第281話 二人の時間
さて、いつものように入浴を、会食の後そうなったのだが、未婚の男女がと慌てたメイにオユキが連れ出されたため、二人の時間は同じ部屋でとなっている。
それすらもかなり厳しい顔をされはしたが、これまでもあるしベッドは別と、それで一先ず決着は見た。
そもそも半世紀連れ添った相手であるし、功績もあるからとごり押したともいうのだが。
「こちらの貞操観念は、町並み相応という事でしょうね。」
「さて、事実そうであれば、こういった場所を離れれば愉快な事になっているはずですが。」
貴族はともかく市民、そこにまで目を向ければ時代における貞操観念など碌な物ではない。
最も生物、種としての必要性であったり、状況に合わせた道徳、普遍性の無い社会としてのそれではあるため、どうこう言うつもりもないのだが。
それでも、二人の時間、それだけは守ると二人とも押し通しはするが。
「まぁ、それは良いでしょう。あまり楽しい話題でもありません。」
ナイトキャップが当たり前のように用意され、それに口を付けながら話す。
「トモエさんは、本当に良かったのですか。」
「ええ。技とそれを磨き上げた先達、それが軽んじられているというのなら。」
「効果があるかは、いえ、神がいる以上は確実にあるのでしょうが。
その、面倒も相応に呼び込みますよ。」
そう。トモエが活躍する、それはオユキも嬉しい。
他流試合などそれこそ前は無かったが、道場の中では行われ、そこで見たトモエの技の冴え、それはオユキにとって心躍るものであることは間違いなかったのだから。
共通の師、亡き義父との試合などは、オユキ自身もそれこそ我武者羅に向かった物だ。
「公爵様では。」
「面倒をおかけしますから。織り込み済みと、その様子ではありますし、それもあってご令孫をとのことでしょうが。しかし、そうなると成果を求められます。」
「ああ、成程。流石に、わざと負ける気も、負けさせる気もありませんが。」
「分かりました。」
そう、トモエは何処まで行っても真摯なのだ、武の道に。そこに政治を介入させる気は毛ほどもないだろう。
さて、戦と武技の神、気を利かせてくれればいいが、そう思いはするものの、望めばまたお使いと共に叶えられそうでもある。もしくは初めからそうなっているのか。
「それにしても、失伝の理由は大きく3つですか。」
「いえ、もう一つ。」
そう昼間の話で分かったこともある。保護する余裕がないのだ。だからもう一つ。
社会がそう向けたのだ。
「昼間、伯爵夫人が芸事の保護、それを今後としました。つまり社会、そのかじ取りをする身にとって、そんな事よりと、そういった価値観を根づかせているのでしょう。」
「それが根底にあり、総合として、そういう事ですか。」
「予測ではありますが、間違ってはいないでしょうね。」
そもそも間違いがあれば、トモエも気が付いている、その相手がさりげなく用聞きの素振りでノックをするだろう。
無論、常より声を少し大きくしているのは、相手に気が付いている、そしてこういった事を考えていると、そう伝えるためでもあるのだが。
「オユキさんは、どうしますか。」
少年たちはトモエが経験だからと参加させるだろう。
そうなれば、オユキも考えなければいけないのだが、難しい。
「恐らく、参加は求められます。巫女ですから。」
しかし、オユキが望むと望まざると、まぁそうはなるだろう。
「形式は分かりませんが、正直今トモエさんと競うのは望んでいないのですが。」
考えている事、やろうと思っている動き、アイリスもそうであるように、当然すべては見せていないが、だからこそ己の不足もオユキはわかる。
動けないだろう、そのようにはと。
そしてそうであるなら、まさしく大目録、皆伝、その差を示すだけのものになる。
そこに、それに、オユキは意義を見いだせない。トモエとの戦いではなく、行われるのは、ただただ武、技、それを示すため、演舞の域を出ない物になるだろうから。
「勝とうとは、望んでくれませんか。」
「望んでいます。以前の様に、必ずと。」
そう、だからこそ。今ではない。
「ままなりませんね。」
「では、オユキさんは使命が無ければ不参加としましょうか。」
大きくため息をついたオユキに、トモエが笑いながらそう話す。
「良いのですか。皆伝の師範、門徒として示せとそう言われれば。」
そう、そしてここにもあるのだ、そういった関係性は。
「どうしても、よほどのことが無ければやることになりますから。アイリスさんには残念な事でしょうが。」
