第364話 前夜祭
オユキとトモエにしてみれば実に慣れたものではある。子供の時分、場の空気にあてられやすい、そう言った子供が実に多い。
それが祭りの喧騒、そのただなかに放り込まれればどうなるか、身に染みてわかっている。
「あ、ほら、オユキちゃん、あれ。あれ、美味しそうじゃない。」
「ええ。そうですね。でもまずは手に持っているものを、食べてからにしましょうね。」
「お、なんだあれ、珍しい形の武器っぽいけど。
「確かにこのあたりでは見ませんね。蔵出しという事でしょうか。」
生誕祭、いつ告知がなされたのかは、生憎と知ることは無いのだが。明日に控えたそれに、一足早く盛り上がっている人々の中、それぞれに子供たちに引き摺り回されながら、歩き回る。
「あ、アイリスさん、あれ、あれ。」
「だから尻尾を掴むのは。あら、懐かしい。」
そして、先日以来、何やら子供たちに懐かれたアイリスも存分に巻き込まれている。
アベルが渦中にいないのは護衛の責任者として、この状況に対応しなければならない、それもあるのだろう。出発してからという物の、馬車で移動する際も外をついて来る等、その対応は涙ぐましいものだ。
「へー、こんなのもあるんだな。」
「当流派ではいよいよ使いませんが、刀身のこういった溝ですね、そこに毒を流す、そう言った扱い方です。」
「毒かー。」
「有用ではありますが、まずあてなければならない。そしてあてられるなら致命とする。理念としては共通してるのですが。」
「まぁ、確かに切れば深手、そうであるならわざわざと、そういう物か。」
トモエの方は少年たちを引き連れて、出店、これまでメルカドでもなければ見なかった形式だが、通りのあちこちに出ているそれを冷かしている。オユキはオユキで、色々と、出店に並ぶ食べ物。特に甘い香りのする場所へと連れ回されているが。
「わ、何だろ、あれ。スープみたいに煮込んでるのに、甘い匂い。」
「ああ、アロスコンレチェ、でしょうか。他にもカスタードの様な香りもしますが。」
「わ、美味しそう。」
「その、煮込んでいるのを見ればわかるかと思いますが、熱いですからね。それと先に手に持っているものを。」
少女たちにしても、既に各々飴であったり、串に刺した果物に飴を掛けたものであったり、手に持っている。流石にそこに暖かいデザートを入れた器など持てる物でもないだろう。
少年たちにしても、出店を冷かしながらも、手にはしっかりと串焼きであったりを握りこんでいる。
外周区にほど近いこの場所では、流石に為替は利用できないが、だからこそ安価な、祭り、祝い事、そのために薄利多売であるだろう商品が多数並んでいる。そして、これまでの子供たちの得た戦いの対価というのは、それを楽しむには十分すぎるほどの物なのだ。
「ね、ね。アイリスさんこれって何なんですか。」
「仮面の類ね。こちらでは聞かないけれど、祭りの時に祖霊の役を得た人が付けたりするわね。」
「えっと。」
「何と言えばいいのかしら、巫女が着る衣装、それを真似した物が近いのかしら。後はそういった由来であるから、飾ったりと、色々あるわね。」
「えっと。」
アイリスは異国、彼女の国から来たものかは流石にオユキにしてもトモエにしても確認できないため分からないが、そう言った物の説明をしているようである。
身形にしても、オユキと違って色々と気をつかう性質であるらしく、装飾にも詳しいのは見て取れるのだ。オユキはその辺りは完全にトモエに投げている。今日に関しては、赴く場所も場所であるからと、普段の楽な格好をしてきてはいるが、それこそ正装については、公爵家の使用人の手によるものでもある。
そうして、それぞれが興味を持つもの、門の出入り口に比べれば、まだ問題が無いとそう判断できる場所を冷かして回る。
「あ、これ美味しい。なんだろ、牛乳と。」
「以前頂いたパエリヤ、あれに使われていたのと同じ穀物ですよ。」
「へー。こうやって食べたりもするんだ。」
「麦にしても、色々ありますから。それにしても、焼き菓子の類をあまり見ませんね。」
「それは、水と癒しの女神様の神殿があるからかな。やっぱり皆水を使った物を作りたいだろうし。」
「そういった理由ですか。確かにそうであるなとも思いますが。今回については月と安息へと、そうなっていたかと。」
言われてしまえば、確かにその理由は納得がいくものなのだが、今回は主として別の柱へ。そうオユキとしては聞いていた。ただそうなると、いよいよ想像がつくものではないが。異邦の知識を元にというのであれば、それこそ餡を包んだ焼き菓子くらいしか思いつきはしないが。
「そのあたりは、どうなんだろう。一応月と安息の女神様が好きな物は、果物が多いから。」
「ああ、以前いくらかお供えさせて頂きましたね。お酒もお好みのようですし。」
