第381話 シグルド
「御言葉、確かにこの胸に刻みました。巫女様。今は届かぬ、拙い身ではありますが、いつかの時には必ずや。」
「ええ、御身だけでなく私どもも道を探す、その先を求める、未だそのような身です。」
「しかし、であればこそ。」
さて、この否定はオユキの予測の範疇ではあるが。
「愚息の振る舞い、その始末を。」
異邦の身、それだけであればまだしも。言葉を届ける事すらできる。
「その心は理解します、ですから、互いの教えを受けた物。それが向き合う機会を頂ければと。」
その結果として過激な物が飛び出てしまう前に、オユキは別の案を口にする。
過日、オユキが口をふさいだとはいえ、本人とアベルに明言された事が有る。そして、それを否定した立場として、シグルドは機会を求めていた。
始まりはつまりそれ、互いの過失なのだ。ならば私的な場で。公の場に持ち出すような事でもないからと。
「勿論、その他の補填については、私どもが現在庇護を頼んでいるマリーア公と。」
「畏まりました。巫女様。しかし御身らがこちらに訪れて、未だ半年にも満たぬと。」
「私は、その名を得たからこそ信じていますから。結果はともかく、この道、それの先。過去が捨てたものが、どれほどなのかを。」
そう、トモエの指導をオユキはただ信じている。少年たちがそれに正面から向き合う姿勢も一応は。武、事それにおいてはオユキの判断はトモエの指導に依る。少年たちの性根を好ましく思ったところで、その分野については、トモエの判断がこうであるから、それ以上の物はない。
トモエが褒めている、好ましく思っている。だから彼らの能力は、そうなのであろうと。以前にも少年たちに語ったが、心構え他流派、物理学。それをオユキが語る事はあったとして、それ以上は決してない。
そして、それだけの差が存在するのだ、トモエとオユキの間に。
「これから、これからですか。」
「レジス候。この変革期、我らは過去切り捨てた、今は出来ぬとそうした物、それに向き合わねばならぬ。」
「変革期、触りしか聞いていませんでしたが。」
「おおよそ、この世界全て、それを巻き込むのだ。誰も彼も当事者になる。そして、我らは導を。」
「ええ。それこそが務め。そういう事なのでしょう。」
さて、この場は一先ずこれで良し。オユキとしてはそうだが、回りはどうかと言えば、それはまた違う話になる。同じ巫女としてまた巻き込むのか、そのような視線もあれば厄介が増えた、そのような視線もある。事後者については、派閥、それにしてもその上のくくりとなるのだから、言いたいことも分からないでもないのだが。
それこそ迂闊をした人物に。オユキとしてはそれ以上の言葉はない。本人もそれを望んでいるのだ。イマノルとトモエについては、もはや決着を見ている。そして、現状を見ても覆る、そのような物では無い。だから。
それらを込めて、オユキがトモエを見れば、そちらにもその腹積もりは合った様で、話を始める。
「さて、シグルド君。以前機会が有ればと言っていましたが。」
「いや、それはそうだけど。無理にってのは、なんかさ。」
「では、イマノル様は。」
「様はいいですよ。」
トモエが話しを向けたイマノルは、僅かに考えるそぶりを見せて、それからシグルドに向かい合う。
「正直、結果は分かっています。貴方が望む、その形であれば。」
「あー、まぁ、そりゃな。」
「ですが、教えを受けた。貴方にとっては礼を欠くものでしょうが、トモエさん、オユキさんが、時間を使った。その結果のあなたには興味があるのも事実。」
そう。人によっては、それをどうとるかなどわかりはしない。
教えを受けた相手、その評価を自身を通してされるのを、己を見ていないと激高してもいいのだ。侮ったと。ただ、彼らはそうではない。
「それは、ちょっとやめて欲しいな。弟子を名乗る許可ももらえてねーし。」
だから彼が断わるのは、その理由ではない。
「ええ。分かっていますとも。あくまで、それを受けたシグルド君として。」
「ま、ならいいさ。それと、改めて、悪かったとは思ってないけど、オユキが止めてなければ、その場の勢いで、良くない事を言った。」
「団長の言葉を、改めて。そうでない、それを示すのであれば。」
「ああ。だから、機会があるなら。今だ。勝てるとは思わないけど、俺が、あんちゃんとオユキから、教会で。」
未だ幼い、そう呼んでもいい年頃ではある。しかし、確かな矜持が胸にある。
「その、そういった意味で、付き合わせて悪いなとは、思ってる。」
「いえ。それを受け止めるのも年長の、元騎士としての矜持、それですから。勿論、こちらでも学べる事が有ります。」
そして、次代の対峙が決まる。
