第317話 気楽な食事
オユキとしては改めてこちらの人々の旺盛な食欲に思わず驚いてしまう。
今となってはすっかりと身内だけ、少年たちについては所属が今後異なるはずなのだが、メイが話を持ち込むまではそうせざるを得ないこともあるのだろうし、下心もあるのだろうが。
オユキ達の座っていた席に纏めて置かれた、手づかみで口に運べる料理を少年達、ファルコも交じってワイワイと食べてながら話している、その様子を見ながらオユキは公爵夫人と会話を進める。
「色々とご配慮を頂き。」
「構いませんよ。オユキ、気楽な席としていますのでその方も。」
「ご高配有難く。」
そう口にはするものの、公爵夫人としてもとりあいとまでは行かないが、先ほどまでの何処か沈んだ空気ではなく楽し気に会話をしている子供たちの様子に苦笑いは隠せていない。
可能なら先ほどの席で今ほどではなくとも、もう少し会話を、情報交換を行ってほしいというのは、まぁそれを教えてる身としては、そう考えるのもやむを得ないとは思うのだが、それについては口にせず、改めて明日以降の事を話す。
「突然の変更ではありますが。」
「アベルから聞いています。伏せていたと。」
「何分、休憩も必要でしたから。」
どうやら、そういう事であるらしく、だからこそ対応もできるという事らしい。
「昨夜の話にもありましたが。」
「こちらでどうなるか、それについては分かりませんが、糖を分解する形で発酵が進むので。お伺いした限りでは、半日程度が好ましいと、そう伺っています。」
「これまでもそういった工夫はあったのですが。」
「やはりありましたか。巫女が側にいないときは難しく、そのためだけにというのもと、そう仰せでしたよ。」
そう告げれば公爵夫人からはため息が返ってくる。
「新しい祭り、その話は聞いています。」
「為政者の方は難儀すると、そう思いはするのですが。」
「これまでと違って、賑やかな物となるようですから。」
「そして、当然引けを取らぬものを、そうなりますか。」
人の手、工夫がある物、それを誰も彼もが用意するとなれば、当然そこにも家格を示さねばならない。どこの世界の貴族が一介の市民よりも見すぼらしい、見るところがない物を用意するというのだろうか。
「芸術の奉納というのも、一つかとは思いますが。」
讃美歌、教会の壁画であったりと、そういった物が奉納されているのを思い出しながらオユキが案として口にすれば、それには首が振られる。どうやら、そこまでの余裕はないようだ。そもそも当日、町中の警備のために人員を大量に供出し、神の印、どのような物かは分からないが、それが付いた品への対応なども考えれば、とてもではないが人員は回せないという事だろう。
「後は、見目の華やかな菓子の類は覚えがありますが。」
「それは。」
夫人が興味を示したので、こちらの文化圏では存在しない、マジパンの仲間と呼んでもいい練りきりについて説明を行う。
「成程、扁桃ではなく豆ですか。それにしても色を付けるとは。」
「口に入れても問題がない、それを選ぶ必要はありますが、染め物はこちらでもあるようですし。」
「口に入れる物にまでとは思いもしませんでした。」
こちらのマジパンは未だに目にしてはいないが、それこそ果物を模したそれも、人形に見えるもの等もあったのだ。食品の染色、その技術が発展すればそのうち生まれはしたのだろうが。食事についての工夫はやはり遅れがちではあるらしい。
技術単体としては、確かに磨かれている、積み重ねを感じうものではあるのだが、それに付属する技術と言えばいいのだろうか。積み重ねが可能とする科学的な発展というものは乏しいように思える。
それについては料理だけではないのだが。事積み重ねそれが必要な物に関しては、こちらの世界では異邦からの知識、それもこれまでは上手く根付かなかったものであるらしい。
そうしてオユキがゆったりと公爵夫人と話していると、シグルドがふらりと近づいてくる。こういった堅苦しさは苦手だろうにと、そうお思い珍しさを覚えていると、彼はやはりなんのある言葉づかいではあるが、声をかけて来る。
「あー、その、色々と有難う御座います。」
「こちらが押し付けている事でもあります。」
「いや、それにしても俺らが出来てりゃ、必要なかったわけだし。その、出来るだけはやるけど、もし不足が有ったら。」
「王妃様への同行です。それをあなた方の年頃に何一つ問題なく行え、そうとは言いませんよ。」
どうやら少年たちの代表としてお礼と、そういった事を話しに来たようではあるらしい。
その話しぶりに彼に視線を向ける残った少女たちの視線が、オユキでも分かるほどの圧を持っているが、本人としてはそれどころではないようで、気が付いていない。
