第1224話 伝えた後に
オユキにとって、鍛錬の時間というのはやはり楽しい物であった。
特に、今度ばかりは新しい拳の形を伝えるためにとトモエがオユキに寄り添って手を取っていたのだ。
勿論、己の師から伝えられる事であるために、真剣に話を聞いていたには違いない。
慣れた者が聞いたのなら、側に控えることが常になってきているシェリアとエステールが聞いても、オユキの五丁というのが常よりも華やいでいたことだろう。
トモエにしても、少年たちに教えるのとはまた違う語調であったことだろう。
だからこそ、とでも言えばいいのだろうか。
「邪魔をしたのは、謝るわ」
「ご理解いただけているのであれば」
「それでも、降臨祭に向けてやらなければならないこともあるのよ、私にも」
「王都ですから、同族の方も」
「多いけれど、あくまで同族なだけよ。私が出来ることが出来るわけでも無いもの」
その位の理解はお前にあるだろうと、アイリスがオユキに告げる。
「でしたら、尚の事」
「貴女の言い分も分からないでもないけれど、祖霊様からのご指名だもの」
トモエから新しい拳の握り方を、まさに手取り足取り習いながら。
暗器の取り扱いを、これまでの拳の握り方に合わせるのだとすればどのようにするのかと併せて習ってみれば。
屋敷に逗留している武国からの巫女を連れて、アイリスがトモエとオユキが鍛錬の場としている庭に顔を出した。
あくまで居候とはいえ、ユニエス公爵家から預かっている客人扱いでもあるため、家主がおらずとも色々と使用人たちへと申し付ける事は出来る様子。
アイリスからの要望があったからという声かけこそ行われていたものの、後でも良いだろうとオユキが流したからと言う訳でもないのだろう。
アイリスがヴァレリーを連れて庭先に出てきた時点で、トモエとオユキの時間は終わりを告げた。
早々に鍛錬の汗を流すために、トモエもオユキも屋敷の中に連れていかれ、身なりを改めて整えた上でこうして席に臨んでいる。
お茶会というには、少々重たい食事を供にする用意を整えた上で庭に並んで用意されている四阿へと足を運んで。
そして、その席にオユキも来るようにと実に簡単に声をかけてくれたものだ。無視などできるはずも無いと、理解したうえで。
そもそも、アイリスの好む食事というのは、オユキにとって好ましい物ではない。
トモエは確かに好むのだろうが、用意されているだろう物は脂の滴る焼いた肉を主体としたもの。
実際には、ヴァレリーにしてもアイリスほどでは無いにせよ随分と健啖家でもあり、トモエ程度には食事を行う。
「それに、貴女今日はまだでしょう。少し、時間が過ぎているからと言われたこともあるのよ」
すっかりと昼食の時間をトモエとの鍛錬で過ごしていたこともあるのだろう。
どうにも、お茶会というには似つかわしくない食事の類が用意されたのは、そうした背景もあるらしい。
「ですが、近頃は」
「私にしても気を使って、という程ではないけれど、確かに別々でと言う事が多かったものね」
「はい」
オユキが、アイリスの好む食事が得意ではないからと、基本的には分けられていたのだ。
トモエにしても、オユキが苦手な食事を楽しむ時には、席を分けているというのに。
「少し、話もあるのよ。言われていることも」
「あの、まさかとは思いますが」
「流石に、今日はないわよ。準備も足りないもの」
「準備を行えと、そのように聞こえますね」
トモエに手を取られて、オユキが改めて腰を降ろせば、エステールの手によって早々に場が整えられる。
成程、昼食も兼ねてと言う事であれば、確かにこのような用意にもなるだろう。
ワゴンには、これまでに買い求めていた銀食器。
外で、気軽に使うためにと用意している茶会用の物ではなく、あまりにも露骨な正餐用の一式。
オユキは気が付いていないのだが、トモエが買い求めた茶器に取り分けるための皿も用意されてワゴンの上に。
クローシュで覆われたいくつかの料理だろうものも併せて。
「オユキ様は、その、トモエ様といつもあのように」
「いえ、いつもと言う事はありません、残念ながら」
「そうですね。改めてオユキさんが印状をというのですから、私としてもきちんと時間を取らねばならないとは考えているのですが」
「いえ、その、戦と武技の神より同じ位を頂いておりますので、すこし」
「素手の扱いも、彼の神の範疇かとは思いますが」
いったい、この年若い、見た目に関してはオユキよりも上ではあるのだが、この巫女はいったい何を言っているのかとオユキは首をかしげて。
そして、そんなオユキの前にまずはとばかりにアミューズと一緒に葡萄の果汁が用意される。
もっとも、オユキの物以外はきちんと葡萄酒なのだが。
「その、オユキ様とトモエ様は」
「かつての世界でもそうであったように、こちらでも。私が未だに未成年扱いですので、今度の新年祭の折に改めてとなっていますが」
他の者達とは違うグラスの中身を軽く示して。
オユキが己の年齢を自覚したからか、いや、自覚させるためにとこれまでの期間で酒を供する場への参加が求められなかったのだなと、今となっては分かり易い。
酒量に関して、寄り親に報告した折に随分と心配されたこともあり、そちらからの配慮かと思えば異なる理屈も実に多かったらしい。
オユキは近頃、そのあたりを理解したうえで振る舞う事が増えてきている。
