第326話 曰く、フラグの回収
さて、使用人の仕事というものをこうして目の当たりにするまで。過小評価という訳でも無いのだが、もう少し範囲の狭いものかと考えていたものだ。それこそ一つの屋敷、その管理。その程度であれば、そこまでの人員は必要ないのでは。そんな事を考えたこともある物だ。
しかし、こうして王妃にご足労を賜る、その用意を見れば、成程理由がある物だと納得もできる。朝食はそれぞれの部屋でとる事になったかと思えば、そのまま使用人が二人なだれ込んできて、徹底的に身だしなみを整えられる。
以前はあくまで略式どころか、表に出さぬものであった、そう示すかのように風呂に放り込まれ、連れ出されたと思えば、いつ用意したのやら、華美な衣装に着替えさせられて、今は化粧台の前で、化粧と整髪が行われている。
どうにも気配の慌ただしさは漏れているが、それを振る舞いに出すこともないあたりは、流石公爵夫人が頼む人物という事だろう。
「お忙しい方でしょうし、もう少し遅い時間になる物とばかり。」
「ええ、本来であれば。しかし既に先触れが。」
「何とまぁ。」
「ご挨拶はマリーア公爵夫人が代表して行います。皆さまは後ろに控えていただきますが。」
「つまり、直ぐに出立という事ですか。」
なんとも、似合わず忙しない事だ。理由はオユキも分かりはするのだが。
「私は、どちらの振る舞いを。」
「後程公爵夫人から。」
「分かりました。」
どうにもこういった事には詳しくない身の上として、オユキは自信に何をされているかは分からない。しかし確かに化粧台の中、整えられていると分かる変化が次々に起きていく己を、ぼんやりと眺める。他方では少年達にしても今頃散々にやられている事だろう。
「ここまで長いと、編みこんでも相応に長さが残りますね。」
「私としては、短くしてしまいたいと考えるものですが。」
どうにも、この後も膝を着いて立ち上がる、そういった振る舞いをするときに踏まないように気を払う、それがどうにも。ようやく流れた髪が首や背中をくすぐる感覚には慣れ始めた物だが。
しかし、鏡越しに、故意に合わせられた視線の圧にそれ以上は何も言わずに、されるがままに任せる。
正装にしても、以前公爵に用意をしてもらった物では無く、一体この短期間にどうやってと、そう思いはするが、新たに用意されたものを着させられている。
「以前の物とは違い、こちらは色味もあっていますね。」
「黒髪の方は少ないですからね。染め物の用意もやはり、相応ですから。」
何となく話を逸らしてそんなことを呟けば、直ぐに返事が返ってくる。
「それと、功績は。」
そうオユキが告げて、今は外され、化粧台の上に置かれている功績に目を向ければ、使用人が分かっているとばかりに頷いて見せる。
「鎖をお持ちしておりますので。」
「流石に、武骨にすぎますか。」
領都で求めた折には、魔物との戦い、その中で身に着けるためにと選びはした。だからこそ、今の装いに似合う物では無い。
「どちらも指輪ですから、はめてしまうのもよいかと思いましたが。」
「その場合は、手袋の上から、中指へ。」
「ああ、隠すわけにもいきませんか。」
二の腕までの長い手袋もオユキは今つけている。それで隠すわけにはいかないというのも、以前聞いた話から理解はできる。そうであればと、二つの指輪型の功績。相変わらず不思議な物ではあるが、元のサイズ、それはわかるのだが指にはめれば、当たり前のようにそれに合わせてピタリとはまる。
「はい、終わりましたよ。」
「お手数をおかけいたしました。この後は。」
「ご案内します。」
さて、何をもって完成系かは分からないが、良しとされたから良いのだろうとばかりに、今度は侍女に連れられてこれまで利用しなかった部屋へと足を運ぶ。
オユキが最も遅かったようで、そこでは緊張に身を固くしながらも振る舞いの最終確認を行っている少年たちと、今後の予定を確認する大人たちで綺麗に分かれている。
「お待たせ致しましたか。」
侍女に案内されるまま、大人組の席にオユキもつく。
「ああ、良く整えました。あなた達も他の手伝いに。」
そう夫人が伝えれば、一度頭を下げた侍女が直ぐに踵を返して、部屋から出ていく。どうにも、身の回りに置く人物は最低限にと頼んだ身としては、少々申し訳なさも覚えるが。
「本日ですが、まずは月と安息の女神様の教会、次に水と癒しの女神様の神殿、その後は戦と武技の神様の教会、そうなっています。」
「格の問題があるのではと、そう考えてしまいますが。」
「問題ありません。ご令孫への祝いの品、そのお礼という建前があります。」
「ああ、そちらは既に公表されましたか。」
