第1169話 愛情と
「で、結局こっちに来たわけか」
「はい」
「良かったのか」
「良いかどうか、それを考えるのは私ではありませんから、この場合。流石に、他国との関係性を踏まえてとするには難しいですから」
すっかりと疲れ果て、今は腕も上がらないといった様子のヴァレリーを横に。久しぶりに少年たちと向かい合ってオユキは太刀を振るう。簡単にトモエに直されたこともあり、上段で振るうからには、己の背よりも高い相手を、こちらでの平均と思われるトモエの背の高さに合わせて太刀を振るう。
これまでに比べれば、少々極端にも思える位置で柄を握り。さらには、振り上げる位置にしてもより高く。もはや、少年たちに正しい振り方を、言ってしまえば流派として基本としている構えを見本として行う必要も無い。トモエに言われたからと言う事も無く、オユキも今はそのように考えて。時折、パウとサキが何やらオユキにつられるように振り上げる位置や持つ位置がずれそうになっていくのだが、そこはトモエがきちんとそれぞれに。サキにしても、どうにか落ち着いた様子ではある。これから数日は、外に連れて出るのは難しいだろうし少女たちのほうも暫くは無理だと考えているようだが。
「えっと、話の流れを考えると、オユキちゃん」
「その、エステリーゼかセツナ様に監督を頼めない状況では、私一人では進めてならぬと」
「ヴィルヘルミナさんも、得意なんじゃなかったっけ」
「生憎と、カリンさんとヴィルヘルミナさんは、今は各々外に出ていますから。カリンはここ暫く、闘技大会に向けての鍛錬に余念がないですし、ヴィルヘルミナさんはどうにも」
「えっと」
「こう、広く多くの人に、そう望んではいるようですが、それを解消するためにもここ暫く方々からの案内を引き受けているようです」
「へー」
そうして、揃って話をしながら刃を振り下ろす。初めて会った頃には、そんな余裕もなかったというのに今となっては、揃って息が上がる事も無ければ互いに会話をする余裕がある。それが推奨されないというよりも、トモエが許しはしない場面もあるにはあるが、今はあくまでトモエが手直しするのをそれぞれに待ちながら。話に入ってこないアナに今はトモエが苦心をしながらあれこれと直している最中だからこそ。
「武国って、なんかさ」
「ああ。いえ、アイリスさんや私達が少し変わっているといいますか、本来の道とはまた異なるかと言われればそれも難しくはあります。ですが、道が多いというの事実ですから」
「カリンつったっけ、あれはまた違うしなぁ」
「おや、シグルド君も気が付いていますか」
「あー、アナがさ」
「成程」
巫女見習いとはいえ、既にそれが基底路線となっているからこそ分かるものもあるのだろう。
事、これに関しては、オユキとしても疑問を持っていることがある。巫女の要件とでもいえばいいのだろうか、アナは先代の老巫女に習っている。そして、それを伝えないようにと言われている以上は、認められる必要があるのだろう。だが、オユキをはじめとした異邦人たちはそうした部分が免除されている。そもそも、信仰心など持ち合わせていなかったオユキ。そんな人間がこちらに足を運んだだけで、巫女となれる、なれてしまう。勿論、他の理屈、両親が製作者の中に含まれていた等と言う事実がある。だが、元よりこの世界に来る前からオユキとは、トモエとも、比べ物にならぬほどに信仰心を持っていただろうヴィルヘルミナ。そして、同じく多神教ではあるのだが、その信仰者でもあるカリンにしても。特段進行していなかった神々、柱からこの世界で巫女として扱われている。
信仰ではなく、能力だけだとして。勿論、こちらの者たちに比べて、明確にとびぬけた者は持っているだろう。だが、それが出来る者たちが過去に来なかったのか、今こちらに、かつてのようにただただ生命の、魂の薪とでも言うかの如く連れてこられた者達の中に。そこから進んで、今、ある程度の選別をもってきている者たち。そこに、何一つ相応しい能力を持たない者たちがいるのかと疑問を覚える。クレリー公爵家にあるものたち、短い期間だというのに、平然と造船を行って見せた者達。それほどには知識を、トモエも、オユキも。それこそ、身の回りにいる異邦人たちが持たぬ知識を持っている存在がある。技を納めている者たちが間違いなくいる。だというのに、そうした者たちが何故と、そんな事を考えてしまう。
「オユキ、なんか、考えてんのか」
「そう、ですね」
「えっと、それって武国の」
「いえ、広く見ればそちらも関係あるのでしょうが、同胞とでもいえばいいのでしょうか。勿論、国も違えば住んでいる場所も遠く。顔を合わせた事も無い方々となるでしょうが、その方々はこちらに来て貴族たちに飼い殺しにされる前、何を為したのだろうかとそんな事を」
勿論、かつてとは違う法があり、思う儘にはいかないものでもあるだろう。だが、少なくとも知っていることのほうが、できることが多いには違いないはずでもある。