「うん。今後は分からないけど、これまでは、こう、果物を綺麗に盛り付けたり、切ったりとか。」
どうやらフルーツカービングなどをして、それを供えたり、売っていたりした様だ。
「果物が主体となると、それこそジャム、メルメラダでしたか、などは。」
「そうしちゃうと、神様の好みもいろいろ変わるみたいで。」
そう言えばそのような話だったと、オユキも思い出す。一応そういった物はあるのだろうが、思えばこちらに来てから見かけていない。
時期になれば、いくらでも。それこそ魔術で季節関係なくという事も出来る、そういった事があり、保存食の需要が低いのかもしれない。砂糖も高額な物ではあるし。
そのような話をしながらも、勿論保護者もそれぞれ、思い思いのものに興味を向けている。その結果としてこのように分かれて言ったというのもあるが。
他の人々、以前の物に比べれば、まだ余裕はあるが、それでも何も考えずに歩けば、見知らぬ相手に体が当たるだろう。その程度の人出の中で、場の空気、それを主体に楽しむ。そうした無軌道を護衛している人々に申し訳なさは覚えるのだが。
「ファルコも来れりゃよかったけどな。」
「昨日の事もあって難しいようでしたから。」
そして、今この場にファルコはいない。
トモエはそう濁してはいるが、実際のところは彼の祖父、マリーア公爵その人の手伝いに今頃奔走しているだろう。メイに至っては明日の主役の一人だ。今頃は王城で最終確認のために、それこそ予定が長蛇の列を作っているだろう。
祭り、賑やかな場。それを作るためには実に多くの人が働いているものだ。だからこそ、その場を用意してくれた相手に遠慮などせずに、楽しむ物ではある。その感謝は、それこそ別の場で。
「お、これ、結構好きだな。」
「ああ、ケサディーヤですか。中身はそれこそ色々あるので、自分たちで色々試すのも面白いですよ。」
「へー。でも、サルサ迄俺らでって言うのは。」
「確かに、量を作るほうが美味しくなりますね。」
「あれってなんでなんだろうな。教会から出て、自分らで同じように作っても、今一つなんだよな。」
「熱容量という言葉もありますが、端的に言えば余熱で調理が進むことと、全体としてみたときに、加熱が穏やかに進む為、ですね。」
「む、きちんと理由があるのか。」
古来錬金術、のちに化学に発展したそれは台所から始まった。それが存分に感じられる話をトモエが始め、早々についていけなくなった少年たちが、それでもどうにか消化しようと、美味しいと言っていた食事をもそもそと食べながら聞いている。なんと言えばいいのか、流石にコラーゲンの熱変性というのは過剰の知識だと思うのだが。
「なんか、またトモエさんが難しい話してるね。」
「オユキちゃんは、分かるの。」
「多少分野は違いますが、ええ、理解できる範囲ではあります。」
「へー。」
さて、気のない返事が返ってくるものだが、料理というのは実際非常にそれらと密接なのだ。台所などと言う狭い空間で、実に多くの無機物、有機物を合成し、抽出し、反応させる。その全てを正しく解析し、既述したとしたら、それこそ愉快な分量になるだろう。
「ただ、こちらでと考えると、他の要因も多そうなんですよね。」
「そっか、異邦とはいろいろ違うんだっけ。」
「はい、先ごろ食事でとるべきものの違いをアベルさんに聞いたこともありますから。」
ただ、どうであろうか。それこそゲームとなっていたときに数多のプレイヤーが挑み結果を一握りが残していた。それを思えば、現実の技術も確かに生かすことができるのだろうが。
「えっと、オユキちゃん。」
「そもそも魔術、理外の法則があり、それが大気に満ちているわけですから、当然他の自然物に影響を与えないかどうか、そこから始めなければ、と言う事でしょうね。」
「あ、ほらほら、オユキちゃんあそこ。なんか珍しいの売ってるよ。果物みたいだけど、なんか違うよ。白一色だし。」
「おや、以前話したマサパンがあれですね。その、半分ほど砂糖や蜂蜜ですから、かなり甘いですよ。」
少し思考に意識を引っ張られそうになったが、手を引かれる感触と、掛けられる声で切り替える。
「えっと、保存食、何でしたっけ。」
「はい、ただ、始まりの町までとなると、ああいった精緻な物は。それにしても、こちらではやはり食品への着色は行っていませんか。」
「え。食べ物に色を塗るの。」
「ええ、色々と手法はありますよ。以前こう、クリームの上にパリっとした部分があったのは覚えていますか。」
「あー、そう言えばあったね。感触が面白かったけど、ちょっと苦くて好きじゃなかったかも。」
そうして、ワイワイと話をしながら、祭りの中色々と冷やかし、手土産を買い込みながらも歩いていく。さて、場にあてられて過剰にはしゃいでいる子供たち。普段の鍛錬もあるから体力はあるのだろうが、それが尽きる前には戻らなければならないだろう。