第1216話 お説教
クララとの気分転換の時間は、確かに互いに楽しめるものとなった。オユキには、流石にさして顔を合わせていないクララの考えなど解る事も無い。だが、それでも表情にはっきりと浮かんでいる充実、それを見過ごすほどでは無いのは確か。
互いに納得がいくかと言われれば、結局オユキはクララに居付けを行われ、逃れるためにと技を駆使する暇すら与えられず。オユキの失言、この場での結果を、己の伴侶にするのだとそうした宣言がクララに過剰な熱を与えてしまったがために、かつてのトモエと同じ結果を得る事となった。
結局のところ、トモエでさえも力で覆される程度の技しか修めていないのだ。
それよりも、実際はともかくとして、現状として劣るオユキは言わずもがな。
かなり力を込めた上で、オユキはクララに動きを制限されて。そして、オユキがそこから逃れようと小技を使って見せれば、クララはその一切を力でもって制するといった流れが生まれてしまった。
結果として、クララの腕力、膂力に振り回され、弾き飛ばされながらそれでも果敢に、己の間合いの内に、クララの間合いの内にと考えて動き続けて。当然、その様な事をしていれば、服は砂埃にまみれ。クララ自身にその心算は無いにせよ、戦闘という流れの結果として、オユキの身に付けている衣服というのはなかなかな事になっていく。砂にまみれる、だけならまだしも土が衣服のあちらこちらにつき、オユキ自身が己の衣服すらも道具だと言わんばかりに使うからこそはたから見た者たちが、口を噤むほどの惨状がまたもたらされるという物だ。
方や、鎧を装備しているクララ。
他方、着の身着のままという程ではないのだが、先ほどまでの着せ替え人形役を全うした結果としての洋装姿。
言ってしまえば、鎧姿の成人女性が、少々おめかししている子供を追い立てているどころか振り回し、追い詰めているという状況に。さらには、宜しくない事に、この場は言ってしまえばマリーア公爵の用意した場でありファンタズマ子爵家へとされていた屋敷でもある。勤めている者たちというのは、当然言い含められていることもあるのだろう。そうした、剣呑な視線を、クララに向けられる敵意に加えて、オユキに向けられるいい加減にやめる様にと、そうした視線にしても一先ず無視をしたうえで。公爵夫人が、それこそ制止をするまでの間はとばかりに無視をして。
その結果とでも言えばいいのだろうか。
「良いですか、オユキさん。遊ぶな、とは言いません。今日の事、凡そ私が出ている間に起こっただろうことというのは、想像がつきます。その鬱憤を晴らすなとも言いません」
そして、オユキは今ナザレアに着替えさせられたうえで、勿論、エステールを筆頭に徹底的に洗われた上で着替えさせられて。そして、トモエの前に引き立てられて、そっと正座をさせられている。
オユキにとってみれば、一体、だれがトモエに伝えたのか等と思わず場違いな事を考えてしまうという物だ。トモエにしてみれば、戻ってくるなり公爵夫人に苦言を呈され、オユキを洗い終わり、ナザレアに預けている間にエステールから今日何があったのかを滾々と説かれ。そもそも、こうして予定よりも早く戻ってきたのは、何やらオユキが楽しそうにしているなと、そうしたことを感じて戻ってきたところではあるのだ。アベルとイマノル、この二人の買い物の付き添い、その程度でしかなかったため、トモエとしてもオユキが公爵夫人にいったい何を伝えたのかが気になっていることもありアベルからの相談を受けた後にはほどほどに戻ってきたという物だ。
「ですが、正式な立ち合いでないというのなら、そこでは守るべき節度という物があります。オユキさんも、それでシグルド君に怒りを向けていたでしょう」
「それは、その、そうなのですが」
「いえ、少し話が違うというのは、私も勿論理解しているのです」
トモエとしても、上手い例えとでも言えばいいのだろう。オユキの説得ではなく、トモエに対してオユキをどうにかしろと視線を向けている相手に対して説明をしなければならないからこそ。今度ばかりは、トモエはオユキに頼るわけにもいかない。何せ、いままさにトモエがオユキに説教をしている場面なのだから。
「何より、オユキさん。衣装として着ていたものですが」
「ええと、これまでに言われていたことなのですが」
「そういえば、そうでしたね。いえ、これまではさておきまして」
どうにも、言葉だけになってしまえば、トモエはオユキに勝てはしない。
今にしても、流派として唱えている常在戦場、その理があるだろうと言われてしまえば、これもまた難しい。そして、先ほどから避けているトモエとしての言い分とでも言えばいいのだろう。それに言及する必要も出てくるではないかと。
そもそもが、オユキというのはいよいよトモエにとって特別なのだ。
なにも武から離れた部分だけではなく、武に関わることにおいても。
