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ねこのはこ  作者: 柚木 はつか
序曲
5/14

第五項 ねこうつつ①

 真っ白で何もない。

 ライトで眩いほどに艶めく銀色の髪を纏った少女は、雑に敷いた薄い布団マットから起き上がる。

 蒲公英色の瞳は恐ろしいほど殺風景な部屋を見渡す。照明のスイッチさえどこにあるのかわからない。凹凸といえば玄関扉くらいのものだろう。

 頭のそばに転がしてあった、赤色のクレヨンを手に取った。

「むー、むー・・・」

 何か鳴き声のように、唸り声のように呟きながらフラフラと歩きはじめる。

 透き通るような白肌には無数の傷。黒のセーラー服は、受けた痛みも辱めも覆い隠す。

 首についた痣には包帯を巻いた。素人なりに毎日していれば手慣れたものだ。穢された口はマスクで覆う。

 白いフローリングにクレヨンを走らせる。唯一といっていい、彼女の楽しみ。白一色の床を赤が蝕んでいく光景に、なぜだか夢中になっていた。

「むー、ふっふふ。むー・・・」

 たまらなく楽しかった。いっそ今この瞬間に死んでしまえればと思うほどに。

 クレヨンが切れると、指先を噛みちぎって赤を補った。痛みなんて知らない。


 首のない男が力なく横たわる。そばには男の身体の倍はあろうかという大鉈。だが、男の生命を刈り取るのはこれではない。

 顔中に血糊をつけて、息絶えた者の死に様を眺めるのは虎である。血とクレヨンで描かれた絵は、気付けば部屋の床全体に広がっていた。

 笑いが止まらなかった。嬉しくて楽しくて、心底憎い。

 紅に塗れた手も膝も包帯で包み込む。白い包帯に赤色は滲んでいく。まるで今立っている床と同じようだ。

 満足した少女は、出口に向かってまたフラフラと歩きだす。足取りは起きたときよりは軽い。

 スキップでもしたい気分だった。傷だらけの身体ではもはや不可能だとわかってはいても、心は踊りだすのだ。

 玄関扉の前には、ガラスの破片が四方に散っている。足を切ったら、なんてことは全く考えなかった。

 少女は手で少しずつ拾い集めた。手を切ってしまったらもう一度包帯を巻けばいい。

 ジグソーパズルのように、気の枠にガラス片を一つずつ合わせていく。なんだか楽しくなってくる。

 最後の一ピースは、少女の足裏に深く突き刺さっていた。構わず思い切り引き抜くと、玄関前に赤黒い血の色が満ちていく。

 少女はスカートのポケットにしまってある、、宝石の描かれたマスキングテープを取り出した。

 包帯なんか後でいい。ピースとピースの切れ目にテープを貼り付けていく。

 応急処置を施したのは、一つの小さな鏡。壁にかけると、少女はもはやほとんど機能しない鏡を満足そうに見つめる。

(今日はいいこと、あるといいなあ。)

 少しばかり気分が高揚していた。高鳴る心音を抑えることができない。

 太陽を写したような黄色の瞳に、扉の向こうが徐々に現れる。腰まで伸びる、陽の光に照らせば白にも見える銀髪が少し揺れた。

 しかし、少女の太陽はみるみる翳っていく。

 映し出されたのは、一寸先さえ見渡せない暗闇。光をも呑み込もうという闇の世界である。

 振り返れば、すでに元あったはずの光は影も形もそこにはない。あるのは、どこまでも続く黒。少女の目から涙が零れはじめた。

 闇は深く昏く、少女を溶かしていった。もはや自分が誰なのか、何なのかさえもわからなくなってくる。

 少女はただ、その場にうずくまって泣いていた。まるでかくれんぼをしたまま置いていかれた童子のようにワンワン喚く。暗いし、何が何だかわからないし、怖い。

 少女の声は虚空に消えていく。

 たすけて。この声が届いたのなら、どれだけ幸せだっただろう。

 少女はただ泣いていた。自分の泣き声で、背後から迫る金属音に気づくことはできなかった。




「あぶない、はくちゃん!」

 叫ぶような声がして、少女は飛び起きた。

 目をこすりながら周囲を見渡す。誰もいないし、何もない。昨日と何一つ変わらない室内。紛れもなく自分の声だとわかるとほっと一息つけた。

 悪夢を見たらしい。昨日帰り際に柊に手渡されたかけ毛布は、ぐっしょりと汗で湿っていた。

(夢とは記憶からつくられる、か。)

 柊が自分を殺す夢なんかも、そのうち見るのだろうか。あくびをしながら玄関に向かう。

 真っ白で、変わったものは何一つない殺風景な部屋。あるのは布団マットとかけ毛布、玄関前の壁にかけられた小さな鏡だけ。

 風呂もトイレもキッチンもないなんて、前の住人はどう暮らしていたのだろう。本当にな何か、秘密基地みたいなものであればいくらか心が休まるのだが。

 ドアノブにかけた手に、なぜだか力が入ってしまう。

(実は壁でした、なんてことはもうないよね?)

