獣となりて獣を喰らふ
おもちゃ箱を開く子供の顔で、私は岡山から届いたクール宅急便の箱を開いた。
中には、ビニール袋で乱暴に包まれた赤い塊がゴロゴロと詰め込まれている。
この食材を料理するのは、幾度目になるだろうか。
手触りと重さだけで、大雑把な部位ぐらいは見当がつく。塊の中で、やや薄く湾曲した、割れた瓦のような形状の包みを、引き裂くようにして解いた。
骨の隙間に厚くこびりついた霜が残雪のように零れ落ちる。
眺めるだけで笑みが浮かびそうになるそれは、猟師に伝手がある弟から届いた、猪の肉塊だ。
幾つもの部位の肉が詰め込まれているが、櫛の歯のように骨が走るそこは殊更に分かり易い。
これこそが、最も旨い肋の肉、今晩の夜食である。
ド田舎の出身である私たち兄弟と、猪の因縁は深い。
幼い頃、山持ちの九州の実家での初夏の大きな楽しみの一つは、筍掘りだった。
山に面してた竹林の中で、頭を出した筍を探し、ある程度育った塩梅で掘り起こすのである。
『雨後の筍の如く』という慣用句が示すように、筍の成長は早い。
小さい頃に掘り出せば、えぐみも少なく灰汁抜きの手間も省けるが、反面可食部は少ない。
一抱えもある程に育った筍は、可食部の量は十分にあるが、反面固く、味としては一枚も二枚も落ちる。
その折衷点となるタイミングを探し、目星を付けていたタイミングで掘り出すのが筍掘りの妙なのだ。
そんな、人間の都合に呵責なく割り込んでくるのが、山の猪たちである。
――さあ、今朝こそは掘り起こそう。
鍬スコップを担いで意気込み山に入れば、且に食べ頃の筍が猪に食い散らかされていたことが幾度もあった。
ご想像頂けるだろうか? 泣き出しそうな瞳で、筍の皮と、無惨な喰い残しの破片ばかりが散らばる穴凹を覗き込んでいた小学生の頃の私の失意を。
幼い頃から、私は猪を不俱戴天の仇敵のように思ってきた。
猪は、私にとって目に見えない怪物のような存在だった。
山中を歩いている時に、幾度か遠目に川沿いを走る姿を目にした事はある。
だが、筍を掘り起こし、畑を荒らし、裏庭を掘り返した犯行の時刻は、常に人の寝静まった夜間だ。
幼い頃、祖母はよく「早く寝らん子のとこには『があもん』が来るよ」と古い子脅しの言葉を口にしていた。
私にとって、猪とは犬猫のような動物というより、『があもん』のような妖の如き存在であったのだ。
やがて、成長した私は郷里を離れ、田舎の裏山の筍掘りも、井戸も水汲みも、得体の知れない『があもん』も、遠き存在となっていった。
更に数年後、体を壊して職を辞した私は、閑を持て余して郷里の古家を訪ねた。
明治生まれの曾祖母と曽祖父は既に亡く、『があもん』で私たち兄弟を脅した祖母は、高齢で町の叔母の家に身を寄せている。
江戸の昔からあった村一番の古い土蔵は潰れ、井戸だけがあの頃と同じ水を湛えていた。
人気の絶えた家屋の裏で、鹿猪は更に跋扈し平らな土が見えぬ程の有様だ。
私は、またしても猪を憎んだ。
有刺鉄線も柵も案山子もさしたる効果はなく、括り罠の一つでも仕掛けようかと、農協に相談したこともある。
「お兄さん、あんたがやるなら、罠じゃなくてズドンでしょう」
高齢化が進んだ猟友会から、熱心な勧誘を受けた。
勘弁して欲しい。私は本当に銃は下手なのだ。
自衛官だった元カノ――縁日の空気銃の射的で、ストックの肩への当て方と姿勢を厳しく指摘する傑物――や、現在の上司――東南アジアに居た頃、ラジオ体操の代わりに、地元の警察官に金を握らせ、弾丸を買い取り射撃の練習に励んでいた――なら兎も角だ。私は飛び道具がへたくそで、射撃に関しては殊更に成績も悪く、自身の腕は全く信用ならなかった。猟師という柄でもないので、猟友会への勧誘は固辞して去った。
