第32話 宿の娘と
オユキは、そうして手を引かれるままに、フラウに案内され、宿の裏手へと連れていかれる。
そこには、オユキの世界では、もう見ることも難しくなった井戸があり、衝立、薄い木の板がいくつかのスペースに区切っている、そんな場所があった。
「よーし。ここだよ。ここで体を洗ったりしてね。
じゃ、どうしよう。体も拭いちゃう?それとも髪だけにしておく?」
そう問われオユキは、少し考える。
身ぎれいにして、それで汚れた服を着ることになる。流石にそれでは、二度手間になるだろうと。
潔癖と、オユキはそういった性質ではないが、身を清められる状況で、寝る前にそうしないというのは、流石に気が引けるものがあった。
加えて、オユキとしても、あまりこの少女の時間をとってしまうのも悪い気がした。
「今は、髪だけで大丈夫です。本格的に身を清めるのは、連れ合いが戻ってからにしたいと思いますので。」
「そっか。そうだよね。着替えたいよね。なんだかボロボロだし。」
その言葉に、オユキとしても苦笑いがこぼれる。
己の未熟が原因とは言え、ゲーム時代はあれほど歯牙にもかけなかった、そんな相手にこうして、一目見てわかるほど、そういった損害を与えられているのだから。
オユキは先に何かをしようとする、フラウに先んじて、釣瓶にぶら下がるおけと紐を使い、井戸から水をくむ。
現実であれば、オユキの体躯で行うとすれば、相応の労力が伴うだろうそれは、オユキが思うよりも簡単に達成された。
戦闘の際にも実感は得たが、どうやら見た目よりも力があるようだ。
「わ。すごいね。ちっちゃいのに。」
「その、これでも狩猟者ですから。」
褒められる言葉に、オユキとしてはそう返すしかない。
「あー、そうだよね。町の外に出られるんだもんね。
じゃ、こっちに水入れてね。使い終わったら、あっち。あのあたりに適当に捨ててくれればいいから。」
そういって、衝立に囲まれた一角から少し離れた場所をフラウがさす。
それにオユキがお礼を言うと、フラウの母親から渡された紐をオユキに渡し、じゃあね、と言い残して宿の中へと戻っていく。
その姿を見送って、オユキはどうしたものかと、そう考えながらも、髪の汚れをどうにか落とす。
目に見えない場所はともかく、目に見えるか所の汚れは落とせたと、そう思ったところで、今度は紐を片手にどうしたものかと考えてしまう。
濡れた髪をそのままにしておけば、何かの拍子にまた地面にあたり、今度はより一層汚れをつけやすくなるだろう。
だが、オユキはそれを防ぐために、紐一本でどうすればいいのかもわからない。
何もしないよりはと、適当にまとめ、三つ折りのような状態にして、それを紐でどうにか括る。
それが、見た目どうであるかはともかく、他に方法もないため、やむを得ない。
そして、指示された場所へと、残った水を捨て、オユキは宿へと戻る。
トモエが戻れば、どうにかしてくれるだろう、そんなことを考えながら。
オユキは手を引かれたときもそうであったが、今こうしてあるく分にも、痛めていた足首から痛みを感じていないことに違和感を覚える。
軽い捻挫とはいえ、固定もしていなければ、何かの処置をしたわけでもない。
それなのに、痛みがないというのはどういうことだろうか。
オユキのわからない、それこそ身体能力が上がっていることもある、治癒能力も上がっているのだろうか。
そうして、宿の内部に戻れば、その姿をフラウがすぐに見つける。
すぐに近寄ってきたかと思えば、渋い顔をして、オユキの髪を見る。
「えー。もうちょっとどうにかならなかったの、それ。」
「その、あまり慣れていないので。ここまで長いと、高い位置でくくっても、床を引きずると思うと、これが一番かなと。」
そう答えたオユキの手を、フラウが再び取り、近くのスツールへと座らせる。
「うーん、私も得意じゃないけど、やってあげるね。
でもいいなー、私も伸ばしたいなって思うけど、やっぱり長いと仕事の中で面倒だしね。
外に出る人は、短めにしてる人が多いから、珍しいよね。」
言いながらもフラウがオユキの背後に回り、適当に括った紐を解き、その髪を改めてまとめていく。
オユキとしては、よく生前のトモエが娘や孫に、こんなことをしていたと、そう思う反面。
まさか自分が、等とも考えてしまう。
「そうでしょうね。長い事にも利点はあったりしますが、やはり不利な点も多いですから。」
今後は自分でも、こういった事を覚えていくのだろうか。そんなことを考えながら、オユキはフラウと話す。
この世界に来てから、なかなか良い人ばかりに合うものだ。
「へー、利点もあるんだ。それってどんなの?」
「そうですね、髪というのはなかなか丈夫ですから、切ってより合わせれば、紐の代わりにもなりますし。」
「えー。」
「あとは、髪を払って、相手の目を狙うなど、そういった事もありますね。」
「えー。なにそれ。」
オユキが、よくある手段を語れば、フラウはそれに対して嫌そうな声を上げる。
確かに、長い髪がきれいだと、そういう少女にとっては、戦闘の際に髪をどう使うかなど、聞いてもうれしいものではないのだろう。
「はい、終わったよ。」
そんな話をしている間に、どうやらオユキの髪をまとめ終わったらしい。
相変わらず確認する方法はないが、オユキが自分で無理に括った時に比べれば、邪魔に感じない。
「ありがとうございます。お仕事中ですのに。」
「いいのいいの。お客さんのお相手するのも、仕事の内だしね。
それに、今は掃除くらいしかやることないしね。あんまりお客さんもいないし。」
「そうなのですか。割と、雰囲気のいい宿のようですが。」
そういって、オユキはあたりを見回す。
年季の入った、そう感じるところはあるが、それゆえにどこか過ごしやすさも感じる。
悪いどころではない、いい宿と、そう評する人のほうが多いだろう。
「うん。宿を利用する人って、やっぱりこの町だと少ないからね。
空き家もそれなりにあるから、安定したらそっちを借りる人も多いし、狩猟者さんもそんなに多くないからね。」
そのあたりは、始まりの町、周りにそこまで強い魔物がいない、そのあたりの影響でもあるのだろう。
「でも、うちの食事は人気があるからね。
ごはんには期待してね。」
そういって、フラウは手伝いに行くのだろう、彼女の母親が消えていった、厨房と思える場所へとかけていく。
その後ろ姿に、オユキが追いかけるように、声をかける。
「ありがとうございます。期待させていただきますね。」
その言葉にフラウは、くるりと回って振り返り、花のような笑みを浮かべて、手を振る。
「勿論だよ。うちのお母さん、すごいんだから。」