第272話 目標は遠く
「ようやく馴染んできましたね。」
王都に向けて、かかった靄が徐々に薄まり改めてその威容をのぞかせ始める、そんな距離まで周囲の護衛から手ごろな魔物を回してもらいながら歩いていれば、トモエが改めてそんなことを呟く。
それこそ、来たばかりの頃は二月もあればなどと言ってはいたが、移動も重なり、加護も少し持て余していたことも有り、3ヶ月が過ぎた今、ようやくそう言える程度になってきた。
「トモエさんもですか。」
「はい。もう少し早くどうにかしたかったのですが、何分。」
「私は動きを大きく変えているので、もうしばらくかかりそうですが。」
トモエの言葉にオユキがそう返せば、側でグレイウルフの血と脂を拭っていたシグルドとアナが不思議そうな顔をする。
少し説明はしたはずだが、流石にあれだけで分かるほどでもなかったのだろう。
「以前話しませんでしたか。私とオユキさんは異邦よりこちらに来るにあたって、かなり若返っていますから。」
身体的な変化は言及せずにトモエがそう告げれば、少年たちは要領を得ないと、そんな顔をする。
「向こうでは、それこそロザリア様よりも年かさ、そのような状態でしたから。
急に体が動かせるようになると、流石に勝手が変わりますからね。」
「まじかー。」
トモエがそう具体的に話せば、シグルドがただ空を仰いで、茫然と呟く。
「その、トモエさんも、オユキちゃんも、馴染んできただけなんだ。」
「十全にと、そうなるのであれば、この調子だとまだ同じだけの時間がかかりそうですね。」
「えー。」
トモエの言葉にアイリスが護衛中に珍しく、耳だけでなく体ごと振り返っているが、そちらは置いておいてまた通されたグレイウルフを無造作に切り捨てる。寄ってきた、そう判断した時には未だに引っかかるような感覚だけは残るが、それでもこれまでの様にどう動こう、そう考えずとも体が動き、首を落とす。
馴染んだ、これまでの様に何から何まで考えずとも、少しの事は手癖、慣れとして出来るようになった。
だからこそ、より敵への集中を行う事が出来る。その結果として。
「これまで、そんだけやれてて。」
「えっと。その。特に変わったように見えませんけど。」
「そうなるように考えて動いていましたから。今はその余裕を他に回せると、そういう事です。」
「嘘だろ。」
相も変わらず魔物を討伐すればトロフィーが散乱するあたり、改めて説明をされたことを思い出さずにはいられない。
そもそも一般の狩猟者は3ヶ月ほど丸兎を追いかけ回すことになると、そんな話を。
つまり、このトロフィーの一番大きな理由は、そういう事であるらしい。
一方で騎士や傭兵はそもそも監督役が常に付く。新人にしてもその監督を受けながら徹底的に絞られ、鍛錬を行い、それで十分と、そうならなければ、魔物の討伐には加えられない。
最も不足を知って狩猟者が傭兵ギルドに駆け込めば、2週間もみっちり叩き込まれて、丸兎何程の者ぞとそうなるらしいのだが。
「皆さんも、まだ少し動きが硬いですね。王都に付いたらまず素振りですね。」
「あー。まぁ、毎日やってはいたけど、それでもずっと馬車だとなぁ。」
「そればかりは、どうにもなりませんよね。」
オユキも護衛の都合もあって少々場も狭いからと、慣れた型通りに長刀を振りながら話に加わる。
「それでも、グレイウルフは一体なら問題なさそうですね。」
「そろそろ鹿も単独で行けそうですし、このあたりの魔物はちょうどいいかもしれません。」
「おー、そっか。」
「あのな、お前らグレイハウンドが初心者の壁だからな。グレイウルフ狩るのは中級に片足入ってからだぞ、狩猟者なら。」
護衛としてルイスがついてくるものかと思えば、色々と王都に慣れているアベルが今回は傭兵の取りまとめとして出張ってくることとなった。
そんな彼は、トモエたちの側で魔物を適宜間引いている。
「いや、一対一なら案外何とかなるんじゃね。」
「ね。動きもかなり速くなってるから、囲まれたら多分私たちは無理だけど。」
「そりゃそうだろうがな。」
「って言うかあんちゃんもそうだけど、回避重視だから実際どの程度なら、うっかり攻撃受けても大丈夫か分からないんだよな。」
しかしそんなことを口にしたシグルドはトモエにその頭を刀の柄で小突かれる。
