第31話 宿の娘
「そんな怪我をしてさ、外って怖くないの?」
オユキをスツールに座らせ、フラウはその隣に並ぶように腰掛け、そう質問をする。
そして、すぐに何かに気が付いたように、立ち上がる。
「あちゃー、そのままだと、髪が床についちゃうね。ちょっと待ってね。」
そういうと、おかーさんと、声を上げながら、先ほどの女性が姿を消したほうへと、パタパタとかけていく。
その姿は、孫娘の一人を思い出させ、オユキに笑みをこぼさせる。
そして、オユキは言われた言葉に、自分の、この姿になってから、足首にかかるほどに長い黒髪を手ですくう。
オユキ自身は、特に気に留めることはないが、これが床につくというのは、問題がある行為なのだろう。
加えて、乾いた土が先のほうに、枯葉の欠片らしきものも絡まっている。
確かに、清潔ではないな、そう考えた、オユキはそれをはたこうと思い、室内だと思いなおす。
オユキは立ち上がり、外に出ようとすると、そこにまた、跳ねるように駆けるフラウが戻ってくる。
「どうしたの?どこか行くの?」
「いえ、今見れば、髪が汚れていましたので、外で簡単に落としてこようかと。」
オユキがそう伝えれば、フラウがオユキの背後に回り、その長い髪を持ち上げる。
「あー、そうだね。じゃ、こっちきて。」
そういうとフラウは、オユキの手を引く。
その力は、オユキが思うよりも強く、足を庇うためか、少し躓きそうになる。
その様子に、厨房から出てきたのだろう、女性の、フラウの母親の声が響く。
「フラウ。怪我人を引っ張りまわすんじゃないよ。」
「あ。ごめんね、足が痛いんだよね。」
言われると、これまでの元気さはどこへやら、途端にしゅんとする。
「いえ、軽くひねった程度ですので、そこまで大きいものではないんですよ。」
「だからと言って、悪くなるようなことをしていい理由にはならんさね。」
オユキのフォローに、女性が言葉を重ねる。
その言葉には愛情を感じられるが、それ以上に、まったく粗忽なのだから、そういった嘆息が含まれている。
「いえ。私が髪の汚れを、気にしたせいでもありますから。」
そうオユキが言うと、女性がオユキをじろりと一瞥する。
その視線に鋭さはあるが、攻撃的なものではない。
「まぁ、その長さで、纏めもせずに外に出れば、そうなるだろうさ。
ほら、フラウ。この紐を使ってあげな。それと、洗い場に案内するにしてもゆっくりやりな。」
「はい。お母さん。」
そういって、束ねた紐だろう、それを女性がフラウに投げる、そしてフラウはそれを過たずにつかむ。
「申し訳ありません。お手数を。それとご厚情に感謝を。」
オユキがそういって頭を下げると、女性は他をひらひらと振ってこたえる。
「子供がそんなに気を回すもんじゃないよ。まったく、うちの娘も、あんたくらい落ち着きがあればいいんだけどね。」
「ひどーい。これでももう大人だよ。」
「そう返す間は、まだまだ子供さね。」
そういって女性がからからと笑いながら、また奥へと姿を消す。
それを見送って、今度は掴んだままの手を軽く引きながら、フラウがオユキに声をかける。
「じゃぁ、ほら。こっちだよ。」
「その、お忙しいのでは?」
当たり前のように、世話を焼いてくれるフラウに、オユキはそう声をかける。
「いいから、いいから。お客さんのお世話をするのも、私の仕事だよ。」
「そうですか。それでは、お手数おかけいたしますが。」
「ほんと、丁寧だよね。どこでそんな言葉を教えてもらったの?
髪も長くてきれいだし、ひょっとして、何処かいいところから出てきたの?
まさか、あの男の人と駆け落ちとか、わー、素敵。ロマンスだね。ロマンスの気配だよ。」
その言葉に、オユキとしては、苦笑いを言葉を漏らすしかない。
駆け落ちではないが、関係性は正しい。
そして、こうしてそれに思いを馳せ、楽しそうにしている娘、それの邪魔をするのもどうだろうか。
見た目はともかく、精神性に関しては、やはりオユキは孫娘を見守るような、その気持ちを捨てることはできないのだが。
「ええ、こうして、認めていただくほどに。」
オユキにしても、こうして再びここで出会うことができ、また、一緒に歩くことのできるトモエ、その関係は誇れるもので。
つい、年甲斐もなく自慢したいと、そういう気持ちが沸き上がり、その証拠となるものを取り出して見せる。
「おー。こんな素敵なものを、贈ってもらったの。
いいなー。私も素敵な人に、指輪を貰って、愛の言葉を送ってほしいなぁ。」
ただ、フラウには、その功績がどういうものかは伝わらなかったようだ。
一目見て、それがなにか分かったアーサーの教養を誉めるべきか、それともこれがこの世界の平均なのか、オユキには判断が付かないが、それでも正しい知識を教えることにためらいはないが。
そもそも、その証は、オユキからトモエに贈ったことはあっても、その逆はなかったことでもあるし。
それが、愛情を示されなかった、そういうわけでもないのが、説明の難しいところだ、オユキはそんなことを考える。
トモエから贈られた、その夢を壊すことには、少しの罪悪感を感じながら、オユキは言葉を返す。
「その、これは功績の一つで、創造神様にお認め頂いたものなのです。
比翼連理、互いに翼を貸す鳥、異なる木でも絡まる枝、切っても切り離せない、そんな関係を示す意匠です。」
だが、夢を壊すかもしれない、そのオユキの心配は杞憂だったようだ。
それを告げると、少しおとなしくオユキの手を引いていた、そんなフラウは、オユキの手を振り回すように声を上げる。
「素敵。素敵だね。創造神様に二人の関係を認められるなんて。」
高い声で、叫ぶようにそう言うと、また弾む様にオユキを引っ張り始める。
「ねぇねぇ。聞いてもいい。話してもらってもいいの?
二人の間に、どんな素敵な話があったのか。」
そう、好奇心を一切隠そうとしない娘に、オユキは少し早まったかもしれない、そう思いながらも、時間がある間はと、そう答えるのだ。
事実、自分の子供や、その孫に、これまで何度となくトモエ、妻との馴れ初めを語ることはせがまれていたのだから。