もう少し、それこそお披露目と共に、そう考えていたのだが。昨日訪れた市場でも、そういった噂であったり、それにまつわる浮ついた空気のような物は流れていなかった。
「ええ、まだ国中というわけではありませんが。」
「ああ、市井には、今回の王妃様の事でと言う事ですか。リース伯爵令嬢は。」
「勿論、今回同行しますよ。代わりに、私と公爵は控える事となりましたが。」
さて、そうであるなら何やらもの言いたげな視線にオユキは晒されることになるだろう。女性の庇護者としては、流石に伯爵夫人では格が足りないのか。つまりはこうしたことの供回りをさせて、そういう事になっているらしい。公爵が差し控えるのは、派閥あたりか。そもそも寄子のような物であるはずだが、だからこそ常にという訳にもいかない物なのだろう。
「それから、本日はこちらで席を設けます。」
「お忙しいのでは。」
「都合よく、良い肉もありますから。」
鹿肉のシチューは確かに昨夜大いに楽しんだものではある。それに、持ち帰った量を考えれば、十分に余っているだろう。事前にその話は出ていなかったため、目的はそちらであることは間違いないのだろうが。
そして、それの準備もあって、同行が出来なくなったという事であるらしい。
「本当に好まれる方が多いのですね。」
「ええ、追加を求めたくなる程度には。先の氷菓もそうですが。」
つまるところ、その辺りで今回の労の補填を行ってくれと言う事であるらしい。
なんにせよ、一席設けられるというのであれば、無論不安もある。
「あの子たちは。」
そこまで口にして、直ぐに思いつく事が有って、オユキは言葉を変える。
「リース伯爵令嬢と、別室でとなりますか。」
そう、少年たちについてはリース伯爵家から声をかける、その優先権が約束されていたはずだ。既に実質的な家督は移されるようでもある。そうであるなら、まぁ都合のいい機会ではあるだろう。
「ええ。さて、オユキ。」
改めて名前を呼ばわれれば、思い当たることもあり、先にと答えてしまう。机の上には既に見慣れた魔道具も置かれている。アイリスにも先に尋ねたのではあろうが、まぁ、彼女は元々こういった事を好む性質でも、得意という訳でも無いのだから。
「神像、衣装こちらが用意されているかと。前者は闘技大会の場を整えるための物、後者は私とアイリスの物。加えて新しい魔術文字に関わるものが。」
「多いですね。」
「魔術文字については。」
そうして、オユキが繰り返し立ち居振る舞いの練習をしている少年たちに視線を向ける。
「成程。そうですね、扱いについては、エリーザ助祭。」
「お任せください。」
詳しいものがいるというのは実に有難いものだ。
さて、では残っている確認事項はと。オユキは少し考えた上で口を開く。
「お願いしていたものは。」
「ええ、既に用意が済んでいます。馬車への積み込みを行っている事でしょう。」
「公爵夫人は。」
「本来であれば同行をというのですが。」
「流石に、ホストとしての事が有りますか。」
さて、出た先での事を、これで判断が難しくなると、オユキとしては不安が一つ増える。一応は恩人、そのような立場ではあるから無体はないだろうが。少年達へのやり用を考えれば、少々厄介の種とそう考えてしまう。
王妃である以上、公爵が同行するというわけにもいかないだろう。それどころではないということもあるだろうが。
「返答は避ける、それが増えそうですね。」
「ええ。それが良いでしょう。悪い方では無いのですが。」
「確か他国からとか。足元の不安はある物でしょうから。」
だからと言って根無し草、いやだからこそ分かりやすい報い方がある。それを求めようと考えているのかもしれないのだが。アイリスにもオユキの警戒は正しく伝わったようで、少々うんざりとした表情が浮かび始めている。
「教会では、どのような流れに。」
一先ずの対応が大枠で決まった、と言うよりもその流れの中では、とにかく何もなかったことにすると方針が決まったため、オユキは話を助祭に振る。
「神殿での事は流石に存じ上げませんが、教会では奉納を行って頂くだけと伺っています。」
「その場で席が設けられたりは。」
「生憎と。」
どうやら、本当に詣でて終わりと、そういう事であるらしい。その割に随分と時間が早いと、オユキはそう考えていたが、当たり前のことにようやく思い至る。
「ああ、そうですね。失念していました。急ぐわけにもいきませんか。」
そもそも王妃の乗った馬車が町中を急いで動き回るわけにもいかない。加えて神殿までは相応に距離がある。
以前のままであれば、それこそ歩いて移動しようと思えば王都から二日はかかる距離だったのだ。こちらの馬車であれば、それこそ1時間もすればつくだろう。この世界は冗談じみた広さを持っている。それを改めて思い知ることとなった。