言葉が通じない、それは確かに存在していたのだろう。だが、少なくともそれに気が付けるだけの事柄は多くあったはずなのだ。トモエが、早々に気が付いた。何やら、話す相手の口元を見て首をかしげはしなかったのだが、成程その様な事もあるのかと納得する様子を作って見せた。そして、トモエが気が付いたからこそ、オユキも気が付いた。
他の者たちが、何故。そもそも、口語と文語の二種類が存在する世界でもありアルファベットで記載がなされている以上は、少なくとも見ることが出来れば分かりそうなものだと。読めはしなくとも、理解できなかろうと。
「ああ、成程」
そんな思考を続けていけば、オユキの口からはただ納得がこぼれる。これまで、己はこれに類することを考えていた。考えを進めていたはずなのだ。そして、これまでに失われた時間の中には、間違いなく含まれていたのだろうと。
「彼と我との間にどの程度」
そんな事を、オユキは考える。
そして、視線がそのままヴァレリーに。
「純粋にこちらの」
そう、純粋に、こちらで巫女と呼ばれる存在。
こちらで出会った相手は二人。そのどちらもから、何からしいものを見る事は出来ていない。それこそ、始まりの町の教会、そこに大量に連れ帰った思い出すたびに心が軋みを上げるような者達。その者たちが、今はあまりにも平然と日々を過ごすことが出来ている事実。サキが、未だに苦しんでいることがあるにもかかわらず、僅かな時間で平然と鍛錬に加わることが出来ている様子。彼女にとっては、苦痛でしかないだろう、魔物との戦い。それを、一緒にいる同年代の相手についていくためとはいえ行えた理由。月と安息の巫女、それが行う奇跡。それ以外にはやはり考えられない。神々の言葉を、その座への接続は難しくとも、やはりそれが手軽に行える異邦からの者達という利点こそあれど間違いなく。この世界に初めからあるものたちのほうが、優れている部分がある。
あちらにはなかった、魔術、奇跡。言葉通りの物ではなく、こちらの世界、神々がいるからこそ行われる数多の事。それらについては、間違いなくこちらで生まれている者たちのほうが優れている。
では、戦と武技が司る奇跡の形とは何か。
このヴァレリーという、武国に生まれた巫女、先人に習ったのかどうかまでは、未だに聞き出せていない。だが、それが無いにしても、巫女として当然のように身を成している存在。トモエと比べるのも烏滸がましい。オユキと比べても、同様に。少年たちにと比べれば、こちらに来たばかりの頃の少年たちと比べれば、どうにか評価ができるような相手。
そんな相手を眺めながら、オユキは考える。
トモエが振るうことが出来る、恐らく奇跡とも呼べるものは二つ。その二つにしても、オユキは戦と武技と呼べるものからは遠いように感じている。オユキにしても、巫女等と呼ばれる前から、過去の世界にあった時から使う事の出来たものでしかない。なんとなれば、利用できるものなど実に多くいた者ばかり。
こちらでそう呼ばれてはいるのだが、いよいよオユキが行えるのは神々を降ろす事。オユキという存在を通して、こちらの者たちに対して何かを行う事ばかり。
勿論オユキが頼めば、叶えられることというのも多いのだが、それはいよいよもって神々が良しとした事を個別に行っているに過ぎない。
「オユキさん」
そうして、己の思考に沈んでいるオユキに、トモエが声をかける。ただただ思考に没頭しながらも、素振りを続けていたオユキに。既に、少年たちは既定の回数を終えており、トモエがそれぞれの姿勢を直した後。なんとなれば、ついでとばかりに晴眼だけではなく上段も行わせた後となっている。
長刀を好んで使うセシリアには、上段からの素振りは相応の負荷を与えてしまう事もあり回数に差はあるのだが。
「少し時間もできましたし、この子たちにいくつか型を見せましょうか」
「分かりました」
トモエの言葉に、オユキはただ一も二も無く頷く。
「俺らが声かけても、反応すらしなかったってのに」
「そこは、トモエさんだからこそ、だろう」
「ね。オユキちゃん、トモエさんの声はどんな状況でも聞こえそうだよね」
「実際に、聞こえてるみたいだし。あ、でも、ほら前みたいにお昼寝の時とかは」
少年たちが何やら腰を下ろして武器の確認を、円陣を組むようにして確認しながら何やら話しているのだが其方はやはりオユキの耳には届いていない。
「オユキさんは、ヴァレリーさんをどうしたいですか」
「そう、ですね。こちらでの巫女と言えばいいのでしょうか」
「成程。確かに、彼女に対して明確に試練が与えられていましたし」
オユキの考え、その障りの部分を口にすれば、トモエも思い当たることがあったのだろう。そういえばと、そんな様子で。
「オユキさんは、構いませんか」
「はい。やむを得ない、とまでは言いません。興味が勝った、と言う所でしょうか」
「では、エリーザ助祭にも、少し無理を頼んで手伝って頂きましょうか」




