第331話 短くも充実した時間
「成程、素晴らしい。」
既にというほどでもない。高々二、三、刃を交わしただけではあるが、戦と武技の神から言葉を掛けられる。
その名を冠する神。その技術、力量。その全ては当たり前のこととして、オユキの及ぶものではない。加えて技術にしても、見た事も無い、しかし完成度がありえぬ程に高い物が、存分に振われる。
下手に受ければ、斬られるか、砕かれるか。幻でしかないが、あまりにもはっきりとそれが見える。
だからこそ、躱し、間合いを空け、その上で逸らす事をどうにか行う。他方のアイリスにしても、これまで見た事も無い身体能力を駆使して、場を続けている。
「己の未熟は、よく分かっていますとも。」
切り返しにしても、実に無造作に。打ち込みと同じ速度で叶えられるが、そのわずかな隙に、籠手の位置に刃を捩じ込んで次の一刀の制限をかける。磨き抜かれた、白く輝く鎧、その籠手で結局は無造作に処理されるが。それでも、弾かれる勢いと、そのために使った時間で次の位置へと体を運びながら、ついでとばかりにアイリスにも切りかかる。
その技量の差は、歴然としている。向こうはそれを埋めるために身体能力、これまで見せる事も無かったそれを使っている。ならば流派として、散々説かれた理念として。それを技で御すのだ。
「その謙遜は、届かぬ物への当てつけですか。」
刀を合わせるつもりは毛頭ないのだろう。それを許せば、技による支配がはじまると、これまで散々思い知っているのだから。反応速度も、これまでの比ではない。長大な野太刀、それを片手で振るい、空いた手でオユキへの対処を。
「それはあなたの卑屈でしょう。」
涙ながらに彼女が訴えった、その記憶はオユキも無論持っている。しかし、それでもただそう告げるのみだ。トモエにしても変わりはしない。
「どのみち、私たちの求める答えなど、ここにしかありません。」
だからこそ、言葉だけでなく刃を交わす。切り結ぶそれの下にしか、見えぬものが有ると分かっているから。
「獣の理屈ですね。」
「事が違えど、争う事などどこにでも。」
「良く馴染むと、そう告げたのです。」
言葉を交わしながらも、動きは止めない。そして、呵々と笑うもう一人からは、ただその頂点としての、恐らく存分に加減されたものが、忘れてくれるなとばかりに叩き込まれる。
「うむ。祭りが実に楽しみだ。」
「御身の無聊を慰められたのなら、何よりです。」
さて、軽口を叩きはするものの、流れる汗の量も、つまり始めた呼吸もオユキは隠せる域を超えている。
如何に加護が有ろうと、貧弱な身体であることには変わりない。それこそ、今相手をしている二人、この二人にしてみればオユキを仕留めるその最善手は単純だ。捕まえる、それだけで終わる。
これまでの抑えに抑えたアイリスであれば、抜け出せただろうが。まったく、トモエは何か気が付いたそぶりを見せていたが、オユキはよもやここまでと、そう感じてしまう。
人の形で獣の速さ。そして、拙いながらも磨いた技。実に厄介な物だ。受け流す、そう考えた位置が力で押し込まれ、想定よりもずれる。慣れた位置で止める事が出来ない。次へと動くのに、工夫を強いられる。
「ほとんど、そちらは練習していなかったでしょうに。」
「応用でしかありませんよ。」
「二人とも、短い時ではあったが、確かに成長を見せている。実に良い事だ。」
そうして、これまでは笑っていた戦と武技の神が突然空気を換える。つまるところ、時間が来たという事だ。
「しかし我が名は武技も冠するのだ。」
突然、何もない場所、当たらぬ場所に振り下ろされる剣に、オユキとアイリスはそれぞれ弾かれたように跳びながら、得物を頭上に構えるが、起きた事はそれどころではない。
二人して地から足を離した、それこそが失態であるというように、当然のように空中に縫い止められる。
「これは。」
「まぁ、時間まで続けたい、そう思うところではあるのだがな。」
この神は魔術を使わぬと聞いていたというのに。確かに武技というのは、それによく似た事を散々こちらでは起こしているが。それにしても、という物だ。
さて、話すことも終わりと、確かにそうして切り結んだわけでは無い。研鑽が足りぬと、互いに窘められて。ならばそうではないと示そうと、そうしただけに過ぎないのだから。
簡潔に言えば、会話の最中に激発し、刀を抜いた。
そういう、度し難い行為である。
それを会話と認める三人だからこそ、許されている、それに過ぎない。
「さて、お互いに、熱も冷めたのかしら。そうでなければ、私がそうすることにしますよ。」
姿形ははっきりとした物では無く、ただ声だけではあるが。オユキは聞き覚えのある、アイリスにしても、そんな声が聞こえてくる。
そう、あくまでたどり着いたのは、水と癒しの神殿。
「すまぬな。」
色々と忙しくしているとは確かに聞いていたのだが、司教があれこれと事前に知っていたのだ。こうして言葉をかける時間程度は作れるのだろう。