「あー、あんちゃん、悪いけど。」
「ええ、流派の名乗りの許可を上げられはしません。だから、思うように。」
「今できる事、その全部はやるさ。」
「良い覚悟です。」
シグルドの断りは、イマノルと距離を取って相対すれば、実にわかりやすい。
これまで散々教え、日常としている物とは違う。まだ形しか教えていない、それにしても見せただけ。八双それを構えとして選んでいるのだから。
オユキとしては若干の気恥ずかしさはあるが、トモエは実に楽し気にそれを眺める。
それだけ、彼にとっては印象深い、イマノルとのトモエが見た決着その後の出来事、だったのであろう。対するイマノルも、実に楽し気ではある。
「レジス侯爵家、第二子息、白山槍蔵院小目録、イマノル・ルブラン・レジス。」
「名乗りはまだなくて悪いけどさ。始まりの町の教会、今はただのシグルド。」
見極めは、トモエが出ることは出来ないため、引き続きアベルが。
互いに開けた間合いは槍に向けた物。シグルドにとっては遠い間合い。そこに開始の声が響く。
立ち合い、その始まりの形がそれだからだろう。イマノルは、かつてシグルドがそうしたように。
試すように、型として。しかし緩やかな突きを放つ。対して、シグルドもかつてオユキがそうしたように、拙く、色々と足りてはいない、構えの理解も、理合いも足りない、しかし突きよりも遥かに早く。
トモエが表層だけを伝えた理、それを彼なりにとして、槍をへし折るための一刀を繰り出す。
イマノルは、それに対して速度を上げ、槍を回し、それをいなす。シグルドはそれを感じて、すぐに動きを変える。位置は正しく晴眼ではないが、気合を込めた叫びと共に、更に踏み出し槍の間合いの内に。そして、後はこれまで散々振り続けてきた、素振りの形と同じままに。切り返し、振り上げ、振り下ろす。
しかし、そこには根本的な能力差が存在する。イマノルにとっては、余裕がある動作。経験と鍛錬が作る余白が存在する。それに対しては、回す槍をそのままに、石突で払えば済むのだ。
力比べ、技で制するにはシグルドでは足りない。それがただそこに存在する。
そして、それを散々に思い知っているシグルドはどうするか。回された槍、それがシグルドの両手剣に触れれば、それに逆らわず、ただ片手を放し、更に体をイマノルに向かって捩じ込む。離した手を握り、ただイマノルに届けるためにと。
それを剣で、得た技術、教えを捨てたと評するものもいるのだろう。ただ、勝つための努力として正しい。そしてそのためにトモエの収めた流派はある。
いまだ教えるに及んではいないが、それも選択肢でしかない。勿論、相手の為すがままにされる両手剣、その始末などには言いたいこともあるし、そうであるならやるべきこともあるのだが。
そして、そこで、アベルの制止が入る。シグルドの拳が、確かにイマノルの胸部、その端を打ったところで。
回した槍はその動きを確かに遂げ、穂先は既にシグルドの喉元に迫っている。そして、未だにあて身を正しく習わず、習ったとして覆すには至らない現実がそこにはある。
「やっぱ、騎士様って強いよなぁ。」
「ええ、体を鍛える、重装鎧を着て日々行った事、それが確かに身についていますから。」
狙いはずれている。急所ではない。それを差し引いても崩れた体制、拙い動きではシグルドの拳はイマノルにあたったところで何があるわけでもない。
これで少しでも体勢を崩し、若しくは突飛ばせているのであれば、決着も変わったのだが。
「しかし、確かに届きました。シグルド君。あらゆる魔物を払う。民に届けぬ。元とは言え一時はそれであった身に、確かに君の拳は届きましたよ。」
「ほんとは、もしあんちゃんかオユキと闘技大会で当たったらやるつもりだったけどさ。」
「お二人であれば、これでは届かないでしょうね。」
「ま、だよな。にしても。」
そうして、シグルドが改めてイマノルと距離を取って、剣を納める。
「あの時は、悪かった。自分よりも強い、でも勝ちたい。そう考えたら。」
「いいえ。あの言葉はやはり正しかったのでしょう。こうしてトモエさんだけでなく、シグルド君の拳も届いたのですから。」
「今はまだ届いただけ、だからな。」
「次は、届かせる気もありませんよ。」
「次はこれだけじゃないさ。」
こうして少年の抱えた、一つの物が終わったのは良しとして。さてこの結果を見て、更に深刻さを増したレジス侯爵、その始末をつけるのはやはり自分の仕事。そう思うと気が重いオユキではある。
ただ、まぁ。今は良く戦い、勝利を収めた相手にと、手をたたく。以前と異なり、力だけで場を納めず、確かな研鑽、以前無かったそれを覗かせる事で、勝利を得た者に祝福をと。