「いや、これまでもっとまじめにやってれば、もしかしたら、それもあるんだ。」
シグルドはそういうと、ため息をついて、独白のような物を続ける。
「俺よりも色々知っている人が、必要だって、そう言うんだから、それは分かっているんだけどさ。」
「得手不得手もあります、また実際にそれが必要となる場に己が立つ、それを想像するのも難しい事でしょう。」
「ああ、正直苦手だし、他の事をやりたいって、そう思うんだけどさ、あんちゃんも、オユキも、えっと、あんたも今後の俺らには必要だって、そう考えてるんだよな。」
「ええ。リース伯爵家から声がかかるでしょう。断ったところで、次は当家、王家、それから他の家と、そちらから呼ばれるでしょうから。」
そう言われて、シグルドとしては何故と首をかしげるばかりではあるが、その辺りはまぁ仕方のない事ではある。
「ま、そういうなら、それがあってるんだろ。ただ、全部できる、その自信は正直ない。だから、いや、出来るだけはするけど間に合わなかったら。」
「ええ、それについては気にしなくても構いません。それを補うために人もつけます。」
夫人がそう返せばシグルド以外にも肩から力を抜くものが数人いる。
「そっか、ならよかった。それと、前に公爵様に贈り物したけど。」
「ああ、あの貴石はあなたでしたか。私からもお礼を。あのような出物はなかなかありませんでしたから。生憎と今は加工に出しているので身につけてはいませんが、本当に素晴らしい物でした。」
「おー、ならよかった。でも、そんなにかかるんだな。」
「クラリティ、カラーどちらも申し分ないものでしたから、カットで手は抜けませんもの。」
「ま、喜んでもらえたらいいんだ。」
ここで感状を貰ったでしょうにとは言わない慎みを、オユキは持ち合わせている。一通り言いたいこと、彼の中で話すべきことは終わったのか肩から力を抜いて、まだ食べ足りないのだろう、食事の置かれた場に戻っていく。そちらではこの場よりもさらに困難が待っているとは気が付かず。
「気持ちの良い子ですね。」
「ええ。」
アナに早速とばかりに頭を掴まれている様子を見て、夫人が珍しくころころと笑いながらそう感想を口にする。
「難しい事もあるのでしょうが、今こうしてああいった子が育っている、それを喜びましょう。」
「全くです。ファルコにもいい影響があるようです。」
アナに捕まれ、アドリアーナに座らせられようとしている所に、ファルコが仲裁に入っている。まぁ、為政者として民の諍いの仲裁は大事な仕事ではある。あまりにミクロな事象ではあるが。
「オユキから、色々と話をしているそうですね。」
「老婆心ではありますが。こちらの時世に疎いので、修正はお任せすることになりますが。」
「流石にそこまで任せきるほど耄碌はしていませんとも。それにしても、急ぐ理由は、何か用意があると、そう考えての事ですか。」
その公爵夫人の言葉に、オユキとしてはただ頷くしかない。
闘技大会、巫女二人。それで行うべき戦と武技の祭りなど、想像は容易だ。
「衣装と武器、どちらもあるのではないかと。」
「それを神殿に納めに行く、そういった体裁を使う前提ですか。」
「ええ。言い訳は、納得のしやすいそれは、誰にとっても重要でしょう。」
そう、そしてそれらをここで使い、改めて神殿に運ぶといった名目で巫女が神殿に向かう、そうして世俗のわずらわしさから逃れよと、そういう事であろうとオユキは考えている。
無論外出に際しての手間が全くなくなるような物では無いが、それにしたところで毎朝トモエが髪を整える、それにひと手間加わる程度でしかない。
自分でとそう考えはするのだが、生憎と未だにトモエの手から離れることは出来ない。この屋敷には化粧台があり、改めてトモエと共に鏡を使って、自身の見た目というものを確認できたのだが、ではそれをしたうえでどう髪を纏めればいいのか、それについてはさっぱり分からない。
いざトモエにされれば似合っている、他人ごとのようにそう思いはするのだが、己の事としてやれと言われてしまえば手が全くと言っていいほど動かない。
「明日には確認を行います。恐らく明後日の事になるでしょう。」
「そうなりますか。お手数かけます。」
さて、こちらの人々のフットワークが軽い、そういうべきなのかそれほどに神の存在が重いのか。両方だろうとは思うのだが、さて、王妃の同行、それをする身としては作法は間に合わないだろうから、何かの譲歩は得たいものだと、そんな事を考えてしまう。
目の前で少女たちにやり込められるファルコ、それを見た公爵夫人のため息を聞きながら、オユキはそんな事を考える。