第342話 それぞれの味
行儀作法については、今日は久しぶりに見逃されることとなった。進捗はさて、オユキにしても習っている身である以上分かりはしないが。偶の休日そういう事だと、その判断を有難く受け取り、揃って席に着く。
今回ばかりは、問いかける先にそれぞれがいるため、席次についても自由な物となっている。並んだ食事にしても、オユキのよく見た物に近いものもあれば、こちらに来て馴染んだものもある。そして、見知らぬものも。
「ほう。」
公爵にしても、いよいよ市井の料理となれば物珍しくはあるだろう。実に面白そうに並んだ料理を見ている。コースとして、趣向を凝らして、それ以上に日々の効率を求めての物だ。大本からして方向性が違う。
「なんだ、結構うまいもんだな。」
「教会では、毎日でしたから。」
「ああ、そりゃそうか。」
そのアベルの言葉に、恐らく全く経験のない人物が行軍中に担当となることもあるらしい、そんな事情が見て取れる。それこそ、そういった場面にならなければ、自分で用意をすることも無い立場のも多かろう。
「うむ。素朴な味わいであるな。」
「ええと、ありがとうございます。」
「ああ、貶める意図の物では無い。成程、確かに大きく異なるな。」
公爵の言葉に、初回は様子を見るためとついていた、この屋敷の厨房を預かる人物も言葉を加える。
「ええ。なんと言いますか、良い工夫が多いものでした。」
「ほう。」
「私たちのように、それだけに時間を使うわけにはいかないからでしょう。」
「だからこその工夫がある物か。確かにこれに慣れていると、正餐は重かろう。」
全体的にあっさりとした料理が並んでいる。勿論、それぞれに買い込んだ食材、香辛料の類は生かしてあるが、一品として完成させることを求めた物では無いのだ。味付けとしては、それぞれにそこまで尖ったものでもないし、趣向が凝らされているわけでもない。
どちらがと比べれば、勿論正式な物の方が良い物とされるだろうが、これはこれで慣れたものにとっては落ち着くものであるし、公爵の言うように、慣れない身としては、流石にフルコースが続けば、胃もたれを起こす。
「私たちとしては、こちらが日常ですから。」
オユキとしては、実に馴染んだ味の皿もある。鶏肉と茸、それを牛乳で煮込んだものがそれだが。それ以外にも、野菜と茸をとにかく放り込みました、そんなポトフもそれはそれで美味しいものである。
見た目の毒々しさに、思わず数度手が止まりかけはするのだが。
「私も、こちらの方が口にしやすいですね。近頃はやはり。」
見た目はまだ若々しくはあるが、孫のファルコの年齢を考えれば、それこそ過去のオユキ達がそうであったように、脂を強く感じない、教会の子供たちの手によるものは食べやすいものだろう。
「まぁ、我もその感覚はわかるな。」
「私としては、物足りなく感じてしまいますが。」
それこそ食べ盛りのファルコにしてみれば、そういう感想にはなるだろう。
「これが老いという事なのだろうな。」
孫の言葉には、ただ公爵が笑って返す。
「牛乳かー。私たちはあんまり使わないけど、こうしてみると美味しいよね。」
「煮込みに使うとなれば、それなりの量が要りますし。焦げ付きもありますからね。」
「あー、あの鍋一杯にってなると、確かに大変か。にしても、やっぱり場所によって違うもんだな。」
「私たちも、始まりの町で驚きました。」
子供たちの方も、あれこれと話が盛り上がっているようで何よりである。そもそも全ての食事は並べられているし、全てスプーン一つで口に運ぶことができる物ばかり。パンにしても手づかみ意外にやりようも無いのだから、本当に簡単な物だ。
並んだ食事、パン以外に汁物が3点というのは、色々と気にはなるが、偶の事であれば楽しいものだ。
「これが、異邦でよくある物なんですか。」
「ええ、一般的な物かと。勿論、私たちの地域の伝統的な物とは異なりますが。」
「へー。でも美味しいです。私たちだと、やっぱりお肉も魔物のものが多いですし。」
トモエの言葉に公爵から興味があると、そういった視線がオユキに向けられるため、それに応える。
「メルカドを歩きましたが、よく使う物が見つからず。」
「ほう。どのような物だ。」
「私たちのいた場所では、発酵させた調味料が多かったので。後は、やはり海から得られるものを使った物ですね。」
そう話せば、海産物、と言う訳でも無いが、水産資源、その発酵食品に思い立ったのだろう。実に味わい深い表情が返ってくる。どうしたところで好みばかりはどうにもならない。イワシやニシンをただ発酵させたものよりは、植物が元となっているだけ、ましだとオユキは思うが、それこそ個人の感想でしかないのだから。
「確か、王都でもまだ続いていたはずだが。」