そもそもが、お披露目も前だというのに当主でもあるという現状。
かなり特殊な状況下でもあり、成程、だからこそ家名を与えられる折にも、紛糾したのだと納得も言った物だ。
そして、そのような者が細かく連絡を取る相手が特別視されているのだと子雀がはやし立てるというのも。
どうにも、オユキの振る舞いに付随する政治的なあれこれが遠いながらもやけに多いと感じるのはそうした部分もあっての事だと。
「私は、慣れない形ね」
「アイリスさんの暮らしている場所とは、また組み立てが違いますから。ヴァレリー様には、慣れた形式でしょうが」
武国から来たのだからと、オユキから。
早々に本題に、それを考えないでもないのだが、生憎と侍女たちの目もある。
他国の賓客二人、それをきちんと持て成して見せろとエステールの目が語っている。
「そう、ですね。こちらでは、あまりこうして日の高いうちからというのは無いようではありますが」
話ながらも、どこか嬉し気に。
そもそも、こちらの世界であれば中毒症状などが出る事も無い。
発酵したからこそ生まれる、味の奥行、強さを増した香りをより楽しめると言う事だろう。
生き物に対して、酒精というのがきちんと悪さをするのは、嗜み程度にせよと言う事なのか、かねてからの酩酊感というものが齎す脳への作用という物が神々へ繋がるために必要だと感じられているからか。
オユキは、相も変わらず思考で遊びながらも己に用意されぬ嗜好品に思いを馳せる。
一応、トモエの為にと、噛み酒でもあるため他に飲ませる気も無いのだが、用意が進んでいるそちらもある。
そのお披露目の日程として、今度の降臨祭を機会にと考えてはいるのだが。
「私のところでも、あまり昼間からと言う事は無かったわね。冷える夜に対するために、それ以外だと祭りの為にというのが多かったもの」
「そういえば、テトラポダに関しては想像だけで話をする機会も多かったのですが」
「あまり齟齬が無いようだから、いいのではないかしら」
「少しはあると、そうした話ですね」
「難しいのよ、私たちのところは。ハヤト様が来られて、その時には不都合が無い様子ではあった物、私たちの種族は、テトラポダの中でも毛色が違うのに」
「だとすれば、私たちの出身にしても、そちらにまとめられていそうなものですね」
あくまで、前菜の前に出される簡単な物でしかないため、クローシュを外してすぐに次のオードブルが供されるのだが。
「オユキさん、一応は正式なコースとなっているようですから」
「確かに、オユキにはかなり量が多いのかしら」
盛り付けられている物は、ラタトゥイユに何某かの魚を使ったタルタル、さらにはレバーペーストが乗せられているカナッペの三種類。
かつてであれば、成程この程度か等と考えることが出来る程度ではあるのだが、今のオユキにとってはやはりこれを口にしてしまえば、後に続くものが難しくなると考えてしまう物。
特に、アイリスに気を使ってと言う事なのだろう。
オユキの苦手としている物ではなく、こうして冷製として存分に肉を楽しむための品を用意してあるところを考えてみれば、確かにと思う所はあるものだが。
「前々からの事ですが、オユキ様は、本当にその程度の量で」
「私としては十分と、そう思えるだけを頂いているのですが」
「オユキさん、無理に食べてと言う事もありましたが、その結果としてさらに減るのですよね」
これまでにも、成長の為にと無理に口にしたことはあれど、その結果は惨憺たるもの。
寧ろ、そのような無理がたたって、今にしても食が細いままなのだ。
「それにしても、成程。こうも続くとなると、思い出すこともありますね」
「オユキさん」
「あれは、さて、二度目でしたか」
そして、アミューズとして出されたトマトとズッキーニの肉詰めとでも言えばいいのか。
こちらに来てからという物、野菜の類にしても随分と大きい物が多いとオユキは感じていたものだが、きちんとミニトマトはあるらしい。
「オユキさんも、よく覚えてくれていますね」
「あれは、初めてトモエさんからでしたし」
「そういえば、そうでしたね。以降は、私から度々強請る事になりましたが」
オユキが勤め始めて、暫く。
二人での旅行などは、いよいよきちんと籍を入れてから。
暫くは、トモエにしても己の鍛錬もあるからと、移動が短くて済む国内ばかりを選んでいたものだが、たまにはと、そうして言い出したこともある。
かねてから呼んでいる書籍にしても、幼い頃に読んだ書籍にしてもそちらを舞台に選んでいる物が実に多い国。
そこに訪れたときに、初めて口にするかの国の料理として出てきた物、鮮烈な記憶として未だに残っている流れ。
アルノーにトモエが相談してみれば、家庭料理に近い物なのだと、そうした前置きと共に。
「だとすれば、次に出てくるのは」
「想像通り、だと良いのですが」
トモエが伝えていた、彼の生国で食べた中でも今も記憶に残っている料理の組み立て。
それを今この場でしてくれるのかどうかは、流石にトモエの知るところではない。
だが、どうだろう。
量に対して、何処か辟易とする様子を見せていたオユキが、これから出てくるものをきちんと楽しみにできる程度には、食べる事に対して苦痛を覚えなくなる程度にはきちんと効果を見せている。




