第360話 交渉
そこまで話して王妃がカップから手を離す。どうやら本題が始まるらしい。
こういったサイン、暗に示すしぐさというのは、状況によって違いが多い。こちらに来て、そういう物だと。覚える事が非常に多いものだ。今の段階では、王妃にしても分かりやすいものを選んでくれているが。
扇迄使ってとなると、オユキにとってはあまりに埒外の事が多すぎる。少なくとも生前には扇子を使う手合いなど、どう言えばいいのか。少々がさつな、若しくはやたらと古風な相手が多かったのだから。
基本的にオユキの任された場というのが、国内ではなかったからというのもあるかもしれないが。
「オユキは、公爵家に仕える、そう内々に話が進んでいるとか。」
まぁ、昨夜の今朝だ。最も分かりやすい目的はそれだろう。加えて二人いるのだ。分けても構わない。そういった意識が働くのも分かる。
トモエとオユキが一緒にいるからと、仕える先が同じでなければならない。その理由は、こちらの地理条件を考えればあるにはあるが、どうにか出来ない事も無い。
そもそも国営の組織が、きちんと各拠点に存在しているのだ。
「はい。有難くもこれまでを公爵様にお認め頂き、お誘いを。」
「二人そろってですか。」
「はい。創造神様より、二人で共に、それをお認め頂き、功績を授けられた身でもあります。」
では、ここからが本番だ。何やら場に流れるあまり良くない、これはこれで楽しいものだがそういった空気を感じて少女二人が身を固くしている。それこそ慣れてもらう他ない。
今後メイに仕える、騎士団としてどこかの領に仕える。そうであれば、必須の技能でもある。
「今回、ラスト子爵第2子女に対して、あまり褒められた物では無い誘いをしたと聞いています。貴女とて年ごろ。今後そういった粗忽があるのは、不安ではないかしら。」
「そちらについては、既に公爵夫人が。今もそのとりなしのために、骨を折って頂いている様子ですから。」
どうやら、そう言った形での交渉がお望みらしい。
「以前、王太子様のご尊顔を拝する栄誉を得た折に、トモエに相手をと、そういった話が直接ありました。勿論立場のある御方です。その言葉の意図は、私とて理解をしますが。」
だから、それに対しては公爵夫人は既に対応を行っているのだが、王太子のその失言。それに対しては未だに何もないのだぞと、そう返す。
「あの子は、まったく。良いでしょう。そちらについては、私が考えておきましょう。」
「先にも申し上げましたが、現在の状況、それを伝えた身としては、理解がありますから。」
「しかしそういった物は、今後も増えるでしょうね。」
さて、一つの瑕疵。それは既に相殺された。実際にそうなるのは謝礼の品なりなんなりを受け取ってからにはなるが。
「ええ、その不安は私共にも。だからこそ姿を隠す。そう話しが進んでいますから。」
「それは、巫女だけでしょう。今のままであれば、勿論それとは関係なく、そういう者も増えるでしょう。」
王妃の手札は実に最も。彼女自身そうしているのだから、経験の差は確かにあり、実際の知識にしても。ただ、別の経験で押し返せる。なにもこちらばかりではない。すぐそばで散々にミズキリが頭を抱えるさまを見てきたのだから。
「それについては、対応を行ってくださるのは公爵様ですから。」
其処を超えられるのは、貴女方でしょう。そしてオユキはただ微笑む。何のために相手を選んだとお思いかと。
「残りの家との調整もあります。」
「ええ、そちらについてはご迷惑をおかけすると、勿論そう考えています。それは公爵様も。」
確か、いくつか、以前聞いた覚えはあるが、オユキはすぐに数が思い出せないが、公爵、その位を持つ家はあったはずだ。其処との力関係が大いに崩れるのは、確かにそれを管理する側として好ましくない。その理屈はわかる。
「だからこそ、今回のように、祭りで失われる物、その補填に余念がなく。王家への忠誠、それを改めて示しておられるのでしょう。」
それに対しては、既に王都、そこで起きた問題に対して。公爵自身が身を切る形で、補助を始めている。
「そして、その姿勢に感じ入るからこそ、私たちも微力ではありますが。」
ただ、そちらについては公爵の手札であるため、オユキ達の行動、それとして返して置く。
恐らく、領都に戻る、それに合わせて他の資源を求めるのであろうし。昨日と今日で、勿論オユキ達が暴れた場所ではなく、他で行っていれば分からないが。その差を存分に押し出して、切り取りを図るだろう。
国、現体制の崩壊や分裂。それに対して何か手を入れると、そう神から聞いてはいるが、それはオユキのはかり知らぬ事でもある。領主、地域の管理者、それに興味はないのだから。代官という者が存在したとして、意思決定者は変わらない。所在を常に明らかにする必要があるとなれば、観光という最大目的の足を引っ張るだけでしかない。