「ああ、やはり他の者達が試みましたか。」
「うむ。少数だが好むものがおってな。」
「どちらの地域の物か迄は分かりませんが、私たちの地域では、ソハでしたか、そういった豆を使った物が広く使われていました。」
そして、それに思い当たるところがあるようで、揃って苦笑いが返ってくる。どうやら、その一部の者達は、この場にいないらしい。さて、過去の人々が何処まで再現をしたのかも気になりはするが。それは置いて起き、話を続ける。
「後は、使う野菜、その違いも大きいですね。私たちの住んでいた場所では、根菜が多かったですから。」
今も蕪や人参はよく見るが、やはり蓮根やゴボウ、それこそ元の世界でそうであったように、こちらの地域では栽培もされていなかったようなものは、見る事も無い。
農場に牧場、そういった物の見学に行く機会も得られれば、そんな話はしながらもまだ叶っていないのだ。それに、その辺りも全て人の手でとなれば、農耕機械よりも便利なものも多く有るだろう。何せ魔術や魔道具といったものが有るのだ。短杖、その扱いを聞いた時に、随分と便利な用途をカナリアから聞いたこともある。
「それはそれで興味があるな。」
「流石に無いものはどうにもなりませんから。」
「観光のついでに、知ってるものが有れば持ち帰ってみればいいんじゃないか。」
「ああ、それもいいかもしれませんね。」
アベルの提案は実に興味をひかれるものである。勿論、自身では家庭菜園、その程度の範囲でしか行うつもりはないが。それにしても家を持ったのなら、その庭に一角を用意するのも楽しいだろう。
以前と違い、土地は何処までも余っているのだ。そういった事を叶えるのも難しくはない。
「そういえば、こちらはやはり岩塩が主体ですね。」
「ああ、海は流石に遠いからな。」
「後は、甘味の類ですか、砂糖などは。」
思えば、こちらでも蜂蜜や、砂糖を使った物は口にした事が有るが、それそのものを販売しているのは、数えるほどしか見た事がない。値段も相応の物であったのだ。
「場所を取るからな。確か、その辺りも異邦の知識に頼って、それぞれの国で栽培が広がったとか、そんな話が残っていたな。」
「ええ。私たちも、今はあるからと求めますが、過去の手記では、異常と思える情熱を燃やした方がいたとか。あまりの様子に、良くない物なのではないかと、そういった話も出たそうですよ。」
言葉はだいぶ濁されているが、麻酔、痛みを麻痺させる薬とてこちらにあるのだ。そういった物は当然あるだろう。悪用するかどうか、それを神々が許すかは別として。
「甘味は創造神様も喜んでいただけるようですから。」
「ええ、その話が出てからは、すっかりと。」
嗜好品とは、まぁ、確かにそういう物だろう。好むものにとっては青天井。知らぬ物からすれば、何故そんなものに。そういった物だ。そして、それらを飾らなければいけない立場の者として、十分理解があるようである。
「ま、場所によっちゃ蜂蜜の方が楽だな。それこそ採取者ギルドの領分になるが。」
「ああ、そう言えば、森には居ましたか。」
まだ遭遇したことは無いが、確かにそういった薬も用意がある。
「異邦では、どのような甘味が。お詳しいようですが。」
「生憎細かい製法迄は。概要程度ならば。」
大まかな材料、その程度の知識しかない物だが、食事の場として、オユキは聞かれるままにいくつかを話す。こちらの近隣の物では無く、オユキ達の住んでいた地域の物としてはいるが。
「米って、あの粒か、あれを粉にすんのか。」
「小麦とて、元は似たような形状ですよ。」
「そういや、そうだな。でも、見たことないな、そんなの。」
勿論、子供たちにしても話は聞いているもので、オユキでは不足している部分をトモエが付け加える。
「ええ、そもそも以前頂いた物とも、細かく言えば種類も違いますから。なんというか、粘り気の強いものが有ったのですよ。」
「へー。」
「代用として、こちらで手にはいるものでも、どうにか出来ないことは無いでしょうが、他ででんぷんを足したりと工夫はいりそうですね。」
「えっと、それって。」
さて、食物の中に含まれる特定成分の話を始めたトモエを置いて起き、オユキはオユキで話を続ける。
「そう言えば、以前こちらにもショコラやカフェの類があると伺いましたが。それらの元となる豆は手にはいるものでしょうか。」
「うむ。それも同じく一部の物が好んでおるからな。」
「成程。どうにか手に入れたいものですね。」
「先の成果もある、こちらで手配しよう。どの程度必要かね。」
「ショコラの加工は、流石に手に余りますので。カフェだけで。一袋もあれば。後は毛織物、それで出来た布などは。」
さて、少しの余裕、その中で楽しむことは楽しもうと。嗜好品、口にするものに限ってだが、話は弾む。