「全く。あなたも、その信徒も。表面上は話が通じるから困りものです。」
そこまで言われてしまえば、楽しんでいた二人にしても頭を改めて下げるしかない。
しかし、司教に伝えれば済む相手が、なぜ今ここにと、オユキとしても内心で首をかしげる。確かに不作法を咎められる、それについては納得がいくものだが、それだけという訳でも無いようではある。
「ええ、私の場所で暴れる、やんちゃな弟が全力でとなれば荒れますけど、あなた達程度では何があるというわけでもありません。時間があれば、存分にといいますけど、今は。」
忙しい事には変わりない。割とと言えばいいのだろうか、酒を楽しむ中に名が入っていたこともある。前の世界の本当に忙しい、それほどではないようだ。娯楽、それとして作られた場に、それは確かに持ち込みはしない物だろう。本質的に、この世界は長閑であるのだから。
「その、改めてお礼を。私の言葉を届けた事、それから無事にあの場を済ませた事。」
言われれば、思い当たることもある。その時運んだのは、オユキとトモエだが、アイリスにしても、場を治めるために奔走していたし、実際凶手をねじ伏せもしたのだ。そして、そこでようやく思い至る。あの時見せた、ルイスよりも早い彼女の動き、そこからトモエは本来のアイリスの動きに当たりを付けたのだろう。
生憎と、オユキはそこまで余裕がなかったこともあり、こうして思い返さなければ気が付けない物だが。
「その、難しく受け取らないでね。こうして機会があればお礼をと、それだけだもの。他の皆にもちゃんと感謝しているのよ。後は、その、特に今回は色々と残念だったでしょう。私からも、あなた達の願いを、これまでのこともあるから叶えて上げる、その手助けをね。」
「真に、有難く。」
どうやら、この神殿へのピクニック、その許可を神から正式にいただける物らしい。神殿に入ってみた壁画にしても、神像の奥に飾られているモザイク画にしても、鑑賞できるならというのは本音ではあるのだ。また、改めて外観を眺めながら、その佇まいを楽しむのも実に良い物だろう。しかし今は、受け取った品をもって、次は戦と武技の教会に向かわなければならないのだ。
その後の晩餐もある。もう時間はそれほど残ってはいない。
「それと、闘技大会かしら、それには私も力を貸しているから、その辺りもね。異邦の人たちは、分かるでしょう。」
「機能の開放が行われますか。しかし。」
「ええ、こっちはその子に教えた人、ハヤトの願った事よ。叶ったのは今だけれど。」
対人戦に傾倒していたのだ。彼が使命を果たしたとして、望む機能の開放など、言われてみれば確かにそれしかない。そして望んだ機能が、その全てであれば、確かにダンジョンなどとは比較も出来ぬ奇跡だろう。
何せ、終われば致命傷ですら、全てなかったことになるのだから。
絶対に命を落とすことがない、しかし互いに加減、そこまで至らないようにと制限を行う事がない。そして痛みはある、何なら試合中は生命と戦意が維持できるなら、腕や足を失ったとて、続けられる。
そして、試合が終わればなかったことになる。そんな尋常なら去る物なのだ。ダンジョン、奇跡の代償、その厳しさを改めて求める事も無い。ただただ奇跡としか言いようのない、それを得られる場が用意されるらしい。
「最も、どこでもというわけでは無い。」
「そこで、御身の現身ですか。」
「我と、この姉と、法と裁きの物もだがな。」
そこまで言われて、思わず首をかしげる。その存在は聞いていた。ゲームの時代にもその作用が行われていた。しかし、これまでどの教会でも、その姿を見ることは無かった。
「故に、我が名において、改めて異邦の者、ハヤトの為した功績をここに称える。教えを受けた巫女よ、アイリスよ。長きにわたるそれを、終に成し遂げたその方に、改めて我が名のもとに功績を与える。」
恐らくは。彼に与えられた使命、その想像はオユキにもある。恐らく、間違ってもいない。代を重ねざるを得なかった、異国の地で達成となったのは。そこで叶えられるものの難しさだろう。
そうであるなら、ただこちらを楽しむ、そんな事を考えていたオユキの使命、それが非常に簡単で会った事にも納得がいく。こちらに来るにあたって、最も大きな願いは、トモエが楽しんでくれている。それなのだから。
では、次点の願い、それについてはどうだろうか。
「ありがとう、ございます。」
アイリスと戦の武技の神、そのやり取りよりも、オユキは他の考えにどうしても気が取られてしまう。今になって、製作者、7人の使徒、その残念が聞こえる様だ。
「ええ、お父様、お母さま方は悲しんでいました。悲嘆にくれていました。」
何処か遠くから、そんな言葉が聞こえる。アイリスには聞こえていまい。そして、その悲嘆が、残念が。世界として付け入る隙を作ったのだろうと、そんな事を考えたときに、目の前で誰かに手を叩かれ、急激に視界が変わるような。そんな感覚と共に、意識が切り替わる。