ちなみに、この農協、害獣駆除には熱心で、タヌキの尻尾や猪の頭を持って行くと駆除報酬としてささやかな金を出してくれるので、害獣駆除ついでに、ドロップアイテム感覚で尻尾や鹿角が持ち込まれる事も多いと聞く。
さながら、ファンタジー小説のギルドの受付である。
田舎のムラ社会では、己の田畑を管理できず、猪の泥場とするような人間はパブリックエネミーと見做されるのは当然のこと。
住まわなくとも、最低限の管理は続けなければならないのが、田舎の仁義だ。
猪との戦いは終わらない――私が、ド田舎の旧家を愛する限り。
地元への帰還を果たした私とは対照的に、弟は岡山の人も通らぬ山奥に居を構えた。
私と違ってソーシャルスキル豊富な弟は山奥で信用を得て、現地の猟師の方々との伝手まで得たそうである。
それが、眼前に転がる凍りついた肉塊の由来である。
閑話休題。
さて、脱線に脱線を繰り返した話を元に戻そう。
肉の話をしよう。
飯の話をしよう。
夜食の話をしよう。
弟から高品質の猪肉の分け前にありつけるようになって数年。
私もこの癖の強い食材の扱いを、ようやく分かってきた。
山暮らしの弟は、
「猪はシンプルに塩茹でにするのが一番旨い」
と語った。私も、全くの同意見だ。
馬鹿みたいに大量の生姜を刻み込んだ大鍋に肉をぶち込み、塩と共に茹でれば、豚を遥かに超える膠と灰汁で水はあっという間に黄色く濁る。
これを幾度も煮零して、猪肉がほろり、ほろり、と崩れるまでに茹で続ければ、野趣は残れど臭みが消えた、最高の猪肉の塩茹でが出来上がるのだ。
ビールに合わせてよし。日本酒に合わせてよし、焼酎と共に流し込んでよし。
されど、今日これより作る夜食は塩茹でにあらず。
解凍した肋をキッチン鋏で切り離し、粒の黒コショウをミルで挽いてふりかけ、岩塩を揉みこむ。
そのままオーブンに突っ込んで、ただ焼き上がるのを待つばかり。
何の芸も工夫もありはしない、単純なスペアリブだ。
やがて、オーブンからは香ばしい猪の香りが立ち上がりだす。
肉の香り。山の香り。獣の香りだ。
オーブンを覗き込めば、シュワシュワと脂が弾ける音と共に、むっとする程の獣臭さが鼻腔を駆け抜けた。
小鹿田焼の皿にキッチンペーパーを一枚敷いて、ぞんざいにスペアリブを重ねていく。
元より、インスタ映えなど狙ってはいない。冷めないうちに、喰えればいいのだ。
肉の香りの強さに負けないよう、酒は地元の芋焼酎をお湯割りに。
夜の静寂に柏手を打って、スペアリブに齧りつく。
――固い。だが、それがいい。獣のように食い千切ると、筋張った肉を咀嚼する。
――固い。だが、それが旨い。これこそが、私の求めていた野趣だ。楽しみだ。柔らかくほぐれた塩茹では、この野趣は味わえない。
この肉の旨さには、私の手柄は一片足りと含まれていない。山で血を抜き腸を抜き、臭みを最小限に抑えた猟師の手柄、そして山野でこの肉を育んだ猪自身の手柄だ。
固さと臭さ。普段の食事で忌避されるべきそれらを肚に収めるのが、堪らなく楽しい。
時計を見れば、日付は変わりかけている。幼い頃の私なら起きていることが許されなかった時間帯。
子供にとって、深夜とは未知だった。
幼い頃の深夜の窓の外では『があもん』や猪が神秘のベールを纏って歩きまわっていた。
だが、大人となった今の私は、夜を楽しみ、猪も喰らう。
行儀を嗜める親戚も、食べ方に見栄を張りたくなる女性もいない、男一匹の夜。
骨端の軟骨を噛み砕き、骨にへばり付いた薄皮を歯で剥ぎ取り、テーブルマナーも何もなく、ただ貪り喰らう。
噛み切れない筋は、酒と共に流し込む。
白骨となった肋が、からり、からりと音を立てて小鹿田の皿に転がっていく。
獣となりて、獣を喰らう夜。
不俱戴天の仇とて、肚に収まりゃ我が血肉。
脂だらけの指で柏手打って感謝を告げる。
ごちそうさまでした。
了