「うっかり攻撃を受けるとは何事ですか。それは油断以外の何物でもありませんよ。」
「ああ、うん、そうだよな。でも、こう、回避できない状況とかって。」
「そもそも、そうならないように考えて動くものです。」
「ま、そうなんだよなぁ。良し。」
そういってシグルドが武器の手入を終えて前に出る。
するとトモエが少し下がり、間もなく新たな獲物が彼の方へと回される。
魔物の相手に人の理合いはどうか、そんな事を考えもしたが今の所は常識的な、真っ当な物理による攻撃のみ。十二分に応用は聞くものであるし、人より大きいものはいるが、それこそ武技も合わせれば問題は無い。今の所はその程度でしかない。
それこそダンジョンの奥、そこにいた巨大な変異種。出立の前に一度だけ試しにと作られたダンジョンで徘徊していた中型種。その辺りを相手にと考えれば、理合いも何もあった物では無いと、そのような敵であったが。
「私もまだまだですね。」
トモエがそんなあれこれを思い出して、そう思わず言葉が零れれば、隣に立っていたセシリアからひどく不思議そうな顔で尋ねられる。
「えっと、トモエさんが十分って、そう思うのはどのあたりなのでしょうか。」
「分かりません。それを探す道が武の道でもありますから。」
「なんだか修道の位の人みたいな言葉ですね。」
道を求める、修める、そこには何か共通するものが有るのかもしれないと、そんな事をトモエが考えている間に、少々危なっかしくはあるがシグルドがグレイウルフを討伐しきる。
まだまだ刃筋が立ってきたばかり。どうにも以前の世界には無かった何かが働いているようで、毛皮は滑るし、硬い。相応の精度で攻撃するか、力で叩き潰すか。そのどちらかでなければ守りは抜けないのだ。
「にしても、よくもまぁ、あんなずぶのど素人が3ヶ月でここまでになったもんだよなぁ。」
最初に傭兵ギルドに訓練の場を、そう求めたときにはアベルに一瞥と共に片づけられたものだが、今となっては彼から見ても見どころがあると、そう映るらしい。
「この子たちも真剣に取り組みましたから。」
「まぁ、な。」
そんな評価を聞かされているシグルド以外の面々は少し気恥ずかし気に、それでも嬉しそうにしている。
「それにしても、何とも立派な物ですね。」
「一番新しい外壁。アレが確か200年前だったか、完成したのが。」
「よくもまぁ、ああも大きなものを。」
距離感がうまくつかめない、そうなるほどに巨大な壁がそびえたっている。何もそこまで高くせずとも、そんな事を考えてしまうが、何か必要性はあっての事なのだろう。
門の前に見える影、壁の周りを動く他の人影らしきもの、此処からの道行きにまばらに見える人影、そのような物を考えれば20メートル、間違いなくそれ以上はあるだろうとそのような大きさなのだから。そして、その奥には城なのだろう、未だ靄の向こうではあるが、その影だけはみることができる。
「ま、国内で最も大きな都市だ。」
「都市の中に都市がある、そのような予感もありますね、こうなると。」
「ああ、それで正解だぞ。」
「そうなると、魔物を狩りに少し外へ、そうするのも難儀しそうですね。」
「馬車が無けりゃどうにもならんだろうな。一応壁の中で全力で走ることは禁止されてるからな。」
「事故の元ですよね。馬車ならまだ気が付けるでしょうし、大通りの中央だけとなっているでしょうから。」
それこそ馬車より早く走る、前の世界の車と比べてもかなり速い、そんな人間が町中を全力で走り回り、万一加護をろくに持たない相手と接触すれば、それはもう即死だろう。
「ま、なんにせよあと3時間ほどでつきそうだ。向こうの馬車の中身も、そろそろ一息付けてるだろうよ。」
そういってアベルが見る先には、ここまでの道中を共にした貴人。それと水と癒しの教会から招かれた助祭リザと数人の手伝い役の修道士、修道女。
「そうだといいのですが。それにしても、神殿が近いと聞いていましたが。」
「神殿勤めができる人間は限られてるからな。」
「オユキさんはそのあたり、どういった予想で。」
「耳が多いですし、この場では止めておきましょうか。」
トモエの疑問に対してオユキはただそう答える。
「それに今日の夜にでも、答えは頂けますよ。」
トモエにもそのことについては心当たりはあるが、何処か悪戯気な空気にとりあえずオユキの頬をつつくこととして置いた。