第351話 盤上遊戯
報告会も終わり、それぞれファルコは難しかっただろうが、公爵と伯爵が仕事へ戻る時間となれば、その場も解散となる。そうなれば、間食を楽しんだ子供たちと鍛錬を、そんな思考もよぎるが。
「流石に、こうなりますか。」
「ええ、では、お手数かけますが。」
すっかり夢の住人となった子供たち、少女達を使用人と少年たちが運んでいくのをただ見送る。
「ま、らしくて実に結構。」
「体力ですか、こちらに加護は働かないのでしょうか。」
少女たちを運ぶパウとシグルドにしても、受け答えに怪しいところはあったのだ。恐らく戻ってはこれまい。夕食までに起きてこれるかどうか、問題はそれだが。
「あー、何だったか。色々と説があるが、確かめようがない。」
「まぁ、今はファルコさんの優位と、そう喜んでおくのがいいでしょう。」
「それもそうですね。」
さて、では残った面々で何かをするのも構いはしないが、そう考えたトモエが席を立とうとするのをアベルに止められ、改めて5人程で席についている。
そして、その上には当たり前のように用意されたものが置かれている。
「ところで、これは。」
「ま、盤上演習を現状に合わせるためにってところだな。」
そうして、アベルが手早く灰色と緑の石、どちらも白い線が乱雑に入っているものを並べる。大きさが揃ってはいないが、色が別れているため、今の用途には十分だ。
「これが、まぁ、最後の局面だな。」
「ああ、成程。こうしてみると。先に下げるのは。」
「じゃ、どうするのが正解だったかは。」
「まず、両側の二人、こちらを一度前に出し、間隔を詰めたうえで。」
そう言いながら、ファルコが石を動かす。
「ああ、教本通りならそれが正解だ。だが今回は、前に出れるほどの余力があったかどうか。」
「そうですね。加えて足を取られて立て直し、武器も折れ。ですか。」
さて、そこの教育はひとまず任せてと、オユキはそちらから意識を外し、改めて別枠で話す。勿論子供たちだけでなく、こちらも反省すべき事柄があるのだ。特に明確な師弟関係が存在する二人でもある。
「一先ず、お疲れ様でした。」
「ええ、オユキさんとアイリスさんも。面倒を押し付ける形となってしまいましたが。」
「私の方は、まぁいつもの事ですから。アイリスさんも何か。」
「子供の面倒を見ていただけよ。別になんという事も無いわ。」
イリアが前に言っていたこともあるが、なんというか種族的に面倒見の良い形質でもあるのだろう。狐はどちらかと言えば、単独で動き回る印象がオユキにはあるが。まぁ、必ずしも全てそのままという訳でも無いであろうし、もとより動物の行動学迄正しく知識を得ているわけでもない。
「いえ、本来であれば、私たちが抱え込んだ相手ですからね。」
それはそれとしての前提で返せば、ただ肩を竦めるだけで返答とされる。トモエが楽しそうにしているあたり、何か愉快な事が有ったのかもしれないが。
「さて、それでは私たちの方でも。」
「ええ、そうですね。」
それでは、と。トモエが姿勢を変える。
「理由があるにしても、オユキさんは動きの雑さが目立ちましたね。」
「ええ、自覚はあります。武器の消耗の速さが、それを物語っているでしょう。間合いの部分ですね。慣れた位置、感覚で動くことが増えた結果とも思いますが。」
そう、オユキとしてはそれが一つの難問でもある。流石に余裕が減れば、手癖として動くことが出て来る。他、全体の把握のためにと、動けば、作ったはずの余裕が、それが原因で足を引っ張る。
つまるところ、流派としての制御、それを手放す時間が実に多くなる。
「それもあります。加えて慢心ですね。今の己であればどうとでもなる。その驕りが雑な剣を産んでいます。」
「成程。言われてみれば、乱獲、そうですね、それをあの子たちを連れて。当たり前のようにそれを提案する程度に。」
「必要は理解しています。こちらへの感謝もあるのでしょう。しかし戦場に立つ、その前提が薄くなるのは認められません。」
「はい。」
トモエの言葉は実にもっともだと、オユキはただ反省する。
確かにこれまでであれば、そもそも少し前、始まりの町では森に入るのにも、傭兵の手配を行ってからとそうしたというのに。それがすでに十分な護衛がいるからなどと。
「加えて、壊れてもいい、無くなってもいい武器、そう言った甘えもありました。そのような武器が存在するはずも無いというのに。」
こうしてトモエに師として説かれるのは、さていつ以来だろうか。その言葉はとにかくもっともであるため、ただ何を言うでもなく、先の己の行動、それと照らし合わせて具体的にどこであったのか。何故それが生まれていたのか。話を聞き、それを飲み込み。次、明日にもまた行われるその場で戒めるために、己を律する。
