトモエの正面だ。そして、向きが整った太刀が、どこまでも遅く流れる時間の中、あり得ぬ速度で走る。過たず、オユキの喉を貫こうと。
「内伝、稲妻。」
そして、オユキは間に合わない。だから、それで決着となる。トモエとて、止めるのは間に合わない。だからこそこれまでオユキ相手に使わなかったのだろう。だがこの場は、そうでは無いのだ。間に合わなくとも構わない。神の奇跡が満ちていて、真摯に向き合い、その結果であるならば。
「過去、その未練。私にもあります。もしもこれらを選べたならと。」
トモエの言葉は分かりやすい。過去オユキが取った試合。それに対してこういった、確実に相手が死ぬ。その返し技を選べたなら。それを考えずにはいられないのだろう。事実使えるのだから。
それに対して、オユキは何か言葉を返そうと思うのだが、生憎と口からも生臭く暖かい物があふれるため、言葉が出ない。ただ、微笑んで、目に力を乗せてトモエを見る。
ならば、こちらでは。それも含めた上で。言い訳の無い中で必ずやと。