古くはトモエにとっての初めての、一人の内弟子であり。かつては、二人の内の一人。そして、今のトモエにとってもたった一人の内弟子と呼んでも良い相手。夜毎という程ではなく、少し前まではオユキが己の足で立ち上がることも難しかったために期間が空いていたのだが、ここ暫くはいよいよ毎夜のように二人だけの空間で楽しんでもいる。周囲からは、それもあって色々と疑惑の目が向かっているのは理解もしているのだが。
「師として窘めるのであれば、オユキさん」
そして、改めて己の内で師としての立場を決めて。
「欲を出しましたね」
オユキが指摘されたくないだろうことを。
言われたオユキにしてみれば、一体どこから見ていたのかと急に慌てたように。
「クララさんが加減を損ねるとは思えません。そうなったときに、オユキさんが挑発の為にと口に出した言葉、そこから加熱したのだろうと予測は出来ます」
加えて、オユキが、クララに対して挑発の心算も無く口に出した言葉には違いないのだ。
「私に対していい報告を、それは勿論嬉しいものです。ですが、嬉しい報告というのは、何も誰かを下したという事実にばかり限ったものではないのです」
「それは、ですが」
「確かに、かつてはオユキさんは他流派との試合などは行っていませんでしたし、内内での試合というのも、無くなって久しくはありましたがそうでない時にも私が褒めていたことがあるでしょう」
どうしたところで、背丈には差がある。そして、夫婦の寝室でも無ければ鍛錬のための場としている砂地の庭でもない。敷物が引かれた、今の一つ。一応は、トモエとオユキが寛げる様にと用意されている部屋であり、此処までの間ほとんどどころではなく、この後鞘の確認を行分ければならないからと、初めて利用する部屋で互いに膝を揃えて向かい合って。
「その、トモエさんはその場に」
「クララさんとだったのでしょう。ならば、オユキさんがどのように動いたのか、それを見せて頂ければ想像は出来ます。イマノルさんとは違って、クララさんはいよいよ騎士として一般的な動きを常々されていますから」
「トモエさんは、その」
「少し難しいですが、何が行われたかは分かりますし。それに、馬庭の手管についてはかつて私がお伝えしたものでしょう」
「そういえば、トモエさんの流派に一番近いものなのでしたか」
オユキから、改めて尋ねられてトモエとしても思わず言葉に詰まる。
そして、トモエの様子に、オユキは早々に根幹にかかわる事であり、あまり他の物に聞かせていい話ではないのだと理解をする。ならば、それに関しては後で尋ねるとして。
「ええと、その、確かにトモエさんに良い報告が出来ればとそんな事を口にしました。そして、そこから思いのほかといますか」
「ええ、オユキさんの言葉でクララさんも気が付いたのでしょうね」
そこで、ようやく腑に落ちたと言わんばかりにオユキが瞬きを。
クララにしても、オユキのその言葉で気が付いたには違いない。己がオユキを打倒できたのだとすれば、それをイマノルに話すことが出来たのならば。イマノルが喜ぶに違いないと、喜色満面とまではいかないにしても、彼は間違いなくクララをそこで褒めるだろうと。そして、クララはやはりそれを求めたのだ。
「その、挑発の心算ではこう、居付けに対抗するために使った技なども」
「どれでしょうか」
「燕飛のほうです。他は、今の体では少し制度に不安が」
「転とまでは言いませんが、今のオユキさんであれば幽や柳の系列でも良いかとは思いますが」
「こちらで一度も使っていないので、いきなりというのはどうにも」
「そういえば、そうでしたね。型稽古を行っているつもりになっていましたが」
トモエにしても、思い返してみれば色々と不足があるのも事実。オユキと二人、そのような時間ではすっかりとオユキもその気になっているため、残った目録を渡すための時間に。その先の印状になれば、寧ろ自由に使える時間も増えるだろうと考えての事ではあるのだが。
「どう、しましょうか」
「ですが、トモエさんにとっても、大事な時間でしょう」
「オユキさんと、いえ、確かに比べるようなものではありませんか。少し、かつて身に付けた物を確かめる時間を取りますか」
トモエがそのように尋ねてくる、オユキにしてみれば、それにしてもと言うものなのだ。
何より、身体が変わっているのはオユキだけではない。トモエにしても、同様なのだ。
「その、トモエさんは体の調整ばかりを行っていますが」
「それは、そうですね。こちらに来てから、初めの頃はもっと短い期間かと考えていましたが」
「それは私も同様なので、お互い様としか言えませんが、技に関しては、型もそうなのですが」
「その事ですか」
さて、これもまた困った質問だと、トモエは腕を組んでしまう。
だが、一つ前のオユキの質問、それに対して見せた反応とも違うため周囲からは先ほどとは何が違うのかとそうした視線に切り替わって。
「どう、言えばいいのでしょう。私である以上は、流派の技というのは当然と言いますか」
「皆伝だからと、そういう話でしょうか」
「いえ、父はまた違いましたので。その、どういえばいいのでしょうか」
この回答は、オユキは嫌がるだろうなとトモエは考えながら。
「私が、使えない事は無いと、そうした理解を得るまでの積み上げをしていますので」