 なぜだか嫌な想像ばかりが頭の中を駆け巡る。もう十月になるというのに、手汗がドアノブを伝ってぽた、ぽたと落ちていく。

 えい、と思い切って扉を開けた。考えるのはもうやめだ。

 琥珀色の瞳に映るのは、やはり昨日と同じ景色だ。黄と紅と人の波。天に向かって伸びるマンションたち。

 安堵と同時に一気に力が抜ける。扉を開けたままで、少女はその場に座りこんでしまった。

 嬉しいんだか悲しいんだか、とにかく涙があふれて流れ落ちるのを止めることができない。スカートの中までびっしょりだ。

 柊にもらったポケットティッシュで、一面濡れてしまった玄関そばの通路を雑に拭いた。立ち上がる時には水の滴る脚やついていた手も拭いた。

 大きく伸びをした少女の顔は満足げだ。

「よし、がっこういくぞ!」

 ふんふんと鼻息を鳴らしながら、大きく一歩二歩と前進する。日の光を浴びて、琥珀には灯がともるよう。

 いつのまにか、水浸しだった路面は乾いてしまっていた。

 屋根上に設置された大時計は午前八時二十分を示す。看板には「駄菓子屋きゅう」と大きく書かれている。

 店は開いているようだが、店主のおじいさんは今はいないらしい。カレンダーを見ると、まだ九月のままになっていた。

 登校時間は本来七時半と決まっているらしい。行き交う人はスーツか老人の群れである。

 二つマンションを越えたら右に。目印のコンビニエンスストアまでまっすぐ歩いたら、先に見える枝分かれの左に入る。

 少女よりも早く、一直線に走り抜けるランドセルはきっとお寝坊さん。少女はというと、急ぐ理由もないではなかったが、ゆっくりのんきに大股で。

 いくつかの一軒家に挟まれた、自転車一台通るのがやっとという程度の細い路地。とはいっても急勾配の上り坂になっているため、自転車での通行には難儀することだろう。

「心臓やぶりの路地裏」なんてダサいあだ名までついている。出典は「望野市観光案内マップ」より。

 わざわざ通ろうという人は当然ほとんどいない。少女が通るのは少しだけ、なんだか近道な気がしたからだった。

 数十メートル登れば、一気に視界は開ける。


 望野学園。そびえ立つ白壁は外界との隔絶を意味する。高さはひとを縦に数十人並べて届くかどうか。学園は全てこの巨大な壁に囲まれている。

 高層マンションが建ち並ぶ街の中にあっても、壁ばかりが目立って外からはその一部分だけでも知ることを許されない。

 正面玄関、つまり小中高どこの人間でも必ず通らなければならないエントランスには、わざわざ片側二車線の車道と歩道がしっかりと区別されている。それぞれに一名ずつ警備を配置。

 学生証または学生保護者証を警備員に提示。その場で照合され、認められれば車両はそれぞれの校舎近くの専用駐車スペースに案内される。

 業者など、外部からの者については別の係りの人間がチェックを行うらしい。

(やっぱりお金持ち学校だよねここ?)

 さながらテーマパークのような入場システムに戸惑いを隠せない。通学路はやはり自転車には不向きなのか、自転車で登校する生徒はいなかった。

 少女は紛れもなく部外者なので、昨日のように無理をして通ろうとはしない。玄関にほど近い壁にもたれかかっていた。

 柊によれば、学費は思っているほど高くはないそうだ。それどころか、ボランティアと言っていいくらいだとか。

 たしかに考えてみると、学生が数万いるというのだから、それ全部が富裕層なんてことはないだろう。

 柊の言うことは話半分に聞いていたが、もしも本当なら面白いなと思った。

 記憶がない故に自分の学生生活など想像もできない。だが、少女には学園が遊園地のように思えてならないのだ。通ってみるのも面白いだろう。

(お金持ちとお友達になれるかもしれないもんね。)

 自分探しが終わったら柊に相談してみてもいいかもしれない。もちろん、野心めいたものは秘して。

 同じ立場にもなれば、正々堂々真正面から文句もつけられるだろう。脳裏には昨日会った「失礼なやつ」が過る。

「おはようございます、むーちゃん。」

 背中がぞくっとした。正直呼ばれ慣れていない。振り返ると、琥珀の瞳に月白色の女が映る。

 微笑む柊からは、明らかに昨日よりも機嫌がいいことがうかがえた。顔色が良くなっている。

「メイクしてるけど、きょうはおしごとなんだよね?」

 正直のところ、何となく違うんだろうことはわかっていた。この女は仕事でメイクなどするような人間ではない。

 メイクをしない理由など人によってさまざまあるだろうが、柊の場合は単純に仕事がだるいと思っている。昨日も聞いてみれば、授業を勝手に自習にして少女の相手をしていたのだと最後に言った。

 あきれて物も言えない。やりたいことを思うままにする、というのが彼女の信条らしい。

 だが、少女にとって今回は彼女の気分屋に救われたと言っていいだろう。柊だからこそ少女の突拍子もない話を聞き入れたのには違いなかった。

 面白半分で付き合うというだけかもしれない。しかし、もう一人の男性職員の方だったらどうなっていたことか。

 味方は一人なのだ。アクアマリンの瞳の奥に何を孕んでいようと、今失うわけにはいかない。

「もちろん!むーちゃんの謎を解明するという重要なお仕事が!」

 満面の笑み。学生たちが見ていなければいいが。少女からため息が漏れる。

(天然なんだか計算なんだか。本当によくわからないなあ、このひとは。)

 今日は昨日に引き続き、職務を放棄した女と共に記憶の手がかりを探すのだ。

 柊が指定していた時間には少し遅れてしまったが、どうやらそんなことは彼女の興味の範疇にないらしい。

 とことん自分のやりたいことができればそれでいい。ひとまずはそんな柊に救われたといったところか。

「学生証は本物だとわかりましたし、今日はもっと実のある探し方をしようと思いまして。」

 太陽に照らされて、海色は一層美しく輝く。何か嫌な予感がした。


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