「ええ、既に報告は上がってきています。民たちの楽しみ、それを十分なものとするために働きかけを行っていると。」
「助力、そうできているのであれば、私どもとしても幸いです。」
手ごろな手札は、一先ずこれで終わりだろう。後の物は下手に突けば神からの頼み事、それで返せるものでもある。
王太子が神に頭を下げていた、それを思えば王権神授、文字通りのそれは非常に重いものであろう。
「助力を頂いている中には、そちらの子たちも。」
だから、オユキが靡くつもりがない。それを示せば、そう流れるしかないだろう。何故王家、王都を避けるのか。それについてはトモエにとって、あまりに不便だから。それ以上の何物でもないのだ。そして、それは王族だからこそ解消することができない。最も都合が良い相手は、それこそリース伯にはなるのだが、そちらでは流石に格が足りない。オユキ達に対して、何か働きかけがあった時に断る、その格が。
「ああ、こちらのアドリアーナを始めとした始まりの町、そこからの者たちはリース伯爵令嬢とお約束が。ティファニア、領都の子供たちは、騎士を目指している、そう聞いています。」
「成程。」
王妃の視線がメイに向けられる。ただ、この場の主役は、建前上は彼女だが実際は違うため、そちらとの交渉が始まることは無い。今後はもちろん分からないが、それこそ伯爵が公爵に相談して、そうなるだろう。
そして、未だ浮いている相手に、王妃が視線を向ける。
なんというか。以前公爵が想像よりも見苦しい、そう評したのは覚えているが。
「ティファニア、あなた方は、騎士として仕える先は。」
「その、まだ決めていません。今はまだきちんと訓練を積んで、それから。アベルさんも色々教えてくれますから。」
「そうですか。では、甥に任せましょう。良く習うといいでしょう。」
成程、アベルという人物は、なかなか愉快な背景を持っていたらしい。そういった縁者であるなら、確かに公爵に対しても、王太子に対しても。頼られるのも、ああした振る舞いが許されるのもよくわかる。
ただ、王族が騎士かと、眩暈を覚えはするのだが。
「ええ、貴女の思うところも分かります。しかし止められない理由もありましたから。」
元上司、その来歴を初めて知ったらしいクララにしても、なかなか派手な音を立ててカップを戻したりもしている。
理由、恐らくそれには始まりの町、それも関わっているのだろう。
戦と武技の神、彼の神にも名前が、呼ぶべき神としての存在を示すそれ以外がある。しかし誰もそれを呼ぶことがない。他の巫女とは話をする機会に恵まれていないが、司教や司祭でも。
それで神を呼んだ事が有るのは、始まりの町。年齢不詳、400年以上もあ後のあの地の教会にいる、あの司教だけだ。それも、別の神、月と安息を祀っているにも拘らず。
アベル、ロザリア、アーサー。明らかに異常だ。あんな長閑な町に置く人材として。つまり、あそこには何かある、そういう事だろう。何があるのかは、想像もつかないが。
その辺りは、それこそ戻ったときに調べる必要があるだろう。ダンジョン、それにしても領都の方が、王都の方が都合がいい。だというのに、あの町から、始まりとそう呼ばれるあの場からとなったのだ。
「では、私からはあなた方が騎士として身を為す、その誓いが果たされるよう祈りを。」
「ありがとうございます、王妃様。必ず、私たちも町で暮らす人を守る。そんな人になってみせます。」
さて、約束としては、暗に示された事に対してはずれた答えではあるが。其処は仕方がない。そもそも間に合っていない、そんな相手に対して行う問いかけでもないのだから。
王妃から後で説明しておくようにと、そんな身振りが行われはするが、それこそアベルがどうにかするだろう。
公爵とどういった話を、なんだかんだと時間を取っている、その間にどういったやり取りをしているかは分からないが。今聞いたその背景があるのであれば、間違いなく何某かの働きかけを行っているだろう。
新人の教育、始まりの町。そのうちの幾人かは、そのまま王都にとなるのだろう。ついて直ぐにイマノルに手紙を出すなど、彼にしても隠すつもりもなく動いているようではある。
ただ、まぁ。そういった背景を聞くと、ミズキリと二人で国が割れるなどと、その可能性を示唆したのはまずかったかもしれない。そう考えはするが、直ぐに気が付く。
公爵は知らない、王太子は知っている。その理由がそれだと。
全く、あの友人はあの友人で、相も変わらず己の願い、良いとするもの。その場を作ることに実に余念なく、他人を観察しているらしい。