「それにしても、タイ捨ですか。確かにこちらの獣人種、私たちとは比べ物にならない位恵まれたしなやかさを持つ者たちにとっては、非常に有用な物でしょうね。」
「ええ。しかしそれも含めて、そこまで伝えられるほど、その技が途絶えた、その事には憤りを感じざるを得ませんが。」
そういうトモエも、それが許されなかった背景は分かっているのだろう、言いながらもその表情はただ苦さを浮かべている。
「騎士団、そこでだけ、つまり。」
「ええ、継ぐことが、維持でも、必ず繋げるからこそでしょうね。武門の方も、申し訳ありませんがアイリスさんとイマノルさんを見る限りでは、期待できません。」
「こちらにご実家があると、そのはずですから。」
そう、この度の催し、それで彼の顔を見る事になるだろう。
枠が絞られれば、一門からはこの人数だけと、そうなってしまえば分からぬが。
「さて、別れて二月あまり。加護がある以上勿論成長もあるでしょうが。」
トモエはただ、その上に変わらず胡坐をかけば、思い知らせると、そう笑う。
「理合いを見るに、宝蔵院でしょうが。」
「ええ失われた者でしょうね。今も残るものとは工夫以上の差がありましたから。」
「本来の得物を持つでしょうか。」
「アイリスさんもそうですが、こちらに合わせてとなるでしょうね。ハルバード、でしたか。形の近いものもありますから。しかし、そうですね、きちんと十手詰めまでが正しく伝えられているかですね。」
「トモエさんは、どこまで見せる予定ですか。」
未だ少年たちにも伝えていない。弟子ではないのだから。
そもそも目録は型が出来て当たり前、それを用いて流派の理合い、それを叶える技、流れまで書かれて目録なのだ。
準備運動、その理由はそこに在る。
実際の鍛錬は型を当たり前のように使え、それの応用を実践稽古の中で使えるようになるまで。それが始まりなのだから。
「見せる、その必要を感じられれば、そう言ったところでしょうか。
そうですね、もし決勝までにその機会に恵まれなければ。演武に付き合って頂く事になるでしょう。」
「決勝の前には。」
それは流石に、そうオユキとしても思ってしまうが。
オユキ自身、同じ言葉を言うしかない。だからこそ、この疑問は今も話を聞いているものの代わりに。
「己のこれまでの不足を恥じていただくしかありませんね。私程度にそう扱われる、その事実と共に。」
「まぁ、そうなりますよね。」
そうして二人でただ笑いあう。
少年たちは、さて、どの程度まで行けるだろうか。
そんな楽しみはあるものの、改めて彼らは今習い覚えているものが人相手に特化したもの、それを実感することだろう。
それも楽しみではあるが、他にも楽しみはあるのだ。
「これで、ようやく一つ、ですね。」
「はい。時間がかかったというべきでしょうか、早かったというべきでしょうか。」
「私としては一年に一つくらい、そう考えています。」
「片道だけで随分と、そういった場所もあるようですからね。」
「そこは少し、工夫を考えるつもりではいますが。」
流石に、ここまでの不便を享受し続けるつもりはない。
これまでのプレイヤー、異邦人が行う事が出来なかった理由、それについてはオユキにも心当たりはある。
少々、残酷さというのは垣間見れるものだが。
強いて言うならば、現在もこちらに居るだろう元団員達、そちらについて、王都から戻ったあたりでミズキリに尋ねる事になるだろう。
半分ほど、そう言ってはいるし、何くれとなく連絡を取っているといったが、果たしてそれが何人なのかと。
どうにも、トモエと一緒にいる、そのことに対して気遣いがあるように感じてしまう。
生前折に触れてトモエがミズキリに棘を、それも他の妻たちもまとめて、刺した事が有ったが、それも引きずっているのだろう。
話した感じでは、ミズキリは正しく、オユキよりも先に旅立った、そのミズキリであるだろうから。
つらつらと、考え事を頭の中で回していると、慣れた感触に気が付く。
どうにも、一人で考え事にふけっていたらしい。
「難しい顔をしていましたよ。」
「申し訳ありません。少々、改めて状況の整理をしていると、つい。」
「どのような事か、お尋ねしても。」
「簡潔に言うなら、並行世界、でしょうか。」
端的にそう告げれば、正しく伝わったのだろう、トモエも少し考えて頷く。
「トラノスケさん、ですか。確かにお伺いした内容よりもかなり年若い印象ですね。」
「ええ。私の知る彼、そうではないでしょう。」
「どうしますか。」
「あの町は守られる、その保証は頂けたので、問題ないでしょう。」
そう、彼が、トラノスケが突然町を移動する、そう言わない限りは。