「大枠としては、その程度でしょうか。アイリスさんも含めての連携となると、私たちにしても手探りですから。」
「そうですね。そちらは、それこそ先々もあるでしょうから、何度も試す他ないかと。」
「とはいっても、状況によっては私はこれも使う物。」
そうしてアイリスが周囲に狐火を浮かべる。
「そちらは、私たちに触れれば勿論。」
「燃えるわね。それこそ、中型でももっと大型化しなければ、使わなくてもどうにかなるとは思うけれど。」
「いえ、今は目的がある以上難しいですが、何処かで習熟はいるものでしょう。それからアイリスさんも。」
「さっきのオユキへの言葉、それは確かに私も当てはまるわね。」
そう、彼女にしても、凡そ問題はオユキと変わらない。むしろ顕著となってしまう部分がある。触れられたとて、怪我をすることは無い。いざとなれば、魔術が。
「それもあって、時折狩猟の時にも指輪をされるのでしょうが。」
「ええ、神の奇跡に頼っては本末転倒。その理解はもちろん。」
「ならば宜しい。私にしてもその戒めは殊更気を付けなければなりませんし。」
そうして、トモエがまとめれば三人そろってため息をつくしかない。成程。彼の神が何故己に問題がと嘆くのか、それが実によくわかるという物だ。
「かといって、私たちでは常にという訳にも行きませんからね。」
「ええ。正直鹿までですね。それ以上は技でと言うにはまだまだ足りません。」
「加護も無しに、相手ができる様な物では無いでしょうに。」
そうアイリスに呆れたように言われるが、逸話は残っているのだ。
「いえ、異邦では虎、プラドティグレでしたか。あれを打倒したという話もありますし、獅子の魔物にしても、同様です。」
そう、特に後者については部族の戦士が勇を示す為、成人の儀式、そのような事で行うと、そんな話もある。要は生涯をかけて技を修めたというのに、未だ慣れぬ身体だという事を差し引いても。
「本気で言ってるのよね。まったく、頭が痛いわ。」
「勿論頂いた奇跡、それも合わせた上で目指す道もありますが、そうでない物もあります。二度目の機会です。欲張れるのであれば。」
「まぁ、気持ちはわかるわ。あら。」
そうして話していれば、公爵についているはずの執事がやってきて、一同が呼ばれる。報告は終わり、その処理を頼んでいる間。明日の確認にしても食後で問題はないだろうに、何事だろうかと、改めて揃って意識をそちらに向ける。同じ席で別に話をしていたこともあり、特別立ち上がったりはしないのだが。
「皆さま、そのままで。ファルコ様がお誘いする予定の方なのですが。」
「ああ。御爺様に伝えていたな。それが、何か。」
「そのうちのラスト子爵家ですが、面会の要望が。トモエ様、オユキ様とも知己を得ているからと。」
さて、そう言われたところでそんな心当たりはない。そもそも王都に来てからあった貴族など、今も世話になっている二家だけだ。
「領都での事でしょうか。」
「いえ、あちらはモラリス伯だったはずです。」
さていよいよ心当たりがない、そう考えていると執事が虚言であったとして報告に戻る前に、アベルがそれを止める。
「面会の要望は、ラスト子爵子女か。」
「はい、第2ではありますが。」
「すぐに思い出せなかったが、クララの所だな。」
言われて、ようやく思い当たる。二人ともそれとわかる立ち居振る舞いではあったが、家名を聞いていなかった。
「ああ、そうなのですか。」
「となると、騎士号は返上したのか。騎士である間は家名を名乗らないはずだからな。そのせいで思い出すのに手間取ったが。」
「剣を捧げる以上は、家からもという事ですか。何とも。」
「どうやら心あたりがあるご様子。如何いたしましょうか。今回はファルコ様が望まれていることもありますので。」
「そういえば、騎士の姉がいると言っていたか。確かに後見としては十分だろう。」
成程、色々と都合はよさそうであるし、会えるなら聞きたいことも多く有るだろう。オユキとトモエだけでなく、少年たちにしても。ただ、そうなるとまた場の設定が難しい。
「ファルコと、お目当ての相手、そっちに公爵ともう一人先方の後見。それがつく前提ってことはご息女だろう。」
「ああ。そうか、そうだな。流石に一人招いたとなれば、そうも勘繰られるか。」
「まぁ、な。それで構わないってならそれでもいいが。後はクララとこっちで、って感じにするのがいいだろうな。」
「では、そのように。ああ、明日にはいらっしゃいますので、トモエ様とオユキ様もそのおつもりで。」
さて、そうなってしまえば、流石に疲れて眠る、そこまでは出来ない。これからやり取りを行って、具体的な時間はそれこそ食後にでも知らされるだろうが。
「それにしても、クララさん。どこで私たちに気が付いたのでしょうか。」
「イマノル経由だろうな。坊主のこともあって、手紙を出した。」
